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14.勇往邁進(咲いづ)

「理想のプロポーズ?」
「はい。よかったら教えてもらえませんか?」

 じっとりと蒸し暑い、梅雨入りしたばかりの夏の夜。不快感をものともせずに一人自主練に精を出している役者の元に夜食を差し入れに行くと、急にそんな話題を振られた。日頃そんな話を積極的にするタイプではない咲也からの話にやや戸惑ってしまう。
 するとそれを察した咲也が「客演先の公演内容からプロポーズの話になって」と後付けで意図を教えてくれる。その理由があまりに彼らしく思わず顔が綻んだ。
 そう言えば夏組の第六回公演のときもそんな話をしたな、と思いつつ、では自分にとっての理想のプロポーズはどんなものだろうかと考える。
 夜景のキレイなレストランで、思い出の場所で、馴染みのある家で……。いろんな場所を思い浮かべてみるが今一つピンとこない。
 ドラマチックなものがいいのか、日常の延長線上にあるような穏やかなものがいいのか、それとも、とあれこれシチュエーションを挙げては首を捻る。そんな作業を十回以上繰り返したところで、回答を待つ咲也が「すみません」といづみの思考を遮った。

「変なこと聞いちゃいましたね。困らせてしまって……」
「ううん、違うよ。ただ自分がプロポーズされるっていう状況がうまく想像できなくて……」

 差し入れに持ってきたおにぎりを一つ分けて貰い口にする。もぐもぐと噛み締めながらもう一度頭の中をプロポーズモードへ切り替えようとするが、やはりうまくできなかった。
 恋愛なんて最後にしたのは数年前――というのは少し前の話。今のいづみには恋人がいる。すぐ隣にいる咲也だ。とは言え、付き合い始めてまだ数ヶ月。なかなか彼からのプロポーズを想像するのはまだ気が早いように思う。

「うーん……」

 唸りながら考え込むいづみ。悩むあまり、自分を眺める咲也の表情が複雑そうなものになっていることに気がついていない。気がついた頃には、咲也は何かを覚悟するように深呼吸を繰り返していた。

「咲也くん?」
「……客演先で話になったのは『毎朝君が作った味噌汁が飲みたい』っていうものだったんです」
「み、味噌汁……」

 それは随分古典的な求婚だ。実際にそんな言葉でプロポーズしたという人が日本にどれくらいいるのだろう。されて嬉しいものなのだろうか、と想像を膨らませていると、差し入れのおにぎりを食べ切った咲也が米粒をつけたままの口元で優しく笑った。

「みんなは『今時そんなプロポーズないだろ』って笑ってたんですけど、俺はちょっといいなって思っちゃって」
「そうなの?」
「はい。衣食住っていうくらいですから、それをこれからの人生一緒に共有しようっていう初めの言葉みたいで素敵だと思ったんです」

 それは納得だ。いづみは頷きながら咲也の言葉からイメージを膨らませる。咲也と毎朝一緒に味噌汁を飲んで始まる朝。暖かな春の日差しのようなこの笑顔に照らされながら食べる朝食は、一日を乗り越えるのには十分なエネルギーをくれそうだと思った。
 しかし目の前の年下の恋人とはまだ交際したて。そんな未来がすぐに訪れるわけではない。事実、咲也はおかしげに笑いながら「監督にプロポーズするなら『カレーを毎日食べさせてください』のほうがぴったりですよね」と言っている。そんなもしも話にさえ胸をときめかせてしまった。
 仕返しに彼の口元に米粒が残ったままだと伝えれば、彼は顔を赤くして米粒を探し始める。その姿に少し胸がすっとした。
 結局なかなか米粒を辿れない咲也の代わりに指でそれを掬ってやる。頬を掻き謝罪しながら俯く咲也。どうやら恥ずかしかったらしい。そんなに照れなくてもいいのにというほど赤面している。
 ただ米粒がついていただけだと言うのに、といづみが励ましの言葉をかけようとして、しかしその言葉は寸のところで腹の中に収まった。

「だけど……」

 真剣な瞳を見れば何も言えなくなってしまう。彼が懸命に、まっすぐに前を見る姿はいつだって自分の心を掴んで離さない。そんな真っ直ぐな彼が次に紡いだ言葉は――。

「……俺は、これから先、記念日にはいつもアナタのナポリタンが食べたいです」

 思いがけない愛の言葉だった。

「ナポリタン……」
「え、えへへ。ワガママ、のつもりなんですけど」

 その言葉に思い出す。そうだ、彼の誕生日を初めて祝った頃に彼へ向けて言った言葉だ。もっとワガママを言ってもいいと。そしてその次の年にはいっぱいのナポリタンを詰めた弁当を持って行って……。
 付き合う前の思い出に浸るいづみに、咲也は照れ臭そうだった。きっと、カレーでも味噌汁でもなく自分の好物であり思い出のあるナポリタンを、とねだったのが彼なりのワガママが気恥ずかしいのだろう。それも『これから先』まで欲しがって。

「俺、少しは上手くなりましたか?」

 そんな自信なさげな彼への返事は決まり切っていた。

「うん、とっても。ねぇ、返事って今してもいい?」
「は、はい!」
「私は……アナタのワガママを世界で一番叶えてあげられる人になりたいです」

 これからも真っ直ぐひた走るだろう彼の一番側にいるための決意の言葉に、彼がそっと手を握ってくれる。じわっと手汗をかいてしまってもその手を離すことは出来なかった。




花の壁