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18.花束(丞いづ)
久しぶりにこの花を見た、と丞は楽屋に届いた花束を眺めた。蝶のような形をした、GOD座時代には鉢植えで贈られることが多かったこの花。公演中は毎日のように見ていたはずなのに、GOD座を抜け小さなこの劇団に来てからは見ることがなかった。
懐かしい一方で、まだ苦い記憶が抜けない前所属の劇団のことを思えば複雑だった。
キラキラとした王子役を演じ、ファンから贈られる花の数々。それを見るとどうしても花に詳しい幼馴染の顔を思い出してしまう。そのせいか意図的ではなかったとしても花を眺めることはしなかったし、世話がまめにできる性格でもなかったからファンからの気持ちだけありがたくいただいて、貰った花のほとんどはスタッフに分けるようにしていた。
そのため、いつも見ていたこの花の名前さえ丞は知らないままだった。
「……なぁ、監督」
「はい? どうかしましたか?」
今日の公演が終わり忙しなく働くいづみを呼ぶ。少しは休んだ方がいいんじゃないかと思うほど彼女はいつも何かしている。GOD座と違ってスタッフが少ないのだから仕方がないのだろうが、それにしても働き過ぎだ。かと言って「休め」と言われて休むようなヤツでもない。
あまり遠回しな物言いは得意ではないのに、と思いつつ、ちょうどよく振れる話もあったので雑談でもしてみようと口を開く。
「この花なんだが、」
「あぁ! 今日いただいたお花ですよね。まだ公演が始まって日も浅いのにさすが丞さん」
「罰にそんな話がしたいんじゃ……」
「春組の頃には役者へのプレゼントの扱いまで考えていなかったので、夏組のときはてんやわんやだったんですよ」
それで左京さんの指導が入って、と自分の知らない、少し前の劇団の話に花を咲かせるいづみに丞は顔をしかめる。確かに雑談をしようと思って、気が休まればと思って話しかけた。しかしこんな一方的に自分の知らない話をされるのは面白くない。
あちらこちらへ飛んで行く彼女が珍しく目の前にいるのだから、と一瞬考えて頭を振る。違う、そんなことが理由で呼び止めたわけじゃない。ただ息抜きに付き合ってやろうと思っただけだ。そんな風に言い訳を並べる。そんな様子の丞に気づかないでいづみは嬉々として思い出話を披露し続けていた。
「それにしても本当に立派な花束ですね。今までで一番大きいかも。丞さんが花に見惚れるわけですね」
今までがどんなものだったのかは知らない。それでも確実に言えることがある。
「別に見惚れていたわけじゃない」
いづみのこの発言だけはとんだ的外れだ。花を貰うこと自体は有難いと思う。応援してくれる人がいるからより良いものを見せたいと思う。しかし、花自体に興味がないことに変わりはない。見惚れていた、など見当違い甚だしい。
「そうなんですか? ずっと見てたのに?」
「懐かしいと思ってただけだ。前の劇団でよく貰った花だったから」
「なるほど。やっぱり愛着がありますか?」
「ないな。それどころか名前も知らない」
「えぇ!? 有名な花じゃないですか。私でも知ってますよ?」
「……それを聞こうとして話しかけたのに、そっちがずっと一方的にしゃべってたんだろ」
じろりと責めるような視線を送る。が、当のいづみは心当たりがないように首を傾げて笑っていた。
「胡蝶蘭ですよ、胡蝶蘭」
「あぁ、それなら聞いたことがあるな」
「でしょ?」
聞いたのは自分なのだが、どこか得意げな顔が憎らしい。思わず憎まれ口を叩きたくなる。公演を終えてただでさえカラカラになった喉が雑談によってさらに乾いて、それでも話すのをやめられない丞は用意された飲み物で口を潤わせてから意地悪く反撃に出た。
「監督でもスパイス以外の植物の名前も知ってるんだな」
「どんなイメージなんですか、私」
「今言ったとおりだ」
「むう。これでも減らしてるのに」
そう言えば春夏組だけの頃はカレー頻度がもっとひどかったんだったか。そうやってまた自分の知らない話になってしまったことが悔しい。どうやったって他の組よりも付き合いが浅いことは当然なのに、それがどうしてこんなに面白くないのか。答えはわかっているのだが、それがあまりに自分らしくなく戸惑う気持ちが大きかった。
「――それにしても、どうしてみんなこの花なんだろうな」
だから無理やり話を変えた。目的の花の名を知ることは出来たし、ちょっとした息抜きには十分な時間は経ったはずだ。それなのに、仕事に戻れと彼女を手放すことができなかった。
「だって、胡蝶蘭ってお祝いの定番じゃないですか」
あっけらかんとして答えるいづみ。それならばと今度はなぜ胡蝶蘭が祝いの花と言われるようになったのか、と更に深く掘り下げて尋ねる。きっと彼女はそんなところまで知らないだろう。本当はこんなことをしなくても、もうじきトイレから帰ってくるだろう幼馴染に聞く方が正確で速いのはわかっていた。
案の定いづみは謂れまでは知らなかったようで「どうして私に聞くんですか」と痛いところを突き始めた。しかし負けてもいられないいので、やっぱりスパイスのことしかわからないのかと煽れば、彼女は悔しそうに口をへの字に曲げながらスマホを取り出した。
しばらくすると、いづみはガバッとスマホから顔を上げた。その顔はまた先ほどのように得意げだった。
「長持ちするとかいろいろ理由はあるみたいなんですけど、花言葉も理由の一つだそうですよ!」
「へぇ。どんな言葉なんだ?」
「『幸せがあなたに舞い込む』。花びらが蝶々に似てるからなんですって」
「まるで監督だな」
「え?」
「……っ!」
うっかり口が滑った。慌てて口元を手で押さえる。
あちらこちらへ飛び回る。そんな彼女の姿こそ蝶みたいで、じゃあ彼女が幸せを運んできてくれるのか。そんな寝ぼけたことを考えたどころか、口にしてしまうなど今日の自分はどうかしている。GOD座時代を思い出したりなんかしたから、あの頃のファンサの癖が顔を覗かせたのかもしれない。
そんな台詞じゃこの女の心は掴めやしないのに、と丞は懸命に言葉を探す。
「落ち着きなくあっちにこっちに走り回って、蝶みたいだって言いたかっただけだ」
「えぇ!? 私落ち着きなく見えてるんですか? 忙しいだけなのに!」
「それにしたってバタバタしてるだろ。あぁ、でも……」
甘い言葉より、甘い笑顔より。こんなくだらない言い争いをしているときの方が――。
「監督の場合は花の蜜よりカレーだから、蝶とは全然違ったな」
「もう!」
よほど楽しそうな顔をするからつい見ていたくなる。
どこにも飛んでいかないでほしいと柄にもないことを思っているうちに幼馴染が帰ってきて、幸せを運ぶ蝶々はまた忙しく羽ばたいていってしまった。