梓馬 土方十四郎
真選組のお抱え医師 真選組副長
01
副長さぁん。お仕事で肌荒れしたんで労災申請いいですか〜?
(いつの間にか静まり切っていた室内にふと意識が浮上したのは、何か切欠があったわけではない。音すらも鼓膜に入らぬ程に無意識化で精製していた薬の束を見下ろして、吐いた息は思いのほか深かった。馴染んだ道具から放した手を天に向けて伸ばした体から小さな軋みが発せられるのを聞きながら、立ち上がっては久方ぶりに襖を開いた。夏の夜らしい湿気の籠もった空気は、それでも背にした仕事部屋よりは余程環境が良い。涼しいとは言えずとも昼間とは比べ物にならない過ごし易い気候に身を打たれながら、廊下の先、目についた灯りの灯る一室。無意識というよりは意識的だった。視線もつま先の方向も最初から決まっていて、軽い足音と共に歩み寄ったその襖の向こうへ掛ける声音は弾んでいる。)副長さーん、梓馬ですよ〜。今日もこんな時間までお仕事です?(そうして膝を床に付ければ、開けていいですかの問いかけと同時に襖を開いた。無遠慮は重ねた時間と生来の人懐っこさに由来する。)もう、夜更かしは体に障るって言ってるじゃないですかぁ。最近多くないですか?…やっぱり副長ともなるとお忙しいんでしょうけど、お体持たなくなっちゃいますよ。(口うるささは医師の特権だとばかりに案ずる言葉を並べようとも、その唇には笑みが――、そして、その目許には薄らと隈が乗っている。何かを言われるよりも先にちょちょいと手首の下を振っては手招き、お誘いだ。)俺と一服、休憩しましょ?(にっこり笑顔の片手には、二人の共通の癒しであろう煙草。煙草中毒も仕事中毒も似たようなもので、簡単には拭えないと誰よりも知っている。だからこそ、医師としての注意は此処までだ。彼が誘いに応じてくれたのならば肩を並べて縁側に腰掛け、月に向けて紫煙を燻らせることになるだろう。日頃の雑談から仕事の愚痴まで頻度は様々だが、こうして語らいあうことも少なくなくなっていた。日中多忙な彼を思えば、この貴重な時間に感謝と喜びを感じるのは当然で、)俺はこうやって副長さんとお話しできる時間が作れて、とっても嬉しいんですけどね?(医師から一人の男へ変われば直ぐに、微笑を描いた唇を割くものが口説き文句なのも当然だった。梓馬というのはそういう男だ。彼側の手を床に付けば下から覗き込むように唐突に距離を近づけて、)……月よりもよっぽど、あなたの目の方がきれいで、好き。(その双つの青に移り込む自分は甘やかに微笑んでいて、獲物を狙う顔をしている。本気だ。けれど、 直ぐにくすくす、ころころ。小さな笑い声をあげながら顔を離した。)ってのはクサすぎかしら。…じゃ、俺はそろそろ戻ります。副長さんもあんまり無理はしすぎないように!(口説いて、冗談めかす。いつも通りの夜のほんの些細な逢瀬。呆れられるか怒られる前にさっさと逃げてしまおう。振り向き様の置き土産も忘れずに――、)…これ以上夜更かししてたら、今度はお布団に潜り込みにいっちゃいますよ?(俺は大歓迎ですけど。そんな“当たり前”をウィンクと共に付け足しながら、ささやかな戯れの夜は更けていっただろうか。お堅い意中の人を想いながら、煙草と薬の残り香を捧げよう。)
ああ、わかった。書類は……なんて言うと思ってんのか!甘いモンの食いすぎだろ。
ッチ、アイツ等…もっと書類は丁寧に扱えっつーのに。こっちは自由帳かって、ふざけやがって…ったく。(ぐちぐちと一人口が止まらないのは目の前に広がる、なんとも酷い報告書のせいに他ならない。一つ一つ整理しては印を押して殆ど使い物にならないものとなっているのだが、それはまた書き直させようと心に誓って。後は明日の予定の確認をしてそれから…。考えて出た深いため息はほぼ無意識だった。この一連の流れはまるで繰り返されているかの如く体が変に慣れてしまっているようだ。肩を抑えぐるりと腕を回せばごきりと嫌な音がしたがこれもだいぶ慣れ親しんだ音のようにも聞こえる。―ふと、聞こえてきた足音にそっと意識を向けてみれば次いで聞こえてきた声には、やはりと言いたげに息を抜くことになるのだけれど。)だろうな、こんな時間まで起きてるヤツって言やァ俺かテメェみたいなモンだ…ってオイイィ毎度セリフと同時に開けんなって言ってんだろうが!(開いた襖から覗いた顔に思わず声を荒げるもののすぐに抑えては「何度も言わせんな」と吐き捨てるように言えば眉間に皺を濃く作って。)ッチ、悪かったな。…アイツ等がちっとでも丁寧になりゃ多少俺の仕事量も減るんだが。(彼が優秀で信頼できる医師であることは十二分に理解しているからか、体調の件で話をされれば勝てる気はさらさら無い。のだけれど、ちらりと見た顔、目許に乗っているそれに眉をあげて息を吐く。「今のお前にゃ、」言われたかねェよ。―そう続けようとした言葉は彼の手招きによって途切れて。ああ、やられたな、なんて感じてしまう。ふっと息を吐いて仕方ないと言いたげに重たい腰を上げたのだけれどその顔の口許は少し緩んでいるに違いない。)ちょうど、一服しようと思ってたとこだ。(そうして肩を並べて腰かけた縁側の空気は篭った部屋よりも居心地が良くて、いい気分転換だと煙草に火をつけた。主な愚痴の内容と言えば一番隊隊長である男の話を中心に、任務の話や、軟派な彼に対する注意だったり、こうして二人で一服することは初めてではないけれど案外話すことは尽きない。彼が話し上手聞き上手だからなのかもしれないが。ふうっと何もない空間に向かって息を吐けば紫煙は月の方へと昇っていく。)は、そりゃ光栄だ。まぁ、医師としては褒められた時間ではないんだろう、…!(彼の口説き文句は、誰にでも伝えられる軽いものなのだと、慣れた様子でへいへいと聞き流そうと彼の方へと顔を向けたのなら縮まった距離に瞬きを一度二度。淡い色の瞳に映る自分は思っている以上に驚いている表情をしていた。)……、オイ。(砂糖のように甘い言葉は、恥ずかしさを感じるよりも、彼の本心を探るような意味を探してしまって。それから奥から感じる何か、寒気にも似たようなものに思わず顔を歪めてしまったのだけれど。 離れた顔に隠すこともせずに舌打ちをプレゼントしてやろうか。)あのなァ、そういうのに落ちんのは女だけだ。それも一部。…お前も貧弱なんだ、あんましすぎると…アイツ等も黙っちゃいねェぞ。(いつも通りだ。変わらない。逃げられる前に一言忠告を。 とんだ置き土産と共に置かれた香りにふっと緩められた表情は優しいものになっているのだけれど、きっと誰にも気づかれないだろう。)―どうせ、冗談だろう。 (煙草の火を消したのなら、本日はここまでにして床へ就くことにしようか。冗談だろうけれど、もしもの時のために、なんて。)
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