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32.粛々と(??×いづみ+紘)
ひどく暑い夏の日に見かけたあの少女――少女なんて年じゃなくても知り合いの娘なんかいつまで経ってもガキに見える――は、爽やかな青空に似合わない沈んだ表情をして街角に貼ってあったチラシを見ていた。
幸い周囲に人目はない。何よりその表情が妙に気になってしまった。少女の元へ駆け寄るため、マネージャーに断りを入れ降車する。
どれだけ近寄ってもそいつは周囲に意識が向いていないようで、ただじっとチラシを見ていた。
その真後ろにポジションを置いたとき、ようやく少女が何を見ていたのかがわかる。安っぽいデザイン、それでいて何よりも夏を感じさせワクワクさせるチラシ。
「なんだ、夏祭りに行きたいのか?」
「うわっ!! だ、誰……って紘さんじゃないですか」
「バカ、あんまり大きな声出すな」
目線を合わせ「しーっ」と人差し指を立てる。するとチラシを見ていた女、立花いづみは「ごめんなさい」と申し訳なさそうに頭を下げた。あまり真剣に頭を下げるもんだから、かえってこっちが悪いことをした気になる。驚かせたのはこっちの方なのだから。
その詫びと言ってはなんだが、としょぼくれる現監督さんを夏の日差しから助け出すべく近くの喫茶店を目指す。今の天鵞絨町にはそれほど詳しくはないが、あの頃から変わっていなければ隠れ家的な店があったはず。
歩くこと数分、昔の記憶ってのもバカにならないもんで、劇団に所属していた頃に何度も通った馴染みの店は今なおその場所で客を待っていた。いい加減暑かったこともあって大急ぎでドアを押す。カランとベルの音がして店の空気が一気に流れ込んでくる。窓の少ない店内は気持ちよく冷えていた。
適当にアイスコーヒーとオレンジジュースを頼むと、いづみは不思議そうに首を傾げた。
「オレンジジュース?」
「あ? お前好きじゃなかったか?」
「そうでしたっけ?」
つい子ども扱いをしてしまった。そうか、もうコーヒーくらいなんてこともない年齢になってるのか。そう思うと妙に感慨深くなってしまった。そう言えばこの間こいつの父親と電話したときのあの親父、「彼女はもう酒を飲める年齢だし、結婚だってできる年齢だし……そばにいられないのが歯がゆいよ」とそわそわしていたことを思い出す。出来るなら日本に帰るまでは結婚を待ってほしいとか何とか言っていた。
「――それで?」
くだらないことを思い出しているうちに飲み物が到着して、口の渇きが癒えたらすぐさま持っていた疑問を投げかける。彼女はオレンジジュースのときと同じくらいピンと来ていないように首を傾げていた。
「それで……と言うのは?」
「夏祭りのチラシ見てただろ? それにしちゃ、ヒデー顔してたけど」
何かあったのか? と尋ねれば、黙ってオレンジジュースを口にする。まるで黙秘してるみたいだ。言いづらいことを無理に聞くのはよくないが、知り合いの娘がこんな顔をしているのを放っておけるほど薄情にもなれない。
まずは……そうだな。雑談でもして心を開かせるところから。そう思って差し障りのない、劇団の最近の話なんかを聞いてみて――そこでわかってしまった。
なるほど、父親の感ってのはよく当たるらしい。ガキだと思っていた目の前の少女も、いつの間にか恋する乙女に成長していたってわけだ。
彼女は監督と言う立場でありながら役者に恋をしてしまった自分に悩んでいるらしい。言葉の端々にそんな色が滲んでしまっていて、直接聞いたわけではないのに察するにはあまりある。そんな語りっぷりを聞いてつい口を挟んでしまった。
「なるほどな。それで粛々と恋を諦めてるわけだ」
「……え?」
「そうだろ? 監督としての立場を守るために、静かにゆっくり蓋してるってとこか」
痛いところを突いてしまったらしい。遂にオレンジジュースも飲まないまま黙り込んでしまった。先までの雑談で柔らかくなっていた表情がまた硬くなってしまう。
どうしてこうも余計なことを言ってしまうのか、と思いつつ、それでもどうにか先輩として、こいつの父親の友人として、どうにかしてやりたい。その気持ちは本当だ。
「全部やってみる、じゃダメなのか?」
「で、でも……」
「失敗したっていいって言っただろ? 完璧な人生なんてないんだからな。やらない後悔もやらない後悔も、どうせ年を取ったら人生の中の一ページにしかならないんだぞ?」
だったら楽しい方を選べ、ときっと少し前なら言えなかった言葉が口を突く。全部を選ぶんなんて出来るわけがない。どこかで何かを諦めないといけない日は絶対に来る。その思いは今でも変わらない。
それでもその選択肢を与えるのには、彼女はまだ子どもだ。夏組のガキたちみたいにあれもこれも欲しがって楽しんで、今を積み重ねればいい。いつか思い出に変わる日が来ても、それまでは突っ走ることを許されるのが若者ってもんだ。
「紘さんって、」
ようやく笑顔を取り戻した少女が笑った。
その顔が恋する乙女なのか、頼れる総監督なのか。考えるまでもなく両方を兼ね備えているのだから恐れ入る。
そんな彼女が、
「かっこいいですね。ヒーローみたい」
なんて言うから、ケーキセットを追加する。
恋を救った俺は立花いづみから見ればヒーローで、その恋を応援してやりたいと思う俺は――。
「もしいつか、父に紹介できる日が来たら応援してくれますか?」
「……当たり前だ、任せとけ」
立花幸夫から見れば悪役の司令官なんだろう。