枯れた桜の木を目の前に酒呑童子が呟いた。
「ここに来るのは……久しぶりだな」
洞潔とともに炎に燃えた桜の木ーー。
自身の手で洞潔を斬った感触も、炎に消える情景も、そして洞潔が酒呑童子に託した言葉も一時も忘れたことはない。
名前が見たという夢に酒呑童子はどこか縋るような気持ちがあった。
「洞潔……いるのか?」
ーー返事はなかった。
酒呑童子は枯れた木の幹に手で触れて、額を木に押し付けて目を閉じる。
「洞潔……」
名を呼んでも、返事がないことなどわかっている。
名前の夢も、妖魔界という場所で、オレとともにいたことで何かが影響して夢として現れただけなのだろう。
俯いた顔を上に向けて、桜の木を見上げて酒呑童子は目を瞠った。
枯れた木の枝に、一輪だけ桜の花が咲いている。
それに気づいた瞬間、酒呑童子の目の前に薄っすらと影が現れた。
ーー酒呑童子様。
「洞潔……? 洞潔なのか!」
酒呑童子の呼びかけに応えるように、ゆらゆらと揺れる不安定な影が少しずつ形を変えていく。
やがて現れたのは紛れもなく洞潔の姿だった。
「洞潔!」
名前を呼びながら、酒呑童子が洞潔に手を伸ばすと、するりとその手は洞潔の体をすり抜けていった。
「なっ……」
洞潔は静かな表情で酒呑童子を見つめて言った。
ーー酒呑童子様。
確かに姿はあるのに、言葉も聞こえるのに、幻のような洞潔に酒呑童子は戸惑いの表情を浮かべる。
洞潔が言った。
ーー酒呑童子様は、成すべきことをしてくださいました。私はもはや何の悔いもなくこの世を去るだけのはずでした。
洞潔が桜の木に手を添えて言った。
ーーこの桜の木が、消える寸前だった私を繋ぎ止めました。
「なら、お前は……」
洞潔はまだ生きている。
僅かな希望に酒呑童子の瞳に光が灯る。
洞潔が首を振りながら言った。
ーーこの木の命も、私の命も、いつ果てるかわかりません。
今の姿から見ても、洞潔の命は不安定であることはわかる。
「それでも、可能性があるなら……オレはお前を諦めない」
酒呑童子が決意を込めた瞳で洞潔を見ると、洞潔はふっと微笑んで、そして静かに酒呑童子を見つめて言った。
ーーでは、大切なものからは手を離さぬことです。
「何の……」
何のことだ、と言おうとして、酒呑童子は自身を呼ぶ声にハッと空を見上げた。
「……名前……?」
空から光の粒子が降ってきて酒呑童子を包み込んでいく。
洞潔をもう一度見ると、洞潔は酒呑童子を見つめたまま静かに頷いた。