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6.さよならの後(みすいづ)
「さよならー」と柔らかい声が鼓膜を揺らした。
その挨拶は子どもの頃にはよく使っていた。しかしいつの頃からか「じゃあね」「また」「バイバイ」と言った単語を好んで使うようになっていた。それが何故だかはよくわからないけれど、少なくとも最後に「さよなら」と言ったのがいつだったかを思い出せない程度には頭の隅に追いやってしまっていた言葉だ。
そんな言葉が耳に引っかかったのには理由があった。
「あ、カントクさんだ。どうしたの? 公園に用事?」
「ううん、たまたま通りかかったら三角くんの声がしたから」
「そうだったんだ〜」
そう言って笑う三角こそが先ほどの「さよなら」の声の主だった。聞き馴染んだ声が懐かしい響きを発していたから、つい意識がそちらに向いてしまった。
いったい誰と別れたのだろうかと尋ねてみる。すると三角は「ねこさんと遊んでたんだ」と穏やかに笑った。相変わらず動物と仲良くしているらしい。彼の優しい人柄は本能が鋭い動物にこそよく伝わるのかもしれない。
「ねぇ、三角くん」
「ん? なぁに?」
「三角くんっていつも『さよなら』って挨拶するの?」
「うん、そうだよ〜。お別れするときはいつもそう言ってる」
ポケットから次々に今日見つけたサンカクを取り出してはニコニコ笑う三角がいづみの問いかけに頷く。すっかり日が落ちるのが早くなった秋の帰り道。どんどん二人の影が長く伸びていく。その様を見ながらいづみは「何か理由があるの?」と問う。
するとあっさり三角がその理由を口にする。
「うーんとね、昔じいちゃんに教えてもらったから」
「八角さんに? なんて?」
「あのね、『さよなら』には続きがあるんだって」
「続き……どういうこと?」
「えーっと、なんだっけ? たしか……接続詞? だから続きがあるんだって」
「接続詞……」
これまた懐かしい響きにいづみは脳内の教科書をぱらぱらとめくる。国語の授業以来聞くことのなかった言葉。その役割は確か文と文を繋ぐこと。そのことに気づいたいづみはようやく八角の言わんとすることを理解した。
『さよなら』、言い換えれば『左様なら=そうであるならば』。なるほど、確かにそうだ。『そうであるならば』だけではその言葉は何の意味も持たない。文と文を繋ぐ言葉なのだから、その前後には本来は何か文章があって然るべき。つまり『さよなら』だけでは文章にならない、続きがある、ということだ。
「なるほどなぁ……」
「続きがあるならお別れも寂しくないから、だからオレは『さよなら』が好き」
「ふふ、本当だ。すごいんだね、さよならって」
「うん! あ、だけど……」
サンカクのイチョウの葉をくるくると回しながら目で追っていた三角が、その手を止めて今度はじっといづみを見つめた。
「カントクさんとは同じ家に帰るから『さよなら』って言わないでも大丈夫〜」
ニッとサンカクの形をした歯を見せて笑うその表情があまりに可愛らしかったから、いづみはそんな彼の手をぎゅっと握って離さなかった。