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19.踊る指先(綴いづ)
珍しいものを見た。
近日開催される地元イベントで芝居をして欲しいとオファーを受け、そのうち居合わせの帰り道、落ち着いた雰囲気が魅力的な喫茶店を見つけたものだからちらりと店内を覗き見れば見知った顔がいた。
我らが劇団の看板作家、皆木綴だ。
皆木綴の執筆スタイルと言えば、書き出したら止まらない暴走列車。部屋に籠ってひたすらキーボードを叩き、本が上がったと報告に来ればそのまま倒れるように眠ってしまう。最近でこそ真澄の甲斐甲斐しいサポートのおかげで無茶は減ったようだが、基本的なスタイルは変わっていない。思いつくまではバルコニーや寮の外でネタを構想することもあるが、筆が乗ってくると彼は自室で執筆する。
だからそこ、ガラス越しに見えた彼の姿は珍しかった。喫茶店の片隅で夢中になってキーボードを叩いている。悩む素振りもなく画面に嚙り付く様子から、恐らく今は絶好調なのだろう。その姿は彼の部屋に行かなければお目にかかれないから、こんな偶然目に出来るなんてラッキーだ。
気づけばいづみはその喫茶店の扉を押していた。来店客に気づいたマスターが「お好きな席へどうぞ」と穏やかな口調で告げる。いづみはやや悩んで、綴の姿が見える席を取った。ほかに客もいなかったからもっと広く使ってもいいのだろうが、せっかくだからもっと彼のことを見ていたいという欲が出た。
ブレンドコーヒーを頼んだら鞄から手帳を取り出す。ただぼーっと綴の観察だけに時間を使っていいほど暇ではない。この時間を利用して、先ほどの打ち合わせの内容からリーダー会議での議題をまとめておかなくては。
紙にペンが走る音と、キーボードが叩かれる音、店内の優しいBGMで満たされた空間はたいへん居心地がよく、気づけばいづみもすっかり自分の仕事に没頭してしまっていた。
コーヒーも残り半分となった頃、不意に「え?」と戸惑いの声が聞こえて手帳から顔を上げる。
「か、監督?」
「あ、気づいちゃった。ごめんね、邪魔して」
「いや、キリがよかったんでそれは別に……って、そうじゃなくて」
さっきまで頼もしい劇作家の顔をしていたのに、今はすっかり大学生の男の子だった。予想だにしていなかった出来事にあわあわする様子が可愛らしい。
マスターに断りを入れてから綴のそばに席を移動する。いつからそこにいたのか、と戸惑いっぱなしの綴がおかしくてつい笑ってしまった。
「ふふ、たまたま通りかかったら頑張ってる看板作家さんを見つけたから」
「あ? この店に用があったわけじゃないんすか?」
「うん、本当に偶然見つけたの。だからコーヒーの一杯でも差し入れしようかなって」
「…………」
「綴くん?」
急に黙り込んでしまった。もしかして笑い過ぎただろうか。別にからかったつもりもないし、それくらいでへそを曲げるような彼ではないはずなのに。
不思議に思い首を傾げながらも、いづみは一つの可能性に行きあたって「あ」と声を上げた。
「別にコーヒーに限定してるわけじゃないよ? 好きなもの頼んでいいからね」
「あっいえ、そうじゃなくて……えっと、」
「私もまだしばらく仕事するし……って、あ! ごめん、お邪魔だった?」
知り合いに見られながらでは執筆も捗らないのかもしれない。これは気が利かなかった。反省しながらカップのコーヒーを片付けようと手を伸ばす。
すると、慌てた様子の綴がその手首を掴んでそれを阻止した。
「え、えーっと、そうじゃなくて」
「……?」
「……じゃあ、アイスコーヒーで」
「……ふふっ! 了解」
カタカタカタ、とキーボードが歌う。その音がどんな物語を運んでくるのかが楽しみで、すっかり温くなったコーヒーをゆっくりと啜りながら踊る指先をずっと見ていた。