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34.空っぽな器(??×いづみ+柊いづ)

 うんざりするからといつしか確認しなくなっていた光熱給水の料金明細。基本料金よりは使われているが、年月を重ねるごとに減っていく数字を見るのに嫌気がさして、気が向いたときにしか確認しなくなったそれに変化が出たあの日のことを思い出す。
 徐々に料金が上がっていった春、急な上昇を見せた夏、かと思えばガクッと落ち込んだ秋と、緩やかではあるがまた上を向き始めた冬。
 それぞれが何を示しているのか、その全容がわかった今となっては料金をチェックするこの時間が少しばかり楽しみになっちまった。
 そんな風に思いながら銀行アプリで今月の引き落としを確認する。光熱費を誰が払っているのかがはっきりしたこの冬はきっと遠慮のない数字が並んで……。

「……うん? 意外とそうでもねぇな」

 その数字は去年とさほど変わりはない。それが不可解ってことと、ちょうど暇だってことも手伝ってふらりと古巣に立ち寄る。



「――粗茶ですが」
「ありがとよ」

 すると、少し立ち寄っただけだから気を遣うなと言ったのに総監督の嬢ちゃん直々に茶を入れてくれるもんだからすっかり長居コースになった。目の前に置かれたピカピカの茶器をゆっくり手に取る。
 そう言えば昔ここを建てたときに買った来客用の上物があったはずだ、と記憶を辿る。まぁ、もう何年も経ってんだからなくなってても当然か。どっかで誰かが割っちまっても無理もねぇ。
 そう思っていた矢先、記憶の中のあの茶器がコトリと音を立ててテーブルに置かれた。どうやら古ぼけてしまったあの茶器は普段使いに格下げされたらしい。なくなっても仕方がねぇと思ってたのに、いざ目の前にそれが現れると感慨深くて仕方がねぇ。誰も彼もがいなくなったこの場所に、この茶器はしぶとく居座ってたってわけだ。

「あ、お替わりいかがですか?」
「貰えるってんなら貰うがいいのか? 左京の坊主が無駄遣いだって怒りゃしねぇか?」
「まさか! 柊さんは大事なお客様ですから。それに意外と最近寮内の無駄遣いが減ってるんです」
「へぇ、何でまた」
「それが、払ってくれる人の顔がわかると感謝して使えるみたいですよ」

 そう言って空の器に茶が注がれる。父親に似て不器用なところもあるらしい。うっかりなみなみ注いでしまった、と嬢ちゃんが頭を下げる。問題ないと言って顔を上げさせた。
 茶でいっぱいになった空の器。それにまた感慨深くなっちまう。

「――空っぽのモンをもう一度埋めるってのは金がかかるもんだと思ってたんだがなァ」
「空っぽ?」
「あぁ。空だったんだぜ、この器。せっかくの上物だってのに。そこにテメーらが入った」

 もっと金がかかると思ってた、と茶化しながら茶に口をつける。飲みにくくて仕方がないと思っていたが、それでも傍から見ればうまい具合に飲めていたらしい。「柊さんって器用だなぁ」と感心して笑う嬢ちゃんが小憎らしい。
 しばらくはそうしてゆっくり茶を飲みながら、互いに近況を報告し合う。時折話が途切れても不思議と気まずくはなかった。
 そんな穏やかな空気の中、不意に嬢ちゃんが口を開く。

「空っぽにしたと思ってるのはご本人たちだけかも知れませんね」
「……あぁ?」

 あまりに唐突で思わず素っ頓狂な声が出た自覚はある。
 しかし嬢ちゃんはそんなこと微塵も気にしていないように笑っている。

「だってほら、」

 そう言って茶を飲み干した彼女は、得意げに古ぼけた茶器を見せつけてきた。

「お茶だって長い年月をかけてこうして器に残るわけで……」
「……」
「しゅ……柊さん?」
「ふっ、人を茶渋呼ばわりってわけかい」
「い、いや! その、そうじゃなくて!」

 大方、松川の扱いが悪かったんだろう。客にしか出さないはずの茶器がどうしてそんなにってほど茶渋がこびりついている。ふちに金を使った茶器だから漂白も出来なかったんだろう。
 それがおかしく喉を鳴らして笑う。反対に嬢ちゃんは大慌てでよくわからない言葉を口走っていた。まぁ、何にせよ謝っているらしい。
 結局、謝られることでもねぇぞと口にするまで嬢ちゃんは色々と言葉を探し続けていた。

「精々これからもこびりついてやろうじゃねぇか」
「……それは、みんな喜びますよ」
「みんな? ってことは、」
「もちろん、私もです」

 からかってやろうと思ったのに先手を打たれたもんだから年寄りはそれが面白くなくて。
 今日ここに来てからずっと口にしないでおいた彼女の弱みを大人げなく披露した。

「そう言やぁ、こいつは茶渋ジジイからのお節介なんだけどよ、」
「はい?」
「さっき玄関ですれ違った団員、嬢ちゃんの彼氏か?」

 そんな目で見てたろ、と煽ってみる。
 すると彼女はゴホゴホとむせ始め、しかし喉の調子を整えるための茶はすっかり飲み終えてしまっているからなかなか呼吸が整わない。それでもどうにか息を切らしながら「彼氏じゃないです、まだ」なんてこと言うから、からかいたくて仕方がなくなる。

「なるほど、『まだ』ときたか。脈アリなのか?」
「もう……勘弁してくださいよぉ……」


 そんなか細い弱音が存外愛らしく、茶渋ってのもまぁ悪くはないなと短く笑った。





花の壁