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82.幸せの(天いづ)

 ムスッとしてる……。

 一枚の紙切れに視線を落とす彼は一目でわかるほどご機嫌斜めだ。眉間にシワを寄せ、口をへの字に曲げて、がっくり肩を落としている。

「て、天馬くん……」
「……なんだよ」
「大丈夫? 確かに大凶はびっくりだけど、そんなに落ち込まなくても……」

 そう、彼の機嫌が悪い理由。それはたった一枚のおみくじのためだった。なかなかお目にかかることのない『大凶』の文字。その二文字で頭を殴られたようにショックを受け俯く様子に、いつもの堂々としたオーラは微塵も感じられない。
 そんな彼が可愛くもあるのだが、あまり落ち込まれると可哀想な気にもなってきたのでどうにか元気づけようと声をかけたのだが――。

「監督はどうだったんだよ、おみくじ」
「……大吉」
「裏切者」

 完全に逆効果だった。じっとりと視線から嫌というほど感じられてしまう。「大吉を引いた監督には、大凶を引いたオレの気持ちなんかわかるはずがない」。そんな気持ちなのだろう。これでは少々のことでは気を持ち直せなさそうだ。
 それなら大凶そのものから意識を逸らさせるしかない、と切り口を変えてみる。

「そう言えば引き直すって言ってなかった?」
「アイツらに『それじゃ意味ないでしょ』って邪魔されたんだよ」
「あぁ……」

 しかしこれもダメだった。彼の今年の運勢は大凶で決定してしまったらしい。もっとも、こればかりは夏組みんなの言い分が正しいと思うのだが。いい結果が出るまで何度も引き直すのは違う気がする。
 納得したいづみは次の策に打って出る。

「ほ、ほら! おみくじで大切なのって結果じゃないから!」
「結果じゃない?」
「そう。書いてあることをきちんと読んで……」

 おみくじの引き直しがダメだという正論のあとと言うこともあって聞く耳を持ってもらえたようだ。真剣な顔つきでおみくじを広げる彼の手元を覗き込むようにして、二人でおみくじに記された和歌を確認する。


『世を渡る道をたがへてまどふかな 何れの方に行き隠れまし』


 馴染まない古語に首を傾げながらその隣の現代語訳をなぞる。その意味を目にしたとき、反射的にその訳を口にしてしまった。

「道を間違えてしまって迷う……」
「一体どちらへ行って隠れたらよいことやら……」

 これは、と笑いそうになる口元に力を入れる。噴き出しそうになる一歩手前、どうにか持ち堪えたと安心した。
 それにしてもこの和歌、まるで迷子のことを言っているように感じられてしまう。それがあまりにおみくじの持ち主にぴったりでおかしい。そう思ってしまったのがいけなかった。

「……監督、なにニヤニヤしてるんだ」

 知らぬ間に口元が緩んでしまっていたようだ。顔が笑っていることを指摘されてしまう。このままではまた彼の機嫌が悪くなってしまう、と慌ててそれを否定した。

「しっ、してない! してないよ! ぴったりだなんて思ってない!!」
「言ってるようなモンじゃないか!」
「うっ……ご、ごめん」

 否定したつもりが火に油を注いでしまった。思ったままを発してしまうこの口が憎い。おかげで彼はすっかりへそを曲げてしまっていた。おみくじなんて見たくもない、と元の形に折り畳み始めている。
 せっかくの新年、こんな気持ちにさせたのではあまりに可哀想だ。うんと悩んで彼にかける言葉を探す。引き直しのようなズルでも、どこかで聞いたような正論でもなく、自分が彼にあげたい言葉。
 それをようやく見つけたとき、彼が笑ってくれるかどうかはわからないが、少なくとも自分は嬉しくなってしまった。迷子がどうとか、いじられキャラだとかそう言うことではなく、大凶という結果が彼にぴったりな気がしてしまった。

「天馬くん」
「今度はなんだよ」
「天馬くんはどうして大凶が嫌なの?」
「は? そんなの……一番悪いんだ。誰だって嫌に決まってる」
「そうだね、一番悪いんだもんね。最低ってことだから落ち込むよね」
「そこまで言うか!?」

 ツッコまずにはいられない、と声を張る夏組リーダーがおかしくてつい笑ってしまう。その拍子に白くなった息が口から洩れて天高く昇って行った。それがまた彼には面白くないのだろうが、上へ上へとあがっていく息さえも楽しくて笑いが止められなかった。

「あのね、天馬くん」
「……あぁ」
「大凶を引いたってことは、もうこれ以上悪いことは起こらないってことだよ! 上にあがるしかないってすっごく天馬くんに似合ってる!」
「……ふっ!」

 手渡した言葉は彼をきょとんとさせたのち、飛び切りの笑顔をもたらした。堪らなくなったように笑う彼の息もまた天高く昇って彼のこれからを象徴しているようだった。
 ひとしきり笑って満足したように「あー」と息を吐き出した彼は、ぐっと目を細めてこちらに視線をやる。


「本当なんて言うか……いいな。監督の言葉、好きだ」
「――っ!」


 その言葉に今度はこちらが嬉しくなってしまって、寒空で冷えていたはずの体が芯から温まるのを感じた。



 帰り道、「最高の一年にしてやる」と彼が笑った。きっと今年も最高の一年になるのだろうと確信するのには十分すぎる笑顔だった。





花の壁