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60.六月 短夜(元ヤン)

「監督、これちょっと味見してくれないか?」
「どれどれ……んー! さすが臣くん! わさびがピリッと爽やかでいいね!」
「ハハッ、そりゃよかった。酒は飲まないから酒に合うのか自信がなくて。味見役助かるよ」

 三つ葉とささみのわさび和えを食べて唸るいづみとそれを見て笑う臣。そんな台所の様子を見る左京はちびちびと冷酒を口にする。
 夏らしくいい酒が入ったのを口実にいづみを晩酌に誘った今晩。こういったことには意外と遠慮のないいづみは大喜びで誘いに応じてくれた。
 キリッと冷やした夏限定の日本酒は口当たりが優しいのにどこかスカッとしていて気持ちがいい。いづみもそれを気に入ってくれたようで楽しい晩酌になりそうだ、と思っていたのは三十分ほど前。
 せっかくいいお酒なのにおつまみが市販のものじゃ味気ない、と言い出したいづみが台所に立った辺りから様子が変わってしまった。
 台所から音がすることを聞きつけた料理番が「それなら俺も手伝うよ」と言い出し、そこからずっとあのざまだ。次々と料理を作っては味見をし、それを喜んだいづみが左京の元へつまみを運んでは台所に戻る。その繰り返しに飽き飽きしてしまう。

「おい、伏見。もうつまみは十分だ。仕事終わりで疲れてるだろ。ちったぁ休め」
「いいんですよ、料理が息抜きなんですから」
「それより左京さん、これすごく美味しいですよ。食べてみてください!」

 はしゃぐいづみが先ほど味見をしていたわさび和えを運んでくる。そのキラキラした目にノーとは言えずつまみを口にした。

「……美味い」
「でしょ?」
「確かに美味いが、日本酒と合わせると尚のこと美味いな」
「え? そうなんですか?」
「試してみるか?」

 何とかいづみを取り返すことに成功した左京は大人げなく台所に一瞥をくれてやる。美味しいつまみと日本酒に唸るこの笑顔を邪魔できるものならしてみろ、と心の中で挑発した。

「このお酒、澄んでる感じがして本当に美味しいですね」
「名前もそのイメージらしい。雨上がりの月が澄んでいるみてぇに、澄んだ酒を造るってこだわりが由来だ」
「そうなんですね! どうりで美味しいわけです」

 うっとりと目を細めて日本酒を飲むいづみ。この笑顔があればつまみさえいらない。いくらでも飲める。
 そう思う左京の行く手を阻んだのはまたしても臣だった。

「そう言えば監督、カレーに合う日本酒って知ってるか?」
「えぇ!? そんな夢みたいな商品があるの!?」
「俺も飲んだことはないんだがそういうのがあるらしいぞ。ねぇ、左京さん」
「……あぁ」

 ギクリと左京は肩を震わせる。まさかとは思うが左京の部屋にそのカレーに合う日本酒が備えられているのを知っての発言だろうか。いつかのとっておきにと用意した代物で、誰にも伝えていないはずなのに。
 そんな嫌な予感がして左京は諦めたように溜め息を吐く。嫌な予感ほど当たるのが人生の相場だ。今後の展開ははっきりと読める。読めてしまう。

「確か左京さん持ってましたよね?」
「えぇ!! どうして出し惜しみするんですか!」
「カレーに合う日本酒だからな。今日はカレーを用意してないから仕方ないだろ」
「さすがに今からカレーを作るのは難しいですけど、スパイスを使ったつまみなら用意できますよ?」

 やはりそれが狙いかと眉間にシワを寄せる左京。それとは対照的にいづみは大はしゃぎで手を叩いていた。

「やった! ありがとう臣くん、左京さん!」
「それじゃあこっちを手伝ってくれるか、監督」
「待て。ただで酒にありつくつもりか監督さん。出資者に酌くらいしてくれてもいいだろ」
「え、えぇ! 私は一人しかいないんですよ!? どっちかしか無理ですって!」


 日に日に短くなっていく夏の夜。
 少しでも長くともにいたいと企む男たちの攻防は夏至を超えてもしばらく続いた。






花の壁