天使様に誓いたい

その女は、私のことが好きであるようだった。

思い上がりや自意識過剰などではなく、事実としてそうである。聞けば、リュートもあれでバレない方がおかしいでしょう、と呆れた目で彼女を見ていた。この天国中の共通認識として、私の今一番のお気に入りのおチビちゃんは、この偉大なるアダムさまに夢中なのである。

悪い気はしない。むしろ、好都合だとさえ思う。
ちょこまかと辺りを動き回る翼は見ていて飽きないし、少しからかえば思っていた数倍大袈裟に反応する姿を眺めるのは気分が良い。
今現在も、彼女は無意識なのか、じっとこちらに熱視線を送り続けている。セラとつまらない話をしつつ意識をそちらに向けていれば、流石に目の前の彼女も私の熱心なファンに気がついたのか、はあ、とため息をもらした。

「アダム、なまえばかりに気を取られないで下さい。仕事中ですよ」
「へいへい、分かってますよう。カワイイでしょ?あの素直すぎる顔!」
「まったく、彼女が天使にしても驚くほど素直なことは認めますが」

ただ、恋愛にかまけて仕事を疎かにするのは頂けませんよ。釘を刺すセラに、はいはい任せといてください、と適当に返事をして会話を切り上げる。

セラの元で働く彼女に目を合わせて、去り際にパチンと完璧なウインクを見せてやれば、気付かれていたことに恥ずかしくなったのか焦って奥へと引っ込んでいった。ぱたぱたと音を鳴らす後ろ姿を満ち足りた気持ちで眺めていれば、本当にボスは彼女が好きですね、とリュートがこちらを見上げる。

「ボスが一人の天使に入れ込むなんて意外でした。いつ付き合ってやるつもりなんですか?」
「アー、別に、付き合うとかしなくてもいいだろ」

あいつは私のことを慕っている。それ以上になにが必要だろうか。きっと明確に言葉にしなくたって、彼女は私が望めば全て許すだろう。それは即ち、事実上は関係を結んでいる状態と変わらないということである。

「というか、舞い上がってそういうの始めた途端上手くいかなくなったりすんだよ。現状に満足しているなら変える必要はない!だろ?」
「…まあ、ボスがそう言うなら」

ギャンブルは嫌いじゃないが、生憎彼女のことに関しては博打をする気分にならない。なにやらじっとりとした目線をこちらに向けるリュートに、どうした?ととぼけてみせれば、諦めたようになんでもありません、と返された。天国にしては珍しく、少し灰色に曇った空が影を落としている。特に気になりもしないが。

「喉が渇いた!リュート、ジュース買ってきて〜」
「はい、ボス」




その日は穏やかな日であった。あたたかな陽気に釣られて天使たちが外へと繰り出し、それぞれが幸せそうに談笑している。かくいう我らは今日も今日とて仕事であり、会議であり、今は買い出しの最中であった。食い物がなければ、捗るものも捗らない。

と、ふと見慣れた輪が視界の端に入って、その姿を捉えた。最近話題になっているらしいカフェのテラス席に、なまえが座っている。ティーカップに口をつける彼女に、ああ、そういえばさっきセラと会った時居なかったな、と思い出した。今日は非番なのだろう。こちらにはまだ気付いていない様子だった、のだが。

「…エ」

ふわ、となまえの頬が熱を帯びる。恥ずかしげに目を逸らすその仕草は、私の好むそれと全く同じであるが、今回ばかりは遠くにいる私に向けられたものでは無い。
ちら、と彼女の正面に座る天使の顔が見える。なにか話している彼女に、笑う天使、それも、男。このカフェに居座る男女は、大抵は恋愛関係にあるようであった。ぼとり、と持っていたアイスが地面に落ちる。

「ボス、アイスが」
「リュート、早く帰るぞ」
「え?ああ、はい…新しいの買いますか?」
「いや、いい」

リュートはまだ彼らに気がついていないようであった。だんだんと、自然に歩幅が広くなる。お前は私のことが好きなはずだろう、と、頭に回る言葉は外に出ることは無かった。




リュートは酷く困っていた。なぜならば、彼女が尊敬してやまない上司の機嫌が、調子が、気分がすこぶる悪いからである。帰ってきてからの様子がどう考えてもおかしい。アイスの買い直しを断ったのも、どうにも彼女には納得がいかなかった。

今の時期は次のエクスターミネーションまでもうそろそろといったところである。彼自身が地獄へと降りることはほぼ無いが、彼の気分は我々エクソシストの調子にほぼ直結すると言っても過言では無い。そこまでボスの影響は大きかったし、その分このタイミングで彼が落ち込んでしまっては訓練にも支障が出そうであった。そしてなにより、彼女は自身のボスのことが心配でしかたがない。

「と、いうわけだから、お前に来てもらった」
「ど、どういうわけですか?アダムが落ち込んでるのと私に何の関係が…」
「特に無いが、お前が来ればボスの機嫌も多少良くなるだろう。ご機嫌取りしてこい」

一方、非番の日に急に呼び出されたなまえは、酷く困惑していた。
先程まで折角のお休みだからとカフェで友人とお茶をしていたのに、意中の人の側近から連絡がきて「ボスのために早く来い」と呼ばれるなどとんでもない事態である。しかも丁度その彼のことについて友人に相談している最中に呼び出しをくらったので、彼女は必要以上に動揺していた。

友人は「非番なのに会えるじゃん!よかったな、いってこい!」とにこにこ、いや、にやにやして送り出してくれたけれども、彼女は内心焦りまくっていて、嬉しいなどと思える余裕もなかった。

「ほ、ほんとに入るんですか…?私にできることなんてなにも…」
「いいから!さっさと入って話してこい!」

どん、とリュートは彼女の背中を叩く。のろまな天使はあまり好きではなかった。彼女は気性の荒い先輩からの圧を後ろに受け、渋々アダムの部屋のドアに手をかける。




あれはまさしく、恋する乙女の表情であった。私にしか見せないのだと言じてやまなかったものは、実際のところそうではなかったらしい。彼女のことは気に入ってはいたが、先程の光景を思い出すとじくじく痛む心臓が、既にその程度の感情ではなくなっていたのだと叫ぶ。危介だ。

主に考えられる可能性は二つ。彼女が何人もの男に思わせぶりな態度を取る魔性のビッチであるという場合と、もう一つは、既に私には飽きたという場合。恐らくは後者であろう。彼女は誰がどう見てもヴァージンの反応であったし、仮にそれさえも演技だとしても、そんな風に人を騙すことのできる人間を父が善とするとは考えにくい。

そこまで考えて、ああ、やはり言葉にしなくて良かった、と、過去の自分の選択に感謝した。曖昧なままで終われる。もしかしたら、天国中の勘違いだったのかもしれない。リュートが言ったように繋ぎ止めておけば、なにか変わったか?
いいや、そんなことはないだろう。ひとはすぐに離れていき、繋いだ手はすぐ誰かに攫われてしまう。あの声で己を否定される前に、気がつけて良かった。

「…失礼します、アダム?」
「っ!?ッハ、なんで」
「か、勝手に入ってごめんなさい!リュートさんに呼ばれて、あの、ええと」

だ、だいじょうぶですか。遠慮がちに問われる。
声を思い出した途端鼓膜が震えたのに酷く驚いて、血管に血がどくどくと回るのが手に取るようにわかった。リュート、お前、マジで余計だぞ。普段は優秀だが、今回は凡ミスも良いところだ。宙に浮いた手が若干震えているのに気がついたが、見なかったふりをして後ろに隠す。

「お前には関係ないだろ」
「あ…そう、ですよね」

やめろ、そんな顔するな。もう私のことなんて好きじゃないんだろう。喉に出かかっている言葉は、せまい声帯からでは全て出てこれず、つっかえている。
ショックを受けたように下がる睫毛が影を落とした。腕に一瞬力が入るが、使い物にならないことを思い出して動かすのをやめる。震えているのがバレたら情けない。

ふと、彼女が顔を上げる。いつもならば慌てて逸らされる目が、こちらにぴたりと目を合わせていた。不安で揺れている目。私の様子を必死で探る目。嘘なのか本当なのかわからない。

「でも、話聞くぐらいなら、私にもできます。」

だから、そんな顔しないで。遠慮がちに重ねられた手は、彼女のものも震えている。なんだよ、どうせ私のものにならないなら、期待させないでくれ。許せない。許せない、なんで、お前まで離れていくんだ。

「お前のせいだ」

するりと音が溢れる。自分の耳で改めて聞くと、痛いほど自分がなにを感じているのかが分かってしまう。一度喉を通ってしまえば、止めどなく言いたいことが溢れてくる。

「わ、わたし?え?」
「もう特定の誰かを愛したりしないと決めてたのに。お前が、お前が私に近寄るから」
「っは?愛し、え?」

ぼろぼろと頬が濡れる。あつい。彼女は私の顔を見てぎょっとして、慌てて目元に手を添えた。白くて細い指先がじわりと湿っていく。私に負けず劣らず彼女の手も熱く、頭がぼーっとしてくる。

「あ、の」
「……なんだよ」
「アダム、は、私のこと、好きなんですか」
「は?あたりまえだろ」

好きにさせたのはお前じゃないか。そう責め立てれば、触れる指先がさらに熱を持った気がした。
手が離れる。咄嗟に彼女の手首を掴んだ。びくりと彼女の身体が揺れる。

「あの、わ、私もすきです」
「知ってる。でももう違うんだろ」
「しって..!?待って、聞きたいこと色々ありますけど、今も全然好き、っていうか、どんどん好きになるっていうか」

わたわたとひどく狼狽える彼女に、少しずつ冷静になってきた。自分よりパニックになっているやつを見ると、急に頭が冴えてくる。実は魔性が正解だったのだろうか。そうは全く見えないが、そうでなければ説明がつかない。

「…あの男が好きなんじゃないのか」
「男?誰のことですか」
「今日、カフェで一緒にいた…」
「え!?見てたんですか?あの人は友達ですよ!今日は相談聞いてもらってて」
「なんの相談だ」
「ええと、その、貴方の話を…」

なんか、好きだったのバレてたらしくて、それで。たどたどしく不安を取り除こうと回る口は嘘を言っているとは思えない。勘違いしてたのは私の方か。すとん、と腑に落ちて、安堵のためか呼吸が深くなる。

必死に状況説明をする彼女に、お前が私のこと好きなのみんな知ってたぞ、と教えると、嘘……と頭を抱えてしまった。丸い頭に触れてみる。もう手の震えは止まっていた。私の話だったからあの顔だっただけで、相手とはなにもない。事の顛末はそういうことらしい。

「…そうか、なんだ、そんなことか」
「そんなこと!?私の好意を周りの人全員に知られてたことが!」
「ちげえよ。アホか」

散々喚いて落ち着いたのか、彼女はすう、と一呼吸おいて、こちらをちらりと見る。見つめ返せば、耐えきれずに慌てて目線を逸らされた。以前ならかわいいと思えていたが、今となっては気に入らない。逃げられている気分になる。

「逸らすなよ」
「む、むりです」

さっきまでの自分を思い出すと、かなりの痴態を晒したような気がしてならない。それでもこいつは私のことが好きだと身体全体で言い張るものだから、後悔も羞恥も全てどうでもよくなってしまった。こいつは私にベタ惚れだし、私もどうやらかなり惚れ込んでいるらしい。

「私をこんなにした責任取ってくれよ、おチビちゃん」

冗談まじりに茶化してみれば、がん、と衝撃を受ける彼女。せきにん、とマジの顔で復唱している。
そう、責任。一体お前はどう取ってくれるんだ?
唸る彼女を見下ろしていると、ば、とこちらを見て、おずおずと口を開いた。

「えっと、どうしよう、結婚とか?しますか?」
「結婚なんて大して意味ないだろ」

ハ、と乾いた笑いが溺れる。父に誓ったとて、裏切る奴は裏切る。過去の苦い記憶が蘇って、思わず彼女を引き寄せた。彼女の体温は分け合うには熱すぎるぐらいである。

「じゃあ、どうしたらいいんですか」
「しるか」

ぽす、と彼女の肩に顔を埋めれば、短い悲鳴が聞こえる。こんなんでセックスとかできんのか、と疑問に思うも、荒治療で慣れさせるしかないだろうと結論付けた。こいつがこういう女だってことは分かってたことだ。

彼女の温度と自分が馴染むのを待っていると、くるりと彼女がこちらを向く。真面目そうに一文字に結んだ口。揺れる目はさっき見たものと同じであった。ああ、こいつはちゃんと伝えたいときにこの顔をするのだと、やっと気がつく。

「神様じゃなくって、アダムに誓うのはどうですか」
「…は?」
「本人に誓ったら意味ある感じしません?私の故郷には指切りっていうのがあるんですけど、それは当人同士の約束で、破ったら針千本飲むって決め事があるんです」
「…いやこわ、なんだそれ」
「いや、実際にはしないですよ?でも、なんか他の誰かに誓うよりも安心できる気がしませんか」

馬鹿みたいだ。馬鹿みたいなことを、私のために必死で考えたのだろう。戯言と流さずに、酷く真剣に受け取る彼女の素直さが、ひび割れた隙間を埋めるように染みていく。

「そうだな、じゃあ、破ったらスペアリブ百本食わせる」
「それ絶対太りますね」

そういう問題じゃないだろ。耐えきれずふは、と吹き出すと、彼女も釣られて笑った。じゃあ指切りしましょう、と小指と小指を絡ませられる。
私に合わせてくださいね、と揺らす手を見ながら、この女が私のことを好きになってくれて良かったと、心から思った。

top / buck