麦 皆本金吾
素直になれないお姉ちゃん 泣き虫弟
03
さて坊ちゃま。きょうだい水入らずでお散歩と行きましょうか。
(彼が来て三日目、もう折り返しに近づきつつあり、昨日さんざっぱら稽古に邁進していた男衆がちょっとは落ち着いた頃合い。朝早くに起きて支度を整えた彼女は、彼の寝床へと足を運ぶ。)金吾坊ちゃま、おはようございます、朝ですよ。(朝日が昇って人々が起き出す時間に彼に呼び掛けて笑いかけると、風呂敷包みを一つ彼に差し出した。)お散歩に行きませんか?(たとえ遠慮されたとしても少女は口先三寸で彼を丸め込んで朝一番の出立をかなえた事だろう。だって、皆本のお屋敷は賑やかで、皆が彼を愛していることに疑いようはないとは言っても二人っきりになんてなれやしないから。みんなに囲まれる坊ちゃまを見るのも嫌いじゃないけど、ふたりっきりでいたくなる時くらいあるのだ。彼の机の上に書置きをして、念のために前日には母に予定を伝えておいたからうまく調整もしてもらえるだろう。昔のように彼の手を引いて相模の地を歩く。)金吾、(歩く途中に呼び掛けた。細い道を辿って向かう先は小高い丘の方。一がよく見える場所だ。)あんたが強くなったっての、ほんとによくわかるよ。頑張ったねって思う。(敬語も知らなくて、乳兄弟である彼が本当の姉弟だなんて思いこんでいたころと同じ気安くてそこはかとなく男勝りな口調で、彼の手を引いていると本当に昔を思い出す。)私の記憶の中の金吾は泣き虫金吾だから変な気分だけどさ。…かっこよくなったねって思うから。私ももっと強くならなきゃね。(――そんな決意表明をしたくて連れ出した、なんて言ったら彼は笑うだろうか。言うつもりは勿論ないけれど、言葉に出しているのはすべて本当のことだ。意地悪で彼の心をいつだって突っついているのが自分だから、彼が強くなるんなら守られているだけでいるのなんて許せない。)これからも頑張んな、金吾。そしたら私も、もっともっと頑張るからさ。…強くなったら、素直になれそうだしね?(意地っ張りの意地悪にとって、素直になるというのは難題だった。悪戯っぽく彼に笑いかければ、足が丘にたどり着く。特等席の大きな岩にもたれる。小さなころよりも、背中の面積が広くなって。)あ、背比べします?(彼の身長的な意味での大きさは如何にと、いつもの口調に戻してけろりと笑う。彼が受けてくれるなら近くの石で岩をちょっと刻んでみるのも面白いかも。)で、ですね、坊ちゃま。朝食べてないでしょ?おにぎり作ってきました。どうです、おいしいですか?(綺麗な三角型のおにぎりを包みの中から取り出して彼に差し出して問いかける。いつもよりも余裕めいた含めた笑みがなくなっているのは彼の感想が早くほしいとはやる気持から。自分もおにぎりを口に運べば、程よい塩加減に米の炊き上がり。愛情込めて丁寧にやっただけあってちゃんとおいしくできたと思うけれど、彼の判定やいかに。)
麦姉と?散歩行きたいなって思ってたから、嬉しいや!
(稽古後の彼女との会話で、改めて頑張ろうと強く決心した夜。なんだか気恥ずかしくて嬉しくて床についてからも思い出しては緩んでしまう口元を掛け物で隠すのに精いっぱいだった。魔法のような言葉はいつまでも胸に響いて―ひび、いて―。)ん……、んん?…むぎねぇ?おはよう…。(再度響いた彼女の声は現実のもので、体を起こし眠たげにまなこを擦ったのなら、目の前に見える彼女の笑顔と一つの風呂敷包みに思わず首を傾げることになるのだけれど。その理由はすぐに彼女の口から告げられて、)へ、散歩…?麦姉と?(まさか彼女からの唐突な申し出に先ほどまでの眠気はどこへやら。もともと昨日稽古が長引くことがなければ歩きたいなと考えていたのだから嬉しいものなのだ、が、朝から、彼女から突然、なぜ?そんな疑問も混ざって口をパクパクとしてなかなかに言葉が出てこないもので。拒否するつもりはなかったが、彼女に丸め込まれる形でいそいそと着替えや支度を行い共に歩いていこう。―引かれる手の温もりに、懐かしさを感じながら。)…!…へ?(彼女の口から出た自分の名。ぴくりと反応し、前の道を見ていた視線を彼女へと向けるのだ。―いつからだろうか、彼女が自分の事を坊ちゃまと呼ぶようになったのは。いつからだろうか、幼いながらになんとなくそういうものなのだと感じるようになったのは。そんなそういうものに酷く悲しさや寂しさを覚えたのはいつ頃だったろうか?――彼女の口調に、自分を呼ぶ名に、泣き虫な己が出てきそうでグッと彼女の手をほんの少し強く握っては堪えて。)どうしたの、麦姉。昨日から、ずっとぼくのこと頑張ってるって褒めてくれて、なんか…なんか、くすぐったいや。泣き虫は余計だよ!…でも、うん、ありがとう。……えー、もうぼく麦姉の意地悪には負けないよ!(慌てたように、そう告げた。彼女が強くなるということは…と自分なりに考えて、彼女がこれ以上強くなったらきっと敵わないなんて思えてしまうのだから姉の存在はなんて偉大なものか。きっと見当違いな事を言っている事に自分では気づけやしないけれど。)…頑張るよ。みんなが、麦姉が応援してくれてるから、傍に居てくれるから、ぼくは強くなれる!だから、もう泣き虫なんて言わせないからね。それと、麦姉の事も応援するよ!…?素直に?(はて、なんのことだろう?思わず首を傾げるのだけれど彼女の笑みには、こちらもへらりと笑みを浮かべようか。丘に無事辿り着くことが出来たのなら思いっきり体を伸ばして澄んでいる空気を思いっきり吸って。ふと、提案にパッと視線を向けたのならいつもの口調へと戻った彼女に、むうっと無意識にか頬を膨らましては静かに大きな岩へと近づき、背もたれにするように立つのだけれど。)ぼく、結構背伸びてるんだよ。気づいてた?(大人しく立っていたなら彼女が石で自分の背の位置を刻んでくれただろうか。次いで彼女の背も記録するのだと線を書かせて!と強く強請るのだけれど果たして彼女は応じてくれただろうか。そんなことをしていれば、空腹を訴える音がきゅるると空しくなるものだからそっとお腹を押さえて、そういえば朝食べないで来たんだったとそんなことを考えて。そんなタイミングを知ってか知らずか、差し出されたものに思わずこくりと喉を鳴らしてしまう。)わ、おにぎり?!ありがとう麦姉、いただきまーっす!(ぱくりと一口。程よい塩加減にお米が美味しくて美味しくて、思わず幸せそうな笑みが出てしまうのは仕方のない事だろう。)おいしいよ、麦姉。すっごく!(心からの言葉を伝えたのなら彼女に伝わっていればいいな、そう思いながら談笑しつつ今はおにぎりを堪能しようじゃないか。幸せな楽しい時間はまだまだこれから続くのだから。)
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