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58.四月 落花(団内美容部)
散っていく花を見るとキレイだと思う反面切ない気持ちになってしまう。あんなに咲き誇っていたのにそれも一瞬で、姿形の変わらないものなんてないのだと思い知らされてしまう。
「落花流水、だね」
「らっかりゅうすい?」
所用があって訪れた東の部屋で、いつの間にか東のペースに巻き込まれたいづみは誘われるまま塗り絵に取り組んでいた。細い線で書き込まれたイラストに丁寧に色を乗せていく面白さはかつて東に習ったことではあったが、面白いと思う気持ちに塗り絵の腕は比例しない。細かいところを隙間なく塗ろうとするあまり、絵に近く寄りすぎていた視線を離したとき「そういえば自分は花を塗っていたんだった」と気がついて、そのときにふと思い出したのだ。庭で散り始めた桜の花のことを。
「そう。落ちた花が水の流れのままに流れていく春の景色、転じて物事が衰えていくことを表した言葉だよ」
「衰えていくこと……」
「切ないよね。だけど……」
何かを語ろうとする東の言葉を遮ったのはドアを叩く音だった。軽やかで品のある戸の叩き方。それを聞いた東は来訪者が誰だかわかったらしい。にこりと笑いながら「どうぞ」とドアの向こうの人物を招く。
「あぁ、やっぱり幸だ」
「やっぱり?」
「ううん。何でもないよ」
くすくす笑う東に首を傾げながらも、これ以上は聞いても無駄だと思ったらしい。幸は東から借りた海外の雑誌を返しに来ただけだと言って物を渡した。
その視線が、塗り絵の前で硬い表情をするいづみを捉えたのは雑誌を返してすぐのことだった。
「なんて顔してるの、カントク」
「え、どんな顔?」
「この間、一日十食限定のカレーランチ食べ損なったときくらいひどい顔してる」
「そんなに!?」
思わぬ言葉にバッと手で顔を覆う。それを見た幸が苦く笑う顔が見えて、いづみはまた表情を暗くした。
「……本当にどうかした?」
怪訝そうな幸と、硬い表情のいづみと、その間に入る東はいつもの調子で笑いながらもいづみを気遣うようにしてその頭をそっと撫でていた。
「ボクがちょっと意地悪言っちゃった」
「意地悪? あず姉が?」
「うん。カントクが塗り絵を見て『花が散るのが寂しい』って言うから、『落花流水』って言葉があるんだよって教えてあげたんだけど……」
「ふぅん。なんか年寄りくさ……」
「と、年寄りって! 幸くんヒドイ!」
「花が散るのなんか当たり前じゃん。それをそんな風に重く捉えるのなんか年寄りっぽいじゃん」
「年寄り……」
更に激しいショックを受けるいづみ。それを慰めるように寄り添う東に、幸は少しだけむくれた顔で口を開く。その視線の先には例の塗り絵があった。
「ねぇ、あず姉。白い紙とはさみ、できればカッターも欲しいんだけど貸して貰ってもいい?」
「いいけど……その顔、何を思いついたのかな?」
「んー……まぁ、見てればわかるよ」
注文の品を受け取った幸はにやりと挑戦的な笑みを見せた。
それから十数分後。幸が用意したのはドレスを着た女性のイラストだった。ただし、ドレス部分はくり抜かれてしまっていて何の柄もデザインもわからない状態だったが。
そんな奇妙なイラストを完成させた幸はそれを片手に持ったまま、反対側の手でいづみの手を引く。そのまま引っ張られるようにして中庭に連れてこられたかと思えば、あっという間に握られた手は解放された。
「幸くん、いったい何……」
「はい、これ」
「これってさっき描いてたイラスト?」
幸の言わんとすることがわからず、しかし差し出されたものを受け取らないわけにもいかないのでその絵を手に取る。
察しのいい東にはこれから何が起こるのかがわかっているようで、ただ笑みを浮かべていた。
「そこの桜の花びらの山にかざして見て」
「かざすって……こう?」
箒で一か所に固められた桜の花びらに、言われるがままイラストをかざして見る。すると――。
「わぁ! 桜のドレス!」
「ふふ、幸は面白いことを考えるね」
「別に。そんなのネットで見たなって、あず姉の塗り絵見て思い出しただけ」
「すごいね、これ! 空にかざしたら空色のドレスだ!」
先ほどまでの表情が嘘のようにいづみがはしゃいで走り回る。花のドレス、空のドレス、草のドレスに木の幹のドレス。
様々なドレスが生み出される楽しさに笑ういづみに幸が呟く。
「よくあれだけであんなにはしゃげるよね。ちょっと予想外。オレならどんなドレスでも作ってあげられるって言ってやりたかったのに」
それを受けて東もまた小さな声で返す。
「ああいうところがカントクの魅力でしょ? 一ヵ所に留まらないであんな風にくるくる回ってるのが可愛いなんて、まさに水に流れる花だよね」
くすくす笑う東の言葉に幸は何とも言い難い顔をして閉口する。理解はできるが認めたくない、と言ったところか。
そんな幸に東は続ける。
「そうそう、『落花流水』ってもう一つ意味があってね」
曰く、落ちた花びらは水に流されたいと願い、水の流れは花びらを浮かべて流れたいと思い合うことから『相思相愛』の意味があるのだと言う。
「あの花が選ぶ水の流れって、いったいどんな人なんだろうね」
「……さあね」
どちらも腹の底は見せないように、ただはしゃぐ笑顔を眺めていた。