開かずの扉

ぐるる、と。動物が唸るような音で目が覚める。

そんなに大きくもないこのベッドでは、まさに目と鼻の先に同居人の顔があった。音の主は他でもないランドールその人、いや、そのモンスターであり、いつも険しい表情をさらに歪めて、どこか辛そうに口を結ぶ。こういうのひさしぶりだな、と冷静に思う自分がいた。

彼がひどく魘されるのは、なにも今回が初めてではない。うちに来たばかりの頃はほとんど毎日と言って良いほどこの唸り声が聞こえてきたし、今とは違って別室で寝ていたから、身に覚えのない音に何事かと思ってうろうろしていたのを覚えている。あまり寝れていなくて、疲れた顔をしているのが続いた日もあった。

最近はそういうことがないなあと思っていたのだけれど、今夜は違うらしい。がり、と歯が擦れるもして、あんなに鋭い牙同士が擦れたら削れてしまうのではないかと心配になった。そっと目の端に触れてみるけど、珍しく起きることなくきゅっと力が入ったのだけ感じることができる。いつもは少し動いただけで、瞼の中の緑色がこちらを刺すのに。

「…だいじょうぶ?」

寝起きの喉では思ったよりも声にならない。掠れた心配の言葉は空調の音でかき消えてしまった。もちろん、彼には届かない。
しかたがないので、丸まって寝そべる彼の隣に潜り込んだ。ぴと、と、恐らくは胸の辺り(モンスターだからどこまでが首でどこからが胸かなんてよくわからないけど)に顔をくっつけてみる。思ったより冷たい、ざらざらとした感触がした。寄り添って状態が良くなったことは、今まで一度もない。

「、は」

息を吐く音。呼吸が少し荒くなっているみたいだった。とんとん、と軽く叩いてみても、大して意味をなさない。
私には、なにを見て彼が苦しがっているのかよく分からなかった。

こちらに来る前に一体何があったのか、なぜここにいるのか、薄ぼんやりとしか知らないけれど、「追放された」という一言だけで彼にとって良いことではないことは容易に想像できる。でも、彼が魘されている理由が、果たして向こうであったことが原因なのか、はたまたここにいること自体が問題なのかを判別するには、情報も頭の良さも足りないように思った。生憎、私は国語の授業が得意ではない。

ぱっちりとは開いてくれない、光を取り込もうとしない寝起きの目は、部屋の遠くの方まではよく見えない。焦点が合うのは反対方向にあるクローゼットで、カーテンの隙間から少しだけ入る外の電灯の灯りがドアの色を際立たせていた。どうやら、彼の前職である怖がらせ屋、というやつは子供の部屋のクローゼットから人間界にやって来る
らしい。

「…優秀な怖がらせ屋でも、怖いものがあるの?」

私は怖いものだらけだ。あの扉がどこかに繋がるかもしれないこと、この生活がきっといつまでも続くものではないこと。一番は、ランドールがここにいることで、彼自身に悪夢を見せているのかもしれないこと。もしそうだったのなら、私はどうしてあげるべきだろう。

ぐ、と少し力を込めて頭を押しつける。額に当たる鱗のでこぼこは、皮膚に跡を残してくれるだろうか。私の弱い力では、少し赤くなるくらいですぐ元に戻るような気がする。
急にくわ、とあくびが出て、そろそろ意識がもたなくなるのをなんとなく察知した。どうか、明日も変わらない朝でありますように、と、願ってしまう自分を、彼が知らないと良いけれど。




なにやら体温が上がっているのを感じて、ふと目が覚めた。普段の寝起きよりもずっと疲れているような気がするし、原因の分からない不快感が拭えないけれども、なぜなのかはよく覚えていない。
熱のこもるところを見れば、小さな頭がそこに居座っている。

「暑苦しいんだよ…」

ぴとりと貼り付くように眠る人間が、自身の温度をこちらに分けているようであった。胸元にかかる髪の先が鬱陶しくてたまらないが、眠る彼女を起こしてまで逃れたいとも特に思えなくて、結局いつも好きにさせてしまう。布団に入った時にはこんなに近くにはいなかったはずだが、彼女のことだからなんの躊躇いもなく懐に潜り込んだのだろう。

人間にここまでの距離を許してしまっている、という状況を、少し前の自分が知ったらどれほど絶望するのだろうか。落ちぶれてしまっている、と今でも焦りを感じることはあるけれども、家主のくせに雛鳥のようについて回るこいつを前にしてしまえば、考えるより先に許容してしまうのが常である。

「う…」

溢れるように声がした。ここからでは顔にかかる髪のせいで表情が見えない。数時間前に乾かしてやったそれを払い除けると、珍しく眉間に皺を寄せて眠る姿が目に入った。いつも能天気な顔をしているのに、一文字に閉じる口からは戯言ひとつ飛び出さなそうである。

「怖い夢でも見てんの」

尋ねても、もちろん答えが返ってくることはなかった。大体、こちらがいくら動いたとてそうそう起きることのない図太いこいつが、少し声をかけただけで起きるようならば毎朝あんなに苦労はしていない。つん、と力の入っている辺りに触れると、少しだけ皺が和らいだ。なんて単純な。

怖がらせ屋を隣にして、他のものに怖がるなど、なんて贅沢な奴だろうか。この狭いベッドには余まる尻尾を彼女の方に回してやれば、さらにすり寄るように身じろぎをする。段々と穏やかになる表情に、人間を落ち着かせてどうするんだ、と過去の自分が問いかけていた。脅かす気も起きない、馬鹿な女に拾われてしまったのが運の尽きだ。

暗闇の中で、クローゼットの横にかかる時計を見ればまだ深夜の三時過ぎである。まだ起きるには早すぎる時刻、静かに目を閉じれば眠気は自然とやってくるだろう。先程まで渦巻いていた不快感はいつのまにか消えてしまっていて、ただ人肌に溶け込むようにして意識は薄れていった。

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