日生あい 風早





忠誠心篤い女官 大切な者を守る従者

03

風早せんせい、…やっぱり、ほんとは寂しいの。内緒にしてね。


(日生あいの一日は姫よりも早く目を覚ますところから始まる。敬愛する姫が思春期を迎えてから、姫の朝の支度は彼にだって譲らない特権だった。彼女の髪を整えながら話をする時間は二人きりで、ありのままの彼女と過ごせるしあわせの時間。髪を整えるための椿油に、朝の目覚めのお茶、それから髪飾りに顔を洗うための冷えた水、エトセトラ。勿論昨日姫が体調が悪そうにしていたのならば優しく凛々しくて、少し気負いがちな姫をうまく休められるようにと気遣う事も忘れずに。そんな朝の支度を楽しんでいる少女だけれど、彼女の髪が切り落とされた時には涙の一つも見せずにそっとその髪を梳いて、髪型を整えた。朝一番で姫君の長い髪を結う事が出来なくなっても、いつもの時間におはようと微笑む少女の姿に変わりなく。少なくとも、姫の前ではそうだ。だって、失くしたものはすぐには戻ってこない。心が痛んでいるなんてそぶりを見せて姫に気遣わせてしまうのが嫌で、「短いちいちゃんも可愛いもん、だいじょうぶ」なんて言葉で笑ったから。――だから、)せんせい、(彼に頼ろうとしてしまうのは、ある意味当然のことだった。姫がちょうど岩長姫を捕まえて鍛錬している時間。誰もいない時間に、大きな彼の服の裾を掴んで小部屋にまで連れて行ってから、囁くように心中を吐露した。)……ちいちゃんの髪、ずっとわたしが手入れしてたのに。わたし、ちいちゃんの髪整えて、おしゃべりする時間、大好きだったのに、………取られちゃった。(こんなの、まるきりこどもだ。いつものお礼にと彼がくれた土器が嬉しくて、あんなに幸せだったはずなのに、本当はそんな我儘な子供みたいな心を抱いていただなんて、失望されてしまうだろうか。彼女の髪が落とされてしまったことを本心では悲しむ理由なんて結局のところそれが源泉だった。彼女の選択を間違っているとは思わないし、それが姫が幸せになれるんなら、少女は大好きな人のために笑うつもりではいるのだけれど、)…取られちゃった。わたしのお仕事、大事な時間。…こんな風に思っちゃ、だめなのに、…わたしのちいちゃん、取られるの、いや。…どうしたらいいの?だれもしあわせを取らないでって、思っちゃうの。…こんなの、知らない。(きっと彼女はこれから恋をして、誰かに髪を預けることだってできるだろう。できるかもしれない。――いやだなと思ってしまって、そんな醜い自分が恐ろしくて。教師役の彼に助けを求めるこれは、こどもの甘えに他ならない。昔々、随分と昔に、姫が彼を連れて帰ってきた時くらいには、まだ敬語を使っていなかった。そんなくらいの幼さに戻ったかのように彼を掴んで泣き言を。)………ううん、ごめんなさい。大丈夫。ひめさまは、ずっとわたしのちいちゃんじゃないんだもん。わかってる。いつかちゃんと幸せになるのを、わたしがじゃましちゃだめだって、わかってます。…その時までに、ちゃんと覚悟、決めるから。ちょこっと、びっくりしちゃっただけだから、…ちいちゃんには、わたしがこんなに悪い子だって、お願いだから言わないでね。(彼に向けて弱音を吐いていれば、そのうち自分の中でも整理はついてくる。こんなのは、悪い子だ。姫に嫌われたくない。――きっと、嫌わないだろうけれど。こんな我儘なところ、知られたくない。でも、誰かに言わずにはいられなくて、その対象は彼だけしか考えられなかった。いつも甘えてしまって、頼ってしまっているのは自分の方。幼馴染たちの距離感はそれぞれにあるのだけれど、この幸せを、どうやったらこれ以上かけさせずに済むのだろうか。そんなことを、重たい鎖と共に考える。金糸が軽やかになったことをきっかけに。こんなのは、きっと駄目だ。――助けて、せんせい。)

はい、絶対に。俺とあい、二人だけの秘密ですね。

 

(それは、そうまるで仲の良い姉妹のような。二ノ姫様に連れられてから毎日のように見てきた二人は歳が同じこともあり誰から見てもその揺るがない絆の深さを感じることが出来ただろう。姫が幼い頃は自分も朝の支度を手伝っていたものの、ある期を迎えてからは女官である彼女に姫の朝の支度を任せる事となったのだ。年の離れた男である自分に仕方ないと成長した姫を思い嬉しくもなんだか寂しく感じたのは誰にも言えない秘密。そんな寂しさも、時折聞こえてくる二人の楽し気な、幸せそうな声が聞こえて消え去ったのをよく覚えている。そして、彼女がこの朝の時間をたいせつに思っている事を察することが出来て、今では微笑ましく感じて。――このしあわせな時間をいつまでも続けられるようにと守ろうとしていたのに、これで何度目か。髪を切り落とした気高く強く成長した姫を呆然とみて、一番に浮かんだのは、朝の支度をしている姫と女官の二人きりのしあわせそうな声だった。  キョロ、キョロ、それから船内を歩いてからはやけに彼女の姿を探すように、けれど誰にも悟られないようにしていたなら掴まれた裾に、優しく声を掛けて彼女との秘密基地のようなあの小部屋へと共に足を運んだのなら、ゆっくりと、けれどしっかりと彼女の気持ちを一つも逃さないように耳へと入れ。まるで出逢ったあの頃のような幼さを思い出させる、)…そう、ですね…。あいは、本当に千尋の事が大切で、大事で、大好きなんですね。(ずっと笑顔で、姫の事を誰よりも考えて自分の心も救いあげてくれていた純粋な彼女の中にあった黒。吐き出されたそれをそっと包み込むように、彼女の手を優しく握ったなら、)いいえ、謝る事なんてないでしょう。俺も、あいの言ってること少しわかってしまうんです。千尋は魅力的な子ですからきっと……男性と結ばれることも。それは寂しい事だから。けれど、千尋があいの事を邪魔に思うことも、嫌うこともありません。この先、何年経っても。(優しく微笑んで見せて、まるで幼い頃に戻ったように小さな彼女の体を包み込み、片手は髪の毛を崩さないように少しでも落ち着けるようにとそっと頭を撫でるはずで。「大丈夫ですよ、誰にも言いません。」彼女のお願いにそっと呟こうか。二人だけのあの時間が無くなることはないだろう、きっと彼女もそれはわかっているのだろうけれど、姫の前ではいつも通りの時間が出来ているわけで。もう一人の幼馴染との程よい距離感もあるのだろう。でも自分には頼り真っ直ぐに弱音を吐いてくれた彼女。小さな彼女を見て、積み重なっている重みを少しでも軽くできるようにとまた頭を撫でる。しばらくしてやめてほしい苦しいとなったなら慌てて離れて謝罪の言葉を告げるのだけれど。―そろそろ姫の鍛錬が終わるころだろう。顔を洗ってさっぱりしたら姫を迎えに行きましょうと彼女に声を掛けて、今は会えないというのなら一人で、一緒に行くとの答えなら一緒に歩を進めるのだけれど、さて。――今は、弱音をぶつけられる存在で居られるように、側にいよう。もしも、幸せな時間が壊されそうになったのならまた幾度と。  幾度と。大丈夫、きっと俺が君の幸せを守るよ。)