図書館暮らし。



 わたしは図書館で暮らしたい。


 この世で一番何が嫌いかって、図書館が閉まるときに流れるあの音楽だ。
 まだ本を読み続けようとする人間たちをやんわりと追い出そうとする、あの何とも言えない寂しい音楽が館内に流れ始めるとどことなく心が落ち込む。
 あの音楽はあれに似ている(というよりも、ほとんど同じものだろう)、小学生の頃、五時になると町のどこからともなく流れていたあの音楽。あれももう帰る時間、という目印となるものだったのだろう。もう遊びは終わりだよ、家に帰ろう。夕日も落ちてあたりが暗くなっていくときに流れるどことなく哀し気な音楽と夕暮れの赤らんだ地面のコントラストが目の裏に蘇る。まだ帰りたくないと思っていても何かがそっと背中を強く押してくる、あの問答無用さ。

 わたしは休日のほとんど図書館で過ごしており、基本的に開館時間と同時に図書館に足を踏み入れる。
 少しでも時間を無駄にしないようにとの気持ちからだったが、図書館にいると驚くほど時間が経つのが早い。ちらちらと時計を見ては「まだこんなに時間がある」と安心し、時間が経つにつれ「もうあとこのぐらいしかない」と焦る。閉館時間の二時間前からそわそわしている。わたしの町の図書館は午後六時に閉まるから、針が四時を差している時点でもう心はげんなりしている。  


 わたしは読んでいた本をテーブルの上に置いた。
 そしてその横にぺたりと頬をつける。
 目を瞑り、ひんやりと冷たい感触を感じながら――図書館に暮らせたらどんなにいいだろう、と夢想する。


 もし図書館に暮らせたら。
 静まり返った世界はわたしを日夜包み込んでくれるだろう。
 図書館を一歩出た世界はあまりにうるさすぎる。
 現実世界から、テレビの世界から、ネットの世界から、あらゆる情報と音と声とが耳や脳に突き刺さり、喧騒に包まれた世界はわたしを静かに弱らせる。

 かつては大好きだった書店ですらいまはあまり行けなくなってしまった。
 特に大型の書店は、一歩店内に足を踏み入れると、情報が濁流のように溢れてくる。さまざまな色を使ったカラフルなポップに、どうにか本を買わせるために目を引くような大袈裟な文句の書かれた帯。これが何万部売れた。これはどのように売れている。だから買わなきゃいけないよ。
 本だけが並んでいるはずなのに、うるさい。目がちかちかしてしまう。
 わたしはその本が何万部売れたのか、映像化しているかなどは別に知りたくはないのだ。あの小説の登場人物を演じる俳優がどれほどイケメンか、どれだけ旬なのか、誰が監督をしているのか、その映像化は成功したのか失敗したのか、誰がこの本を推薦しているのか。そんなことはどうでもいい。
 わたしが知りたいのは、この本を取って開いたときにわくわくできるのか、本の文章に触れたときに胸がときめくのか、その物語はわたしを引き込んでくれるのかという点のみだ。それ以外は別に知りたくはない。
 それを知るためには、わたし自身が手に取り、そして本を開く。ただそれだけでいい。
  

 図書館で朝、目覚めたとき、わたしはまずはじめに何を読むだろう。
 わたしの住んでいる図書館にはありがたいことに本を読みながら食事をできるスペースが設けられている。あらかじめ用意していたポットを館内のコンセントに挿しカフェオレを沸かす(わたしはコーヒーが飲めない)。そして朝から重い本を読むのは気が引けるので、おそらく棚から取り出すのは雑誌だ。
 それを飲食スペースのテーブルの上に置き、ゆったりとカフェオレを読みながら、雑誌を読む。
 小腹が空いてきたら、これも用意していたパンを持ち出し、もそもそと食べだすだろう。本に囲まれた中での朝食を格別で、いつもより美味しく感じられるに違いない。雑誌からも情報は溢れているが、ゆったり朝食を食べながらゆっくり読むぐらいならばほどよい刺激になるだろう。


 図書館の開店は朝の十時だ。
 それまでにわたしは朝食を済ませ、身を隠さなければならない。
 図書館に暮らしていることをわたしは誰にも言わないだろうし、頑なに隠し通すだろう。
 出勤してきた図書館で働く司書の人たちに声を掛けられたらたまったものではない。開館時間の一時間前には地下の閉架室に身を潜める。そのあいだ、閉架室で気になった本――たぶん古典作品あたり――に目を通して時間を潰す。
 十時になってしばらく経ってから、わたしは何食わぬ顔で上に出る。まだ開館したばかりの図書館にはまばらな人影しかないだろう。
 平日に来ている人たちは、いったい普段どういう仕事をしているのだろうかと気になる。平日休みの仕事なんだろうか、それともいまは仕事をしていないんだろうか。テーブルに参考書やノートを広げているのは資格習得のためなんだろうか、それとも小説家でも目指しているんだろうか。
 決してお互いに口を利くとはないけれども、この図書館にいるというだけで奇妙な仲間意識が芽生える。何を目指しているのかわからないけれども頑張ってくださいと勉強している後ろ姿に心の中で呟いてしまう。

 

 わたしのよく行く図書館は出来たばかりで綺麗なのにも拘わらず、田舎なのでいつも人が少ない。だからいつも落ち着いて本を読むことができる。
 最近よく目を通しているのは、偉人の伝記の本だ。ただ事実だけを述べるだけではなく綺麗な文章で綴られる情景や人物の描写をされているこの伝記のシリーズを読むと心が洗われる。
 昼食は、飲食をできるスペースで、近くの店で買ってきたお弁当やパンを食べる。ご飯を食べるときだけは携帯にイヤホンをつけて、ネットで配信しているドラマや映画を見ることにしている。本ばかりを見ていると疲れてくるので、ちょっとした息抜きだ。
 食事が終わればまた本を開く。それまで知らなかった知識や柔らかく美しく鋭い文章がわたしの身体にはいっていく。

 そうして過ごしていれば、あっというまに時間は過ぎる。
 だが今のわたしは図書館に暮らしているので、なんの焦りもなく本を読んでいられる。
 閉館の音楽が流れる前に、わたしは再び閉架室へと身を隠す。そして人がいなくなり、図書館が完全に閉まってから、わたしはまた上の図書スペースに姿を現す。
 夜の図書館。暗闇に佇む本は、そのときだけは、すべてわたしのものになる。

 夜、寝る場所は決めている。
 この図書館で唯一、畳を置いてあるスペースがあるのだ。そこは多目的スペースと言われて、畳の上に小さなテーブルが置かれており、『使用したいときはスタッフをお呼びください』との張り紙が入り口に張られているが、いまだに誰かが使っているところを見たことがない。
 それなりに広いから、わたし一人が寝るには十分だ。この部屋の中にあらかじめ隠していた寝袋を引っ張り出し、広げる。寝る前に、昼間に読みきれなかった本や、気になっていた本を何冊か持ってくる。
 それを寝袋に寝転がりながら読んでいく。眠くなってきたら、枕元に読み途中の本を置く。
 この本は明日また読もう。わたしは幸福な気分で目を閉じる。あしたの予定はこの本の続きを読むだけ。ただそれだけ。
 それは何と幸せなことだろう。

 

 

 そんなことを考えていると、ふと、耳の中に何かが入ってきた。
 いつもの、あの音楽だ。
 目を開いて携帯で確認すれば、もう閉館の時間の五分前を差している。
 わたしは立ち上がり、荷物を片付ける。十冊までと言われている貸出の本をまとめてカウンターに持っていく。
 すっかり暗くなってしまった図書館の外へと足を出すときに、一つ、息をつく。


 わたしは図書館で暮らしたい。




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