彼がお嬢様と呼ぶ理由

――私、リリィ! ジジーロン、今日から貴女は私のポケモンよ!


昼下がりの午後。窓から入り込む日差しにうとうとと頭を揺らしていたじいは、僅かに聞こえた声に目を開ける。

……夢を見ていた。懐かしい夢だ。



◆◇◆



ある森の奥、広大な屋敷内に少女の弾んだ声が響き渡る。


「うーん、そうねえ……あっ、そうだわ! 私のお屋敷、まだ執事がいないの! ちょうどいいから、あなた私の執事になってくれない?」
「……執事、ですか?」
「そう! パパもママもきっと喜ぶわ! あっ、だから言葉遣いもちゃんとしなくちゃダメよ? これからは、"ですか"じゃなくて"ございますか"、ね!」


はあ、とよく分からないまま返事をする彼に、リリィと名乗った少女は楽しそうにくるくると表情を変える。

――彼女に出会ったのは、ほんの数分前のこと。森の中で身体を休めていたとき、彼女は現れた。

自分の姿を見るや否や、目を煌めかせる彼女。強引に…というよりも強制的に、彼女の屋敷へと連れてこられ。ポケモンの姿のままでは入ることが出来なかったため、仕方なく人の形に姿を変えると、彼女はまた大きな目を嬉しげに瞬かせていた。

そして、彼女からの注意を受け――今に至る。


「そうだ、名前も必要よね! うーん、どうしようかしら…見た目もそれっぽいし、じいと呼ぶことにするわ!」
「それっぽい…ですか」
「あっ、だから"ございますか"、だってば! 私のことは、そうねえ……お嬢様と呼んでちょうだい! ふふ、これもそれっぽいから!」
「……自分でお嬢様と言わせるなんて、珍しい方で…、ございますね 」


彼はまた、危うく言いかけた言葉を飲み込んで、かしこまった執事の返事をする。それに満足したのか、彼女は白い歯を見せて満面の笑みを浮かべた。じいと名付けられた彼はその笑顔に暫し目を丸くしていたが、つられるように目元を緩める。

……まあ、暇を持て余していたし、この子の傍にいるのは楽しそうだ。


「……本日からよろしくお願い致します、リリィお嬢様」
「まあ、じい! やればできるじゃない! とっても素敵よ!」
「ふふ、ありがとうございます」
「うーん…そこは、"ほっほ"の方がそれっぽいと思うわ」
「……笑い方まで強制されますか…」



◆◇◆



しばらく彼女と過ごして、いくつか分かったことがある。

彼女は名家育ちで、正真正銘のお嬢様だということ。親は外出することが多く、独りで過ごす日が多いこと。……それから、彼女には大きな夢があること。


「じい、私ね! どうしても叶えたいことがあるの!」
「叶えたいこと、でございますか」
「そう! 私、ポケモンが大好きなの。だから、この屋敷をポケモンでいーっぱいにするのが、私の夢!」


ソファの上に立ち上がって、腕を大きく広げながら語る彼女に、彼はにこりと微笑む。金色の髪を揺らして夢を紡ぐ彼女は、心からポケモンのことを愛しているようだった。


「……お嬢様ならきっと、叶えられますでしょう」
「ほんとに!? ほんとにそう思う!?」
「ええ、それほどにお強い気持ちがあるのならば」


ピョンピョンと跳ねて、抱き着く彼女の頭に手を乗せる。顔をほころばせて喜ぶ彼女は、本当に嬉しそうで。天真爛漫で無邪気な彼女になら、ポケモン達も自然に集まってくるだろう、とそう思った。



――しかし、志半ば。
その夢は夢のままで終わることとなる。
不運の事故だった。

彼女が森の中を歩いていたとき、足を踏み外し急斜面から転落してしまったのだ。幸い、命は取りとめたものの、その後遺症は重く。脊髄を損傷した彼女は、車椅子での生活を強いられることとなった。……もう自由には動けない、下半身麻痺だった。


「じい、まだ気にしているの? 私は大丈夫だってば!」
「……本当に、申し訳ございません。あのとき私が傍にいれば、このようなことには…、」
「もう、私が勝手にしたことなんだから、気にしないでって何回も言ってるでしょ? ……ほんとはね、美味しいきのみがあったから、それをじいに食べてほしかったの。でも、結局あげれなかったわ! ふふ、私ってば、間抜けね…!」


車椅子の上で、気丈に振る舞う彼女の目から涙が溢れた。……知らなかった、自分のために彼女が動いていたことを。彼女を守れなかったことへの後悔と、なおも笑い続ける彼女を見ていられなくて、そっと彼女の頭を包み込むように抱きしめる。


「……じい? どうし…、」
「お嬢様、泣きたいときは泣いていいのです。何も、我慢することはございません。……さぞ、お辛かったでしょう」
「……っ、うう…、じい…ッ! 私、もっと歩いていたかった…、っ! 色んな景色を見て、色んなポケモンに出会って、っ……あなたと、もっと色んなこと、したかったよ…ッ…!!」


彼女の泣きじゃくる声が、広い部屋にこだまする。よく笑う彼女の、初めて見る姿だった。



――幾年が過ぎ、彼女は帰らぬ人となった。
彼女が泣くのを見たのはあの日以来一度もなく、老いて命尽きるまで笑顔を見せていて。本当に、彼女らしい最期だった。

人間には、寿命がある。永く生きることの出来る自分とは違い、その一生はとても短い。分かっていたことではあったが、彼女と過ごす楽しい日々はあまりにも――例えようのない程、短い歳月だった。

残された屋敷で幾度となく月日を過ごし、中庭の隅に立てられた墓の前で、今日も手を合わせる。


「……リリィお嬢様。私は貴女に出会い、最期までその時を過ごすことができて、本当に幸せでございました。これから先も、お嬢様のことをお慕い申し上げております」

墓の側に咲く1輪のユリの花が、それに応えるかのように、風に吹かれて花弁を揺らした。


◆◇◆



数十年前の記憶を懐かしんでいたじいは、リビングの窓から見える風景に目を送る。そこには、たくさんのポケモン達に囲まれる、しずりの姿があった。

姿も性格も。まるでリリィとは正反対の彼女だったが、彼女はリリィと同じく優しい心を持っていた。そして、ポケモンを愛しているということも。

戯れる彼女にリリィの姿を重ね、彼はにこりと微笑んだ。きっと、彼女には出逢うべくして出逢ったのだろう。リリィが彼女を、自分のところへ連れてきてくれたような、そんな気がした。

――次こそは守れるようにと、そう心に誓って。


「……夢が叶いましたね、リリィお嬢様」


慈しむように見守る彼の目からは、一筋の涙が溢れ落ちていた。

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