「ね、ビルは大きくなったらなにになりたい?」
懐かしい記憶だ。小さい手が彼の右側の辺に触れる。ふっくらとしたその肌はもう今の私にはないものだった。子供の単純な質問に、ビルはぱちぱちと目を瞬かせる。大きな目玉にうっすらと幼い頃の自分の姿が映っていた。
「きょうね、学校で聞かれたの。ビルの夢はなに?」
「私は夢というものは持たない。でも、決まっていることならあるぞ」
「決まってること?」
「三次元に出て、宇宙を手にし、お前たちの支配者になることだ」
ごく当たり前のように。準備はなかなか上手く進んでいるのだと意気揚々と語る。
私には「しはいしゃ」の意味は分からなかったけど、ビルがなんだかやけに楽しそうで、多分いいことなのだろうと思っていた。物心ついた頃からの親友が嬉しそうにしていると自分も嬉しくなる。
「しはいしゃってなに?」
「王のことだ。全てが私のものになる!」
「ふうん。おうさまか」
子供の私よりも小さなビルが王様だなんて想像がつかない。黄色いからきらきらの王冠は似合いそうだね、と、溢した言葉に彼は何を返したんだったか。ちらりと青い火花が散る。
「君はなんて答えたんだ?」
「わたしはね、」
幼い頃の夢。ありふれた、小さい女の子がよく望むようなものだった気がする。思い出そうと記憶を探ったとき、耳元でぱちんと指を鳴らす音が聞こえた。
「、うわっ」
目が覚めると、ちかちかするぐらい強い黄色が目に刺さった。事の原因は横になる私の真上に浮かんでこちらを見下ろしている。天井から吊るされているランタンの照明が見えなくなるくらい至近距離にある大きな目玉に、大声で叫ばなかったのは褒めてもらいたい。
折角来てやったのに放ったらかしだなんて!わざとらしくそんなことを言われた。上体を起こして彼を自分の膝の方へと引っ張れば、素直に三角の薄い体がそこに収まる。
「夢の中で夢見た」
「そういうこともあるだろう。ここは君の頭の中なのだから」
そういうものだろうか。私の頭の中だと言うけれども、ここのことは正直どんなときも彼の方が詳しい。
夢に出た、小さな頃の記憶。まだビルと出会ってからそんなに時間が経っていないときの記憶だ。
今になってなぜそれを、しかも夢の中で見たのだろうか。あの時のようにそっと彼に触れてみるけれども、ビルの視線が一瞬そちらに向かうだけであった。つまらなそうに半分に閉じられた瞼がゆったりと動く。
「ビルはまだ支配者になりたいの?」
「またその話か?そろそろ準備が整うところだ」
「うそお」
「今に分かる!楽しみにしているといい」
約束は果たすさ。きゅっと糸のような小さな手が小指に絡まる。約束ってなんだったっけ。すっかり昔のことは忘れてしまっていた。
困って彼の方を見れば、先程まで思っていたことが顔に出ていたのかため息でもつきたそうな雰囲気である。じっとりとした視線が纏わりつく。
「つい最近のことだろう、忘れたのか?」
「最近でもない…けど、ごめん」
十数年前は最近とは言わない、と思うけれど、非はこちらにあるので文句は言えない。なにか大切なことだったのだろうか。忘れ去られて怒られるかと思いきや、案外彼の気分は変わっていない様子だった。いつもだったら文字通り真っ赤になっているのに。
「まあいい。君が覚えていなくても、大して問題にはならない」
「教えてくれないの?」
「知っていても知らなくても、結末は変わらない。君が望んだことだ」
ふわりとビルが膝から離れた。と、同時に一瞬で辺りが真っ暗になる。かろうじて小さく滲む青いランタンの光だけが点々と揺れていた。見覚えのある色。寒気のするような、ずっと見ていたくなるような。
「そろそろ目が覚める頃だ。君の夢が叶う日に、また会おう」
三日月が浮かぶ。また眠たくなってきて瞼を閉じれば、その裏側に三角の残像が残っているような気がした。
「わたしはね、おひめさまになりたい」
お前は姫などという器ではないだろう、と悪魔は思った。しかしながらきらりと輝くそのまるい目を見れば、その望みに利用価値があるのは明らかである。
正直言って姫も愛玩動物も変わらない。彼女がよい働きをしてくれるとも思えないが、幼い頃からこうして頭に入り込み、決して裏切ることのないように育てた駒がいくつもあるわけではなかった。
要するに、ここが彼女に首輪をつけるチャンスだったのである。
「なんだ、そんなことなら簡単に叶えられる」
「そうなの?」
「王は誰を姫にするかも決めるだろう?私が君を選べば済む話だ」
「選んでくれるの?」
「もちろんだとも!親友の願いを叶えられるなら、こんなに嬉しいことはない」
でも、少し条件がある。悪魔は続ける。私が王になるために協力すること、離れないこと、拒絶しないこと。子供は半分も理解してない様子であったが、希望を前にした人間の取る行動と言えばひとつしかない。にたりと不気味な笑みが浮かび上がる。
「守れるか?」
「うん、守れるよ。ゆびきりげんまんする?」
「ああ、契約成立だ」
差し出された小指が揺れる青に染まる。彼女を仲間として迎え入れるという未来を約束したその記憶は、夢の隙間へとゆっくり落ちていった。