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71.カクテル(ガイいづ)
見つからないようにこっそり覗いた――つもりだった。
「どうしてあんなところにいたんだ、監督」
「い、いやぁ……他のお客さんのお邪魔になってもいけないと思いまして」
先日ついにオープンしたガイのバーを訪れたいづみは、こっそり様子を覗いて帰るつもりでいた。
開店したばかりで知名度もあまり高くないだろう店ではあるが、密の手伝いがない日はガイが一人で切り盛りしているような状態だ。無理をしていないだろうか、としんぱいになったのと、僅かながらに湧いた好奇心とでつい様子を見に来てしまった。
あまり堂々と店内に入ったのでは、心優しいガイがいづみを放っておかずかえって負担をかけてしまうだろう。そう思ったから店の窓から中の様子を窺おうとしたのだが、薄暗い店内は外からではよく見えず、あの角度から、この角度からと試行錯誤した結果、あっさりとガイに見つかってしまったのだ。
しかし結果としてそんな気遣いは不要だったようだ。店内には誰も客がおらず、ガイといづみの二人きり。迷惑をかけなくてよかったと安心すべきか、繁盛していない店内を心配すべきか、と眉間に力を入れていると、何かを察したようにガイが小さく息を漏らした。
「監督、誤解をしているようだが」
「誤解?」
「今日は定休日だ」
「…………あ」
すっかり頭から抜けていた。静かな店内に間抜けな声が響く。それを聞いたガイの笑みがあまりに優しくて居た堪れなくなってしまう。
「それはたいへんお邪魔しました……」
「構わない。寧ろ、監督さえよければ味見役をお願いしたい」
「味見役?」
そう言えばなんだかいい匂いがする。すんすんと鼻を鳴らすと異国情緒溢れるスパイシーな香りがした。なんでも定休日なのに店にいたのは、カクテルとそれに合うつまみの研究のためだと言う。オープンまでに色々試しはしたものの、実際に店をやっているうちに更に研究したくなってしまったらしい。
「まだメニューを増やすんですか?」
「増やす、と言うよりは様々なオーダーに対応できるようになりたい、と言うのが近い。例えばメニューにある酒を見て『それならこのカクテルも作れるだろう』と言われることがある。そう言った要望に出来るだけ応えたい」
即興劇のようでなかなか興味深い、と穏やかな顔を見せるガイはすっかりこの店の主だった。
「カクテルってどれくらい種類があるんです? やっぱり百くらい?」
「いや、スタンダートレシピだけで数百種類あると言われている」
「す、数百……!」
「スタンダードに含まれないもの、アレンジなどを含めればレシピは無限に存在するだろうな」
途方もない数字だった。しかしガイの頭脳なら数百のスタンダードレシピを覚えることは訳ないのだろう。正確な分量を量ることも得意分野のはず。そしてそこに彼の探求心が加わればきっと美味しいカクテルが出来るに違いない。
「……じゃあ、ガイさん。腕試ししてみてもいいですか?」
「腕試し? それは緊張するな」
そんな台詞とは裏腹に、わくわくした様子を抑えきれない瞳がいづみを見つめる。そんな瞳が自分のことをどんな風に見ているのかが知りたくて、いづみはこんなオーダーをしてみた。
「私に似合うカクテルをお願いします」
「……! 承知した」
オーダーにやや戸惑いを見せながらも店主は心得たと、二種類の瓶を取り出した。ラベルのアルファベットを目で辿る。どうやらジンとトニックウォーターのようだ。加えて、青い果実が並べられ、目にも止まらぬ速さで包丁が入れられる。機械で切ったのかと思うほどきっちり切り分けられたライムからは爽やかな匂いがした。
ジンと、トニックウォーターと、ライム。カクテルに詳しい方ではないいづみでも提供される品を予想できた。
「お待たせいたしました。ジントニックです」
店主と客の関係性を際立たせるようにして敬語とともにカクテルが姿を現す。その正体はやはりいづみの予想通りだった。
ジントニックと言えばコンビニでも缶で買えるほどありきたりなカクテルだ。それが不満だと言えば言い過ぎなのだが、少なからず肩透かしを食らった気がしてしまう。自分に似合うカクテルは、どこでも飲めるなんてことないカクテルなのか。
一瞬でもそんなことを思ったいづみだったが、その考えが消し飛んだのは鼻孔をくすぐった香りだった。
「……あれ? この香り……」
「ふっ、さすが監督だ」
先ほどまで店内に漂っていた香りとはまた別のスパイスの香りがする。
「カルダモンですか?」
「正解だ。ジントニックはスパイスと相性のいいカクテルだから、今回はアレンジとして加えてみた。どうだろうか?」
ありきたりと見せかけて細やかな気遣いでいづみらしさを醸し出す。その表現の仕方がなんともガイらしくてそれが嬉しかった。
まるで魔法みたいだ、と上機嫌に特別なジントニックを堪能するいづみに、ガイは更にとっておきの笑顔の魔法を口にする。
「ところで監督。カクテル言葉、というものは知っているか?」
「カクテル言葉? 花言葉のカクテル版みたいなことですか?」
「あぁ、その通りだ。そして、ジントニックのカクテル言葉なんだが――」
その一言が堪らなく嬉しくて、しばらくお酒はガイの作ったジントニックだけでいいと心から思ってしまうほど、その一杯はいつまでもいづみの心を掴んで離さなかった。
――いつも希望を捨てない貴女へ。