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77.夜更かし(天いづ)
たくさんの笑い声に溢れていたパーティー会場もすっかり片付けられて元通り。ツリーとリースは辛うじて二十五日が終わるまで置いておけるが、パーティー感を演出するアルファベットバルーンや折り紙の輪っかは倉庫へ仕舞われてしまった。
すっかりいつもの装いに戻った談話室。そこに一つ忘れものを見つけたのはいづみだった。終わっていく聖夜を惜しむように談話室の片隅に残されていた小さなクリスマスツリーの置物。確か彼の私物だったはず、と持ち主の部屋を訪れる。
「天馬くん、いる?」
戸を叩きツリーの持ち主の名を呼ぶが応答がない。ルームメイトの幸は今晩、東と莇とクリスマスコフレ披露会をするから二〇一号室を留守にすると聞いている。「一人で寝るの怖くない?」とからかわれていたので、天馬は今晩一人でこの部屋にいるはずなのに。
他の部屋にお邪魔することにしたのだろうか、と思いつつ、一思いにドアノブに手をかけてみる。すると扉はガチャリと開いて、容易くいづみを部屋に招き入れた。
勢いあまって部屋に踏み入ったいづみが部屋に視線をやる。そこには窓の外をぼんやりと眺める天馬の姿があった。ノックの音にも気がつかないほど何か物思いに耽っているようだ。クリスマスパーティー中は楽しそうに笑って、去年買ったらしいミニツリーを得意げに披露していたはず。それが今はどこか物憂げな雰囲気を纏って頬杖をついている。
いったいなぜ、と問うより先に天馬がこちらに気づいて窓から視線を外した。
「監督?」
「あ……ごめんね、一応ノックはしたんだけど……」
「そうだったのか。悪い、気づかなかった」
「ううん、こちらこそ。忘れ物を届けたかっただけなんだけど、なんだか考え事してたみたいだから声かけづらくて」
「……ん? べ、別にサンタが来るのを期待して窓の外を見てるわけじゃないからな!」
期待してたんだ。声に出しかけて慌てて飲み込む。彼の性格上、それを聞いてしまえばへそを曲げてしまうに決まっている。それでは話が進まなくて困るから、彼の気持ちが落ち着くまで黙って言い訳を聞いていよう。きっと聞いてもないのに窓の外を見ていた理由を並べてくれるだろうから。
しかし予想とは裏腹に、天馬はそれきり黙り込んでしまった。僅かに口を尖らせて、硬い表情でもう一度窓の外を見ている。
やはりサンタが来るのを待っているのだろうか。そうならばお邪魔だろうからミニツリーを渡してお暇しよう。
手に握ったままだったツリーを持ち主に返すべくいづみが一歩天馬に近づいたとき、彼の肩がピクリと動くのが見えた。その手元を見れば天馬は拳を握り締めている。どこか悔しそうに震えるその手が気がかりで、いづみは更に一歩天馬に近づいた。
「天馬く……」
「……それに、」
「ん? それに?」
心配して声をかけようとした直前、天馬が口を開く。普段の声量からは考えられないほどその声は弱々しかった。耳を澄ませなければ聞こえない、といづみは神経を集中させて彼の次の言葉を待つ。それなのに天馬は口をもごもごとさせるばかり。何か言いにくいことでもあるのだろうか。まさか、本当はサンタクロースなんていないと真実を知ってしまって落ち込んでいるのでは、と様々な憶測を頭の中で飛び交わせていると、遂に天馬が二の句を継いだ。
「今年は、その……来ないだろ、サンタ」
「――っ! ど、どうして、そう、思うの……?」
まさか本当にサンタの正体を知ってしまったのだろうか。いや、世間一般的に見てもうとっくにそんなこと知っていなければならないような年齢ではあるのだが。それでも劇団に入ってから初めてサンタの存在を信じるようになった彼の経緯を思えば、もう少し暗い夢を見ていて欲しいと言うのも本音だ。
天馬が「今年はサンタが来ない」と発言したことの意味を考えながらいづみは慎重に問う。なぜそんな結論に達してしまったのか。その答えを聞いたいづみは体中の力が抜けるのを感じた。
「いいヤツのとこにしか来ないんだろ? サンタって」
よかった、彼はまだサンタの存在を信じている。それでいい。入団してから三回目のクリスマス、彼が真実を知るのにはまだ早すぎる。
そう安心する反面、別の懸念が浮上した。確かにサンタはいい子のところにしか来ないのが定石ではある。その上で天馬は自身の元に今年はサンタが来ない可能性が高いと思っているらしい。
「今年の天馬くん、悪い子だったっけ?」
そのことが純粋に疑問だった。高校卒業、大学合格、映画出演、ドラマも数本出ていたし、夏組第七回公演も成功させた。何より初代組とのタイマンACTに勝利した公演の主演俳優だ。これほどの成果を収めるほど努力した彼を誰が悪い子だと言うのだろう。
今日までの成果を振り返るいづみ。それに対し天馬はその過程に目を向けているらしい一言を発した。
「現場に迷惑かけて、井川にも大変な思いをさせて、アイツらに気遣わせたようなヤツがいいヤツなわけない」
すっかり吹っ切ったように見えていたが、彼は彼で思うところがあったらしい。誰一人だってこの夏の天馬を責めるような人はいない。それを天馬もわかってはいるのだろうが、プロ意識の塊のような男だ。終わったことだとわかっていても、それを糧に成長できたのだとしても、迷惑をかけたこと自体は許しがたくて、そんな自分は『悪いヤツ』なのだろう。
そんなことはないんだけれど、といづみは思いつつ策を巡らせる。彼は結果は結果として受け止めた上で、過程に目を向けて『今年の自分は悪いヤツだからサンタは来ない』と思っている。それを根底から覆して元気づけるのは無理だと思う。自分の間違いを認める、という点においてはそれは紛れもなく彼の成長の証だ。否定はしたくない。
それならば――。
「よし、じゃあ悪いことやり尽くしちゃお」
「……は?」
「だって天馬くん悪い子だったからサンタさん来てくれないんでしょ? どうせサンタさん来てくれないなら、今のうちに悪いことしとかないと損だよ」
もっとも、どんな悪いことをしたからと言ってもこの寮の優しいサンタたちは必ずプレゼントをくれるのだろうが。
それはさておき、今はとにかく天馬の気を晴らしてやりたい。そう思っての提案は我ながら名案だと胸を張るいづみは、目の前で何度も目を瞬かせる天馬の表情に僅かに不安を覚えた。さすがにこんな策では天馬は笑ってくれないのか。笑ってくれなくてもせめてツッコんでくれたら、と祈るような気持ちで精いっぱい胸を張り続ける。
「……ふはっ! どんな理屈だよ、それ」
すると願いが通じたのか、天馬は堪らなくなったように噴き出して、けらけらと笑いながらいづみの無茶苦茶にツッコミを入れた。
それが嬉しくていづみはにんまりと笑いつつ、天馬を悪の道へと引きずり込む。
「えー、イヤ?」
「いや……悪くないな」
「でしょ? じゃあ早速悪いことしちゃおうか」
「だけど、それじゃ監督のとこにもサンタが……」
なんて優しい子だろう。胸がじーんとする。こんなでたらめな提案をする大人の元にサンタが来ないことを心配してくれるなんて、やはり彼は紛れもなくいい子だ。
「今年の私も悪い子だったから大丈夫だよ! カレー作りの回数約束破っちゃったし、スパイスの予算ちょびーっとだけ誤魔化したし」
「マ、マジか……」
「大丈夫! その分、他の食材を切り詰めて予算の枠には収めたから!」
「……監督も悪いヤツだったんだな」
苦笑いする天馬だったが、その表情はいづみからしてみれば納得の証。これで自分と天馬が悪いことをして遊ぶための言い訳がついたことになる。
そうと決まれば早速、といづみは思いついた端から悪いことを口にした。
「悪いことって言ったら……あ、みんなに内緒で自分用に買ったクリスマスのお菓子があるんだよね。みんなには内緒で食べちゃおっか」
「こんな時間から菓子食ってるのバレたら莇に殺されそうだな」
「だからこそ悪いことなんだよ」
「それもそうか。それならジュースも適当に冷蔵庫から持ってくるか。太一が明日の朝にってとっておいたジュース残ってるはずだ」
「それは太一くん可哀想じゃない?」
「今日のパーティーのあまりなんだ。別に太一のモンじゃないしいいだろ」
「うーん……あと悪いこと……やっぱり夜更かしかな? あ、いっそこのまま二人で徹夜で遊んじゃう?」
美容部員にバレればお説教間違えなし。光熱費も(劇団が払わないとは言え)無駄遣い。これはなかなか悪いことだ、といづみが笑う。
しかしなぜか、天馬はそこでピタリと笑うのをやめた。
「……監督さ」
「て、天馬くん……?」
形容しがたい迫力で天馬がいづみに迫ってくる――と気がついたときにはもう腕を引かれて抱きすくめられていた。身動ぎできないほどきつく巻きつけられた腕の中で、いづみはただ頭が真っ白だった。
「こんな悪い男と徹夜で二人っきりって、いくらなんでも危機感なさすぎだ」
ぎゅう、と更に力を込められて息をするのも苦しいほどだった。何も言えない、何もできない。そして何も考えられないでいると、十数秒後、あっさりと天馬が腕を解く。彼の頬が上気しているように見えたが、すぐに顔を背けられてはっきりと見ることは叶わなかった。
「……悪い。やっぱり監督を巻き込んでまで悪いことするのはやめる」
「天馬くん……」
「頭冷やして来るから、監督も……その顔が落ち着いたら部屋戻れよ」
そう言って冬の寒空へと出掛けていく背中を見送ることしかできなかったいづみは、部屋のドアが閉まって一分後、大きな溜め息とともに革張りのソファーへなだれ込んだ。
その顔が落ち着いたら、とはどんな顔をしているのだろうか。手で頬を挟んでみるとそこは驚くほど熱を持っていた。とても冬の体温だとは思えない。その温度が自身の頬の色を教えてくれるようで落ち着かなかった。
落ち着かないことを理由にこのまま部屋に居座るべきか。それともある程度熱を引かせたら部屋に戻るべきか。
少し悩んでいづみは彼の机からペンとメモ用紙を二枚ほど拝借する。
一枚目には今年の彼の成果についての感謝の意を。
そしてもう一枚には『立花いづみの休日を自由にできる券』と書いて、二枚のメモ用紙をベッド脇にぶら下がる靴下の中に折り畳んで入れた。