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56.二月 春の星(ハイレゾペア)
随分冷え込んで来た。暦の上では春だと言ってもまだまだ冬本番。底冷えとはまさにこのことだとコートをきつく体に巻き付けるようにして腕を抱く。しかしどれだけ身を縮めても寒いものは寒い。こんなことならマフラーの一つでも持ってくればよかった。今更思っても仕方がないけれど。
せめてコンビニでホットドリンクでも買おうかと下がっていた視線を上げる。冷えた空気が鼻先を刺激してジンジンしたが、そんな身に沁みる寒さを一瞬にして忘れさせる景色が目の前に広がっていた。
「なんでアンタがここにいるの? まさかアイツのこと待ち伏せしようとしてる?」
「打ち合わせが終わったのがついさっきだったのだよ。監督くんを迎えに立ち寄るのにちょうどいい時間だからね。ここへ来てみたというわけだ」
「監督は俺と帰る。だからアンタは帰っていい」
「これだけ寒いんだ。三人でタクシーに乗って……」
駅前で何やら言い合っている美男子が二名。ただでさえ目立つ顔立ちを押しているのに、片方は何やら凄みを持ったオーラを出して相手を威嚇しているし、それなのにその相手ときたら独特の空気感で飄々とそれを躱している。目立って仕方がない。
「……二人とも何をしてるんですか」
「おや、監督くん。ちょうどよかった」
「アンタのこと迎えに来た。今日寮を出たとき薄着に見えたから、マフラーも持ってきた。俺のだけど使って」
「それよりタクシーで帰った方が暖かくはないかね?」
「それなら一人でタクシーで帰ればいい」
「はいはい、ストップ」
「あ、鼻の頭赤くなってる……」
「今日は随分寒いからね。寒くてつらかっただろう」
「可哀想……ほら、これ使って」
一向に人の話を聞く気のない真澄がふわりとマフラーをいづみの首にかける。丁寧な手つきでそれを巻く仕草が様になっていて、文句を言ってやろうと思っていた口が自然と閉じてしまった。
そのまま真澄の顔をじっと見つめると、視線に気づいた真澄がふっと表情を緩める。
「鼻が赤くなってるのは可哀想だけど、」
「……ねぇ、近くないかな?」
「寒さで目が潤んでるのは可愛い……」
「ちょっと聞いてる? マフラーありがとうね。でももう巻き終わってるよね?」
「春のアンタも夏のアンタも秋のアンタも可愛かったけど、冬のアンタも……」
「ちょっと、誉さんも止めて……あ、あれ?」
真澄から視線を外してその後ろにいるはずの誉に助けを求める。
しかしそこに誉の姿はなかった。まさか本当にタクシーで帰ってしまったのだろうか。それはちょっと羨ましい……じゃなくて、何か一言言ってから立ち去ってくれればいいのに、と恨めしく思う。
つまりこの暴走状態の真澄を一人で連れて帰らないといけないのか。途方に暮れて思わず溜め息を吐く。
「そんなに息を白くして。マフラーだけじゃ覚束ないだろう」
「ひゃっ!」
すると突然、背後から聞き慣れた声がして、しかし振り向くより先に頬に何か温かい感触がして上擦った声が出てしまった。
「おやおや、おバカさんな声だねぇ」
「誰のせいだと思ってるんですか!」
「……アンタ、帰ったんじゃなかったの?」
「黙って帰るはずないだろう。どうやら歩いて帰るのは決定事項のようだったからね。そこの自動販売機でこれを買ってきたのだ」
そう言って誉がちらつかせたのは缶コーヒーだった。
「たまにはこういう飲み物も悪くないかと思ってね。持っているだけでも温かいよ」
どうやら先ほど頬に当てられたのはこれだったらしい。普通に手渡してくれればいいのにと思いつつ、受け取った缶の温かさにじんわりしてしまって恨み言は口を出ない。首元も手もすっかり温まって、なにより二人の心遣いが嬉しくて心までぽかぽかとしてきた。
「それじゃあ、三人で帰りましょうか」
「……アンタがそう言うなら」
「こんな風に歩くのもなかなか楽しいものだね」
「あ、監督。見て」
「うん? 空?」
空を見上げた真澄が、空に浮かぶ星が潤んだいづみの瞳のようだと口にした。
それは詩的だと感心する詩人は、春の星は霞がかっていて光が柔らかいから確かにいづみらしいと詩を諳んじはじめる。
そんな二人に挟まれる帰り道は少し騒がしいけれどそう悪くはないなといづみは笑った。