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20.氷水(九いづ)
スカッとした気分になれるから炭酸水が好きだ。キラキラとした泡も見ているだけで涼しげだし、喉を鳴らして飲むあの爽快感は何物にも代えがたい。
だから九門はいつも炭酸水を買っては冷蔵庫に入れる。名前を書く寮のルールも忘れない。キャップに書いたのでは意外と目立たず、誰かに間違えて飲まれてしまった経験があった(今でも犯人は万里だと疑っている)から、今ではラベルを剥がしてボトル全体に大きな字で『九門』と書くようにしている。今朝はその後ろに添えた六芒星がなかなかうまく書けたと満足しつつ学校へと向かった。
そして放課後、無事赤点を免れ補習を回避した九門は、朝から冷やしておいた例の炭酸水を飲むべくキッチンへ向かう。ひょっとして、上手にかけた六芒星が炭酸水に不思議な力を宿して、飲んだものだけが得られる不思議な力が……と絶好調に妄想する九門だったが、扉を開けたところでその考えは吹き飛んでしまった。
冷房の聞いていない寮の中、白いTシャツを腕まくりしてキッチンになっていたのは総監督の立花いづみ。彼女は長い髪を高い位置で一つに束ね、垂れてくる汗を鬱陶しそうに拭いながらグラスに入れられた液体を飲んでいた。カラン、と氷がグラスにぶつかる音が涼しげだ。
いづみが飲み物を飲み下すたびに白い喉が上下する。それがまるで清涼飲料水のCMのように九門を刺激した。
「か、カントク!」
「あ、九門くん。お帰りなさい。テストどうだった?」
「ただいま! 紬さんのおかげでどうにか赤点回避だったっす!」
ブイサインを見せるといづみは「それはよかった」と満面の笑みで喜んでくれた。これで安心して稽古に打ち込めるね、と言われれば今すぐにでも稽古場に行きたいところだが、そこはグッと堪えてまずは喉の渇きを癒すべくいづみに問う。
「ねぇねぇ、カントク。それなに飲んでるの?」
「これ?」
首を傾げるいづみに、九門は首が取れそうなほど大きく頷く。
透き通るほど透明で、しかし泡が浮いてこないから炭酸ではなさそうな、氷が似合う涼やかな液体。その正体が知りたくて、場合によれば冷蔵庫内の炭酸水は明日に持ち越しだ、と九門はいづみの回答を待つ。
すると、気まずそうな彼女の笑みとともに意外な答えが返って来た。
「あー……これは、その、」
「も、もしかして超高級とか?」
「そうじゃなくて……その、氷水、なの」
「……へ!? 氷水? そんなに美味しそうなのに?」
信じられない、と目を丸くする九門。いづみの手にあるグラスの中身。その正体はただの氷水だと言う。何か特別なものに思えただけに衝撃的だった。
「特別なメーカーの水とか?」
「まさか! 浄水器から汲んだだけのただの水だよ。それでもいいなら入れようか?」
「……! うん! お願いします!!」
すると数十秒後、九門の前に置かれたのは本当に何変哲ない氷水だった。あまりに普通で拍子抜けしてしまう。
それでも笑顔で「召し上がれ」と言われれば口にするしかない。いただきます、と挨拶をしてから氷水を口に含んで――驚いた。
監督が入れてくれれば氷水だって格別に美味しい。その美味しさの源は、炭酸の気泡のように湧き上がるこの愛しさなのだろうと気がつくと、熱もないのに体がぶわっと熱くなるのを感じた。