180℃をも超える意識

人間の適応能力というものはかなり優れていて、最初は反射的に拒否してしまっていたものでも、毎日のように見たり触れたりしていればそのうち慣れてくるものだ。

それはわたしの幼馴染も例外ではなく、彼のクラスメイトが見たら次の日質問攻めにあうであろう体制でわたしと共にいた。小指に伝わる自分のものでない熱さが、じんわりと指先に広がる。

「手、めちゃめちゃ熱いね」
「う、うぅ、だって……」

ゆるゆると離れていこうとする彼の細い指を、逃さない様にもう一度捕まえる。ただ小指と小指を絡めるだけでこんなに震えてしまう彼は女の子が大の苦手で、触れることはおろか話すことさえままならない。

そんな彼がどうしてわたしなんかと一緒に居るのかというと、ひとえに「慣れるため」である。幼馴染という立場で、数少ない彼が話せる女子という立ち位置を獲得していたわたしは、彼の女の子克服の手伝いをしていた。きゅっと小指に力を込めれば、声にならない呻きを洩らしてびくりと肩が揺れる。




今日の昼、急に家に来たと思ったら開口一番「慣れるために手を繋いで欲しい」と叫ばれたわたしは、取り敢えず作ろうとしていたお昼ご飯の材料を一人分増やした。

大人しく作ったパスタを食べてくれた彼の話を聞くに、どうやら早急に女の子慣れする必要があるようだった。珍しく(わたし以外の女の子からしたら大して珍しくも無いのだろうけど)焦った様子の幼馴染に、それで克服できるのか疑問ではあるものの肯定の返事をして、一時間。

普通に手を繋ぐのはあまりに無理そうだったから小指繋ぎに変更して、大して面白くもない映画を見ていた。隣の彼は映画の内容なんてまるで頭に入っていないようで、真冬なのにだらだらと可哀想なぐらい汗をかいている。帰る前に風呂を貸してあげた方が良いかもしれない。

「一回休憩する?疲れたでしょ」
「っえ、や、まって、だいじょぶ、だから!そのまま、で…」
「…そう?ならいいけど」

全く大丈夫そうには見えないが、本人が良いと言うならば止める必要もない。けど、小指だけでも分かるくらいどくどくと脈打つ血管が破裂してしまう前に、こちらでセーブしてあげなければいけないかもしれない。それぐらい彼は今切羽詰まっていて、結果を急いでいるようだった。その様子に、違和感が拭いきれない。

普段の彼は、どちらかといえば自身のそれに消極的で、直したいと漠然と思ってはいるようだったけれど、今日みたいに行動に移すことはなかったように思う。

どういう心境の変化なのか、考えて思い当たるものは幾つかあるけれど、どれも可能性が低い気がして、なかなかこれという答えが見つからなかった。いつに間にか首まで真っ赤になって、全く慣れる気配のない彼に、そっと聞いてみる。

「ね、あのさ」
「ぅ、な、なに…?」
「好きな人でもできた?」

はえ!?なんて間抜けな大声が部屋に響いた。30%ぐらいの確率で当たるかなと、ほぼ冗談みたいなノリで聞いただけだったのに、なんと図星であったらしい。なんでそれを、とでも言いたげな顔が真っ赤を通り越して真っ青になっていた。単刀直入に行き過ぎたか。

「いや、急に克服したいとか言うから、お近づきになりたいと思う娘でもできたのかなって」
「い、いないよ」
「それは流石に無理があるって」

相変わらず誤魔化すのが下手なひとである。逸らすなんてレベルではなく泳ぎまくっている目はもう殆ど泣きそうになっていて、問い詰めるのも可哀想に思えてきてしまった。好きな人、聞き出そうと思っていたけれど今度にしてあげようかな。まだ繋がれていたままだった小指を離して、自然に上がる口角を隠す。

「応援してるよ、新之助の初恋」
「…ぁ、ちが、」
「大丈夫、別に言いふらしたりしないよ」

安心させるようにそう言うけれど、彼はぶんぶんと頭を横に振るばかりであった。何やら様子の可笑しい彼に、もしかして早とちりをしてしまったのではと一瞬焦るけど、恥ずかしそうに下を向く彼は完全に恋する乙女である。必死に言葉を探す彼をじっと待つと、意を決したようにきりりとした目が此方を見抜いた。

「あ、あの、俺、」
「うん」
「なまえちゃんが、こ、告白されたって聞いて」
「うん?」

予想外の言葉が飛び込んできて吃驚する。たしかに、先日よく知らない上級生から告白を受けて断ったけれど、それを彼に言った覚えは無い。

わたしの怪訝そうな顔を見て怪しまれていると焦ったのか、「えっと、その人が犬飼先輩の知り合いで」という補足が入った。犬飼先輩は、たしか彼の所属する隊の人である。

「そ、それで!俺、急がないと取られちゃうって思って」
「……ぇ」

「でも、前なまえちゃんが彼氏できたら手繋いで一緒に帰りたいって言ってたから、手繋げるようになんないとって、思って…」

「……そんなこと、言った?」
「え、言ったよ!」

全く覚えが無い。それ、いつの話?と聞けば、小学校の…なんて返事が返ってきて再度驚いた。そんな前のことまで覚えてるのか、この男は。

勢いに任せて彼が前のめりになって、一瞬だけ腕がぶつかる。ぽぽぽ、と赤くなった彼の頬と共に、今度はわたしの心臓も変な音を鳴らし始めていた。映画は既にエンドロールへと向かっているけれど、どういう流れで完結したのか全く分からない。

「新之助の、好きな人って」
「う、うん…えっと、その、なまえちゃんが、好き、です……」

誤解されるのが一番良くないって犬飼先輩が言ってたから、つい言っちゃった…既に半泣きの顔でそう溢す幼馴染は、今までに見たことのない顔で此方を見つめる。

彼を揶揄えないほど煩く心臓を鳴らしてしまっているわたしは、どうにも耐えられずに彼の肩に額を預けた。うわあ!とムードもへったくれもない情けない声がすぐ上で聞こえる。真冬なのに火傷するくらい熱くなった手は、もう当分彼の手を取れになかった。

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