こわいこわい、泣き虫小夜。
言われ続けてひとりぼっち。
――どうしてみんな、離れていくの?
「ははっ、バカ小夜! お前何回引っ掛かってんだよ! マジうけるわ」
「バカはお前だ! あとで食われても知らねーぞ……!」
「ああ、そうだったな……この辺にしとくか。まだ死にたくねーし」
深い溝の底。
丸く切り取られた空から、二人の少年の影が覗き込む。一人はケタケタと嘲笑うように笑って、もう一人は恐れを映した顔で笑う彼の肩を引いていた。
数分前、彼らに遊ぼうと誘われて。
辿り着いた先は、落とし穴の中だった。
「さ、小夜、そんなことしないよ…! ただお友達になりたくて、っ」
「うっせー! でけえバケモン隠し持ってるくせに、よく言うぜ! いつか俺達を食うつもりなんだろ、湖のぬしさんよお!!」
「……っ、ちが、」
「煽ってどうすんだよ…! さっさと行こうぜ」
途中まで言いかけた言葉は、ばさり、と落とされた砂によって掻き消される。地面を蹴り上げたのだろう、立ち上がって笑う彼は蔑むような目でこちらを見下ろしていた。
目が痛い、喉がむせ返る。ざらりとした感触が口の中に残って、気持ち悪い。怯える彼が笑う彼に耳打ちして。そのまま去りゆく二人を引き止めようとしたけれど、言葉は喉の奥に引っ掛かって、代わりに出たのは咳き込む音だった。
二人の影が消えて、綺麗に映る空を見て、ぼろりぼろりと涙が溢れ出る。足に付いた傷とか目に入った砂のせいじゃなくて、これはきっと…、
「……また行っちゃったね、お魚ちゃん。今度は、お友達になれるって、おもったのになあ……っ」
口にした言葉が、背けたい現実を告げてきて。緩んだ涙腺から、止めどなく涙が流れ出た。声も抑えずに、胸の内から込み上げてくる悲しみを押し流す。でも、それを心配する者なんて、誰もいない。暗い穴の中、慰めてくれるのはいつも付き添ってくれている周りの魚たち、ただそれだけで。
「……さびしいよお…っ、お魚ちゃん…」
――せせらぎの丘のぬしポケモン、名前は小夜。
島巡りをするトレーナーの試練として、彼女はこのせせらぎの丘で彼らと戦う使命を任されていた。
数いる同じ種族の中で、泣き虫で戦いを好まない彼女が何故、選ばれたのか。それは、彼女が常に"群れた姿"をしていたから。
生まれたときから共にいる彼女の仲間たちは、人の姿になることは出来ないが、彼女が怪我する度に守ってくれて。心配する彼らに守られながら育った小夜にとって、もはやそれが彼女の当たり前の姿だった。
たまたまその、彼女の強大な姿を見た島の守り神は、彼女を挑戦者の試練として選任する。神に選ばれる、それはとても誇り高いこと。彼女に不安な気持ちはあったものの、そのことに嫌な気持ちはなかった。
――だがそれは、彼女にとって悪夢の始まりとなる。
普段は人の姿で過ごしている彼女。元の姿からは想像もつかないほど、その身体は小柄で周りの誰もがそう信じて疑わなかった。……彼女が、元の姿を見せるまでは。
せせらぎの丘のぬしとして、挑戦者と対峙するとき。そのときだけは、彼女も元のぬしたる姿に成り変わる。深い青を纏った他の者を圧倒する巨大な出で立ちと、湖の水を飲み込んでしまいそうなほどの大きな口。島巡りをする者たちは、その迫力ある姿に嬉々として挑んだが……その湖や近くの森に住む彼らは、それとは違う反応を見せる。――自分の数倍も大きなその身体に、彼らは怯え、彼女に恐れをなしてしまったのだ。
それ以降、明らかに距離を置くようになった彼らに彼女も少しずつ気づき始める。彼女が近づけばそそくさと散っていき、視線すら合わせようとしない。中には、そのないがしろにする行為がエスカレートして、彼女を虐げる者もいた。
そして、今日もまた。傷つけられて、騙されて……しくしくと涙を流す彼女は、光の途切れた暗い場所で独り寂しく泣きわめく。助けてくれる人なんて、いないのだ。この先、これからもずっと。
――そう、思っていた。
「……おい、お前何してんだ。そんなとこで」
「えっ…?」
ふと、頭上から声が聞こえた。口調からして男の子かと思ったが、見上げた先にいたのはさらりとした白髪を肩くらいの長さに揃えた、目の丸くて可愛い女の子。木漏れ日の影を映すその髪は、風に揺られてはらはらと空を舞う。ビー玉のような綺麗な瞳をしたその子に、溢れていた雫はピタリと止まってしまった。
「穴に落ちたのか? ったく誰だよ、こんなでけー穴掘ったの……ちょっと待ってろ、今引っ張りあげれそうなモンを…、」
「だっ、大丈夫だよ! 小夜、自分で上がれるから! そ、そこから動かないで…!」
ブツブツと呟いて穴の縁から離れそうになった女の子を慌てて引き留めると、その子は逸らした視線をこちらに戻してコトリと頭を傾けた。疑問を浮かべて覗き込むその顔に、ほっと安心する。離れたらそのまま戻ってこないような気がして……せっかく話しかけてくれたその子の姿が見えなくなるのは、すごく不安で嫌だった。
小夜が付き添いの仲間たちに合図を出すと、彼女の身体に掛かるカーディガンの裾から、解れるように青い彼らが次々と姿を現す。そして、彼らはその身を再び合わせ、高く高く連なり穴の外まで顔を出した。地下と地上を繋げる架け橋となった彼らを、彼女は一歩一歩と淀みなく登り始める。それを上から眺める彼女は、驚きに満ちた顔で目を丸くさせていた。
「……出れたんなら、何で今まで出なかったんだよ」
「だ、だって……」
「つーか、足怪我してるし。……仕方ねえやつだな、こっちに傷に効く薬草があるからついてこい」
登った先にいた女の子と対面すると、その子は伸ばした袖でぐりぐりと顔に残っていた涙を拭き取って。少し痛かったけど、嫌だとは思わなかった。
まみれていた砂で汚れてしまった袖を彼女は気にしたようすもなく、小夜の手を引いて目的地も告げずにスタスタと歩き出す。小夜は自分より僅かに高い彼女の背を見つめながら、大人しくその後ろをついていった。
――歩くこと数分、彼女は年季の入った大木の前で立ち止まる。彼女の目的は目の前に壁のようにして佇むそれ……、ではなく。その下に隠れるようにして生えた、他のものよりも厚みのあり端々に小さなトゲを纏う植物だった。
彼女は慣れた手つきでパキリとひとつ折り、丁寧にその皮を剥いで果肉の部分を外に出す。小夜の足の傷口の砂を軽く払ってそのままそれを塗ると、やや粘りけのある透明な液体が傷を覆うようにして膜を張った。
「……なあに、それ?」
「知らねーのか? アロエ、ってやつ。殺菌効果があって傷が治りやすいんだ」
「そうなんだあ……小夜、このくらいの傷、我慢できるよ。気にしなくても、いいのに…」
「バカ、痕になったらどうすんだ。お前は女なんだから、ちゃんと気にしろ。アロエ塗っとくと傷痕も見えにくくなる、覚えとくといい」
自分でも気にしないようなこと。でも、その子はダメだ、と強く叱りながら、黙々とあちこちにある薄い擦り傷にそれを塗っていく。そして、最後のひとつ。全ての傷に塗り終えたらしいその子は、「よし」と満足げに腰をあげる。そのあと、今度は手ぐしで髪の毛を整えてくれて。その子の柔らかそうな白くて長い睫毛をぼんやりと眺め……ふと、その子の名前が気になった。
「……ねえねえ、お名前…なんていうの?」
「名前か? あたしはしずりって名前だ。お前は……、小夜、とか言ってたか?」
「うん! 私、小夜っていうの!」
彼女が名前を覚えてくれていたことが嬉しくて、小夜はにぱりと頬を緩ませる。感じたことのないくらい、楽しくて幸せな時間。――だが、その胸に一抹の不安が過る。
今は人の姿だから、彼女は助けてくれたのかもしれない。本当の姿を知ったら、彼女も逃げ出してしまうのかも、しれない。……でも、彼女に嘘をつくのは何となく嫌で。
小夜はそろりそろりと、消え入りそうな声で問いかけた。
「……ねえ、しずりちゃん。しずりちゃん、は……小夜のこと、こわくないの?」
「怖い? 何でそんなこと気にするんだ、別に怖くはねえだろ」
「……でもね、みんな小夜の元の姿見るとこわいっていうの。せせらぎのぬしは、でかくてこわいバケモノだって。みんなみんな、こわがるの」
特に怖いと思うようなところは見当たらない小夜に、彼女は不思議そうに眉を寄せていたが……"せせらぎのぬし"、その言葉を聞いて何かを察したように口をつぐむ。
ここに住む者なら、その存在は誰もが知っていた。周りの木々と負けず劣らずな大きな姿、地を這うような唸り声。それを知らないでいる方が難しい。ぬしとはいえ、まだ幼い少女にとって周りから向けられた拒絶の目は……きっと相当辛いものだっただろう。
唇をぐっと噛んで、こぼれそうな涙を堪える小夜の頭に、彼女はそっと手を乗せた。
「……そうか。でもな、知ってるか小夜。世の中には、お前よりでけえポケモンは他にもいるし、お前より怖いポケモンだって山程いるんだぞ?」
「……そう、なの…?」
「おう、そうだ。それに、そいつらがビビってるのは、今までにお前ほどのでかいやつを見たことがないからなんだろ? ここにいる誰にもないものをお前は持ってる、それはすげえことだ。だから、もっと堂々としてろ」
諭すような声で、ゆっくりと。落ち着かせるように頭を撫でる彼女は、元の巨大で恐ろしい容姿をすごいと言う。その声があまりにも、優しくて。抑えきれなかった涙がぽろりと一粒、こぼれ落ちる。ひとたび流れたそれは次々と溢れてきて。堪えきれない思いが、ぼたぼたと頬を伝って地面に染みをつけていった。
「う、うああんっ…、っしずりちゃ、ん……あり、がとう、っ……!」
「……別に、礼を言われることをした覚えはねえぞ」
わんわんと声をあげて、涙を流して。衝動的に飛び付いてきた小夜に彼女は少し驚きながら、あやすようにその小さな背中をさする。
その間、彼女はずっと黙っていたけれど……そのやわりと包む腕の中はとても暖かくて、すごく心地がよかった。
「……あのね、しずりちゃん。小夜……、しずりちゃんのお友達になりたいの」
「……友達って言ってからなるもんなのか? まあでも、お前はほっとくと傷だらけになってそうだからな。仕方ねえから、一緒にいてやる」
「ほ、ほんとう!? やったあ〜! えへへ、しずりちゃん……大好き!!」
「…泣いたり笑ったり忙しいやつだな……」
気が済むまで泣いたあと。小夜はぐすぐすと鼻をすすりながら、少しの寂しさを残してそろりと彼女から離れる。そして、もじもじと指を遊ばせてぎゅうっと目を瞑り、やっとの思いで願いを告げると。一時の間を開けて、渋々といった調子の言葉が返ってくる。
その声にたまらず顔を上げると、そこには"仕方ない"というわりに柔らかく笑みを浮かべる彼女がいて。ゆるりゆるりと喜びを作っていく小夜は、違う涙を滲ませながらまた彼女に抱きつく。困ったように笑ったしずりが見上げた空には、雲と雲を繋ぐかのような綺麗な虹が架かっていた。
こわいこわい、泣き虫小夜。
言われ続けてひとりぼっち。
――でもね、それも今日でおしまい。
だって小夜、大好きなお友達が出来たから!