第二章(2/11)


「なんだってあいつ等はこう……ちっとも落ち着いて居られねぇんだ……?」

兵太は先刻から、もう何度目かも分からない溜め息を吐いた。
船のゆったりとした動きが天井に吊るされた電灯を揺らし、兵太の疲弊した表情を色濃く映していた。
絆優はそんな彼を見て、昼間の表情より顔の皺が深くなっている様だ、と心の底から心配した。
現在この倉庫内に残っているのは絆優と兵太のみの、二匹だけである。
兵太から少し離れた場所に座る絆優は、ぼんやりとこの場から去って行った四匹の身を案じた。

先ずこの倉庫から飛び出して行ったのは先程声高らかにここを出て行くと宣言した黎明。そして智秋である。
何故かすぐに打ち解けた二匹のジュペッタは、仲良く元気に倉庫の外へと飛び出して行った。
曰く、探検だとか。
兵太は血相を変えて二匹を止めたが、そう簡単に引き下がるジュペッタ達ではない。
最終的には根負け……否、見つかっても知らないぞという半ば見限った形で、兵太は二匹を見送ることとなった。
取り敢えずのところ、彼等はゴーストタイプであることから特性で浮遊が出来る上、壁抜けも可能だ。人間を前にしても自身の姿を眩ますことは容易いだろう。
係員に見つかり捕まるなんてことは、無いと信じて良い…………というのが、兵太が自身に言い聞かせた、自分なりの言い訳である。

……そして。
そんな二匹を見送った後、自分も倉庫を出たいと言い出した者が居た。陽である。
自身のパートナーであるミツキが心配な為、立食会の会場まで様子を見に行きたいのだという。
陽にとってミツキは唯一のパートナーだ。彼が心配する気持ちは、確かに汲んでやりたい。
しかし、まとまって行動した方が良いこの事態にも関わらず、二匹のジュペッタが今、この場から離れてしまったばかりなのだ。そう簡単に統制を乱す訳にはいかない。
そう兵太が固く結んだ口を開こうとした時、その思案を揺るがす一言を、あるポケモンが発した。
新だった。
陽のイリュージョンを使ってしまえば、見つからないに決まっている、と。
兵太にとって予測していない一言では無かったが、兵太は思わず、がっくりとうな垂れた。
恐らくそれを言った新自身が、ここから外へ出たいと思っているのだろう。彼のきらきらとした眼差しと先の発言で、それは手に取る様に分かってしまった。
それが兵太には、酷く堪えたのだった。
今ここで留めたとしても、彼が再び出たいと言いだすのは時間の問題だろう。
半ば自棄になりながら、兵太は二匹へ再三の注意を促して見送った。
陽には陽自身と新の身を隠すことを優先すること、そして新には、勝手に好きな所へ行かず陽と常に行動を共にすることを約束させ、破ったら渾身のブレイブバードを見舞うと念を押した。
二匹は喜び勇んで、部屋を後にしたのだった。

……以上が、この倉庫に辿り着いてから十分足らずの出来事である。

「はぁ……」

「……」

深い溜め息を吐く兵太と、それをおどおどと見つめる絆優。
実のところ、絆優は陽や新が立食会の会場へ赴くと言った際、内心着いて行きたくて仕方がなかった。
そばにゆのが居ないなんて、不安で死んでしまいそうだ。実際、今だって泣きそうなのである。
それに一緒に選んだドレスに、自分が整えた髪型。そんな姿できらびやかな世界に身を置く二人を、一度この目で見てみたかった。きっと素敵に違いない、と。
しかし兵太のいう通り、今は他の人間に見つかるリスクの方が高くて恐い。もし見つかってしまったら……と考えるだけでも、心臓が縮み上がりそうだ。
更に付け加えると、兵太渾身のブレイブバードが恐い……というのも正直な本音である。これは彼女にとって、大きなトラウマとなってしまった様だ。

「……はぁ」

今度は絆優が小さな溜め息を吐いた。
それに気付いた兵太は、ぼりぼりと頭を掻いた。

「ああ。絆優嬢、あんたも外へ出たかったのかい?」

「ええっ!? いえ、そんなことは全く……!」

「ふむ……」

兵太は一度腕を組んで、絆優の瞳を見た。
相手が嘘をついているか見定めるときの、兵太の癖である。主にフウロの前で出る癖だ。
……結果、絆優が嘘をついていることが分かった。
何か彼女が楽しめる話題でも振れることが出来ればなあ……と、兵太は困った様に唸った。
一方の絆優はというと、そんな彼をみて自分が何かしたのかと気が気でない様子なのだが、兵太がそれに気付くことは今のところ無いだろう。

「あー…、えーと。絆優嬢達はたしか、ホウエンから来たんだってな。長旅で疲れただろう」

どうやら絆優の故郷の話をして、彼女にリラックスしてもらう作戦らしい。

「へ!? え!? は、はい! そうです、けど……!」

驚きながらも、絆優は兵太の質問に応える。

「疲れることは、なかったです……」

「ほう。そうなのか」

意外な絆優の返答に、兵太は興味深そうに頷く。

「ひ、飛行機、最初の時は怖かったんですけど、その、空からの風景がとても綺麗で……。私は、素敵だと思いました。私が自分で飛ぶよりも、ずっと高い所を飛んでいたので……」

「そうか、確かになあ。いくら飛べるとはいえ、俺達だってあんな高い所まで飛ぶことは無いからなあ……」

兵太はしみじみと頷いた。

「どんな景色が綺麗だったんだい?」

「え、ええと……。いっぱい、あります……。私達は夜に出発したんですけれど、街の夜景が、きらきらしていて素敵でしたし、明るくなってからも、青空や雲の色がいつ見ても変わっていて、とても綺麗で……」

「へぇ、絆優嬢は肝が据わってるんだなあ。俺は若い頃、飛行機なんてもんは大っ嫌いで、外の景色を眺める余裕なんて無かったんだがなあ……」

「ええっ。兵太さんが、ですか……?」

「ああ。自分で飛んでいないのに空に浮いてるっていうのは、そりゃあもう気持ちが悪かったね。今はモンスターボールに入っていれば平気なんだが、それでもまだ慣れないなあ……」

「そう、なんですか……」

兵太にも苦手なものがあると知り、驚きを隠せない絆優。
そんな彼女の様子を見て、兵太は可笑しそうに笑った。

「こんな身体の大きいじじいが苦手にしてるもんが、絆優嬢にはどうってことないんだ。凄いじゃねぇか。そんなびくびくしてねぇで、気楽に話してくれよ。俺が参っちまう」

がははと豪快に笑う兵太につられて、絆優も少しだけ笑顔を浮かべる。
中々に緊張していた絆優の表情が緩むのをみて、兵太は安心した。
内に秘める感情というものは大抵、相手に伝染する。良い感情も悪い感情も全ては無意識のうちに相手へと伝播し、そして自然と相手も同じ感情を自分に返して来る。そういうものだ。もしそれを覆すことができるなら、そいつは演者か病人なのだろう。
自分も心なしかこの少女に対し、緊張して接していたのかも知れないなあ、と兵太は頭を掻いた。

「ホウエンはいいところだよなあ。空気が綺麗だし、ずっと温かい風が吹いてる」

「そう、でしょうか……?」

「そりゃずっと住んでるんだから気付かねぇよなあ。羨ましいぜ……」

「兵太さんは、その、ホウエン地方にいらっしゃったことがあるんですか?」

「ああ、何度かフウロに連れられてな。ホウエンにナギっていう鳥ポケモンを使うジムリーダーが居るだろう? 彼女に会いに行くんだよ」

仕事なのかプライベートなのか、よく分かんねぇけどな。そう言ってまた困窮した表情で兵太は頭を掻いた。
そんな彼を見て絆優は、ほあー、とよく分からない相槌を打っていた。
フウロという人物について知らない絆優にとっては、あまりぴんと来ない話であった。

「絆優嬢は、今回がイッシュ発上陸なんだろう?」

「えっ、あ、はい」

「そうかあ。イッシュも良い風が吹くんだが、街の臭いがなあ……。お嬢さん達はこの船以外にどこか、イッシュで行きたいところはあるのかい?」

「いえ、特には……」

うつむきがちに応える絆優は、そっと続けた。

「ゆのちゃんが行くなら、どこでも……」

それを聞いた兵太は一瞬驚いた顔をして、すぐに笑った。

「そうかそうか。絆優嬢は本当にあのお嬢さんのことが好きなんだなあ」

「はぁっ! 私なんかがどこへでもついて行くだなんて……! なんてことを言ってしまったのでしょうか……っ!」

「うははは、トレーナーとしては本望じゃないのか? いつか本人へ言ってあげなさい」

「ひえっ、そんな! 私、言いませんよ!?」

「うははは」

豪快に笑う兵太に、慌てて言い返す絆優。
そんな二匹の影を、小さな白熱灯の明かりが小さく揺らしていた。
二匹が潜む倉庫の周りは今も、暗がりの中で、神妙な程に静寂を保っていた。
倉庫に近づく者は、誰一人として居なかった。
周囲には誰も、誰も居なかった。
廊下に響くのは波の音と、時折船が軋む音だけだった。

***


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