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少しご相談が、と。いつものようにセンターのアルバイトとして書類の整理をしていたとき、唐突にセンター長から声をかけられた。

暗い部屋の一番奥の方に佇む彼は、いつもなにを考えているのか分からない。振り向いて目が合うと、涼やかな視線をずっと向けられていたことに気がついた。

「なんですか?」
「今後の業務のことなのですが」

少し音を立てて車椅子のタイヤが動く。こちらに近寄ろうとそれを回すそぶりを見せた彼に、私の方から机まで移動すれば、小さくお礼の言葉が聞こえる。

この部屋はそこまで大きくないから離れていても十分声は聞こえるはずなのだけど、彼はどうやら面と向かって話したいらしい。薄ら笑いでゆるやかに描かれる口元の曲線が開く。

「実は、新しく職員が入ることになりまして」
「え、そうなんですか」

珍しい。全く無いことではないけれど、やはりこの名前であるし、わたしの知る限りでは人の出入りは激しい方ではなかったと思う。驚くわたしに、センター長はそのまま続ける。

「ええ。なので、それに伴いなまえさんの業務体系も変えようかと。具体的には、センターの方に出向くことはないような形にしようと考えています」
「…リモートってことですか?」
「そうですね。その認識で構いません」

そんなことは初めてのことであった。今まで職員が増えたり減ったりすることはあれど、わたしのやることは大して変わらなかったはずである。最初こそ外での仕事をしていたけれど、センター内に出入りするようになってからは、業務内容が変わることはそう無かった。

それほど特別な事情のある新人なのか、それともわたしの仕事内容を引き継ぐ形になるのか。分からないことが多くて思わず眉間に皺が寄る。と、それを見て宥めるように彼は付け加えた。

「貴方の立場を譲るわけではありませんよ。彼女は現場に出向いてもらう予定ですので」
「…急に視ないでください」
「意識してなくても視えてしまうもので」

千里眼とは厄介なものである。その能力を聞けば聞くほど過ごしづらいのでは、と思うけれども、当の本人は大して気にした様子も見せていなかった。

「彼女が調査を行っている間に、なまえさんには家で作業をしてもらおうかと。センターチャンネルの更新頻度も上げていきたいですからね」
「…なるほど」

それは、わたしに手伝えることはあるのだろうか。全部センター長一人でできそうだと思ってしまうし、現に動画に映るのも編集を行うのもセンター長のみであるのだけど、まあ彼には彼で考えがあるのだろう。ただのアルバイトのわたしは指示に従うまでである。

「分かりました。いつからですか?」
「明日からです」
「じゃあ明日からリモートで……明日?」

突然すぎないか。ぽかんと口を開けて呆けているわたしに、センター長ははい、と一言肯定を示した。もうちょっと早く言ってほしかった、と思う反面、そういえばこの人は結構強引だったのだと思い出す。

ああでも、新しい人が突然決まったのなら仕方ないのかも。わたしがここで働き始めたのも、トントン拍子で決まっていった記憶がある。

「何か問題が?」
「いや、特にはないんですけど、びっくりしちゃって。大丈夫です」
「そうですか。不安があれば言ってくださいね」

貴方のことは重宝していますので、抜けられては困ります。顔の前で組まれた手の向こう側に、センター長のきれいな顔が見える。立っているわたしに対して上目でこちらを見上げると、意外にも大きな目をしているのがよく分かった。

なかなか彼のことは読みづらく、その言葉が嘘が本当かもわからないけれど、頼られて悪い気はしない。にま、と口角が上がってしまっている気がして、さりげなく手で口元を隠した。こんなことをしても、彼の眼の前では無駄なのかもしれないが。




「現場での調査中は私も電話を介してのサポートに入りますので、基本的に連絡は通じないと思っていてください」
「え」

帰り際。付け加えるように伝えられた言葉に、思わず固まる。朝に仕事内容を送られて、なにか連絡があれば夜に返信するとのことであった。千里眼で調査を見るならばそれもそうか、と納得はするけれど、納得と感情とは別のものである。

それって、センター長と話せる機会がかなり減るのでは。思い浮かんだそれは随分と私欲に塗れた思いつきで、仕事なのだからときゅっと口を結んだ。間違ってもここでは言えない。

ふと、ぴくりとセンター長の眉が動いた気がして、嫌な予感がした。咄嗟に帰ります、と逃げようとした瞬間に、服の裾を掴まれて動けなくなる。力こそ籠っていないものの、彼の身体のことを考えればわたしが振り払えないことは明白であった。きっと、センター長もそれをきっちり理解している。

「…なにか思うところがありそうですねえ。お聞きしますよ」
「……い、いや、いいです」
「内容の察しはついていますから、隠したところで意味はないかと」
「う……じゃあ言わなくても良くないですか」
「認識の差があっては困りますので」

さあどうぞ、とこちらに促す彼は、先程の淡々とした様子と比べて随分と楽しそうであった。人が困っているところを見るのが好きなのだろうか。考えてみれば、確かに好きそうである。

どことなくきらきらと怪しく輝くその笑顔は、都市伝説を語るときの彼に少し似ていた。言い逃れできなそうなので、諦めて閉じていた口を開く。

「あの〜…」
「はい」
「ちょっと、ちょっとだけ、さみしくなるなあって、思って………」

だって、これまで、ずうっとここに通って一緒に過ごしてきたのだ。わたしはなんだかんだセンター長の長い長いオカルト話を聞くのが好きだったし、センター長のことも大分好きだったので。この時間がすっぱり無くなると言われてしまうと、どうにも惜しいと思ってしまう。

「清々しいほどの公私混同ですね」
「わ、分かってます!だから言いたくなかったんです」
「ええ、貴方の仕事に対する真摯な向き合い方は十分に知っていますよ。言わせた私に責任があります」

責任ってほど重いものでもないと思うけれど。言葉の割に、センター長の口調は優しかった。少しほっとして息をつけば、かち、とセンター長の爪の先が、机に置いてある彼のスマホの画面に当たる。ぱ、と点いた画面は初期の壁紙のままで、またすぐ暗くなった。

「言葉や思いというものは、口に出したり綴ったりすることで存在が確立します」
「…はあ」
「つまり、今回のことで言えば、私は貴方の『寂しい』を、存在しないものとすることもできたのです」

「……」
「ですが、私はそうしなかった。それは何故だと思いますか?」

なぜか。彼は初めに会った時から、こうした謎かけのような問答を好む。きゅう、と喉が閉まる感じがした。

都合よく解釈すれば、いくらでもわたしの願望に寄せた回答ができるけれど、それをやすやすと口にできるほどわたしは楽観的ではない。黙り込むわたしを彼は決して甘やかさず、答えを静かに待っている。

「か、揶揄いたかった、から?」
「それも無いことはありませんが、貴方であれば他にも揶揄うネタにできる事柄はいくらでもあります。あえてこの話題を出さなければならなかった理由を考えてみてください」

一刀両断であった。適当な答えでは当然許されない。この話題にしなければならなかった理由。センター長はヒントの出し方がいつもスムーズで、頭の回転が早いのだろうなあと他人事のように思う。

「ええと、わたしがあまりに顔に出してて、見てられなかったから、とか」
「確かに顔には出ていましたが、その上でスルーすることも可能でした。わざわざ触れる理由にはなりませんね」

それはそうである。センター長はこちらの様子を伺って気遣うというよりは、それをどう利用できるかを考えるタイプであった。

「じゃあ、センター長もわたしと会えなくなるのか寂しかったから、なんて……いやあ、そんなわけないですよね!」
「Great!初めの頃に比べて確実に成長していますね。実に素晴らしい」
「エッ」

「その回答を引き出すのにもう少し時間がかかるかと思いましたが。自己肯定感が上がってきたのでしょうか」

センター長がにんまりと笑う。そんな冷静に分析しないでほしい。冗談で、願望たっぷりの回答をしたはずなのだけれど、そんなにあっさり正解だと言われてしまっては逆に居心地が悪かった。この部屋は空調が効いていて、外に比べてかなり涼しいはずなのだけれど、やたら身体が熱く感じる。

「冗談、だったんですけど…」
「残念ながら、私は冗談で終わらせるつもりはありませんよ」

「センター長に寂しいとかいう感情あるんですか…?」
「正確に言えば、『惜しい』の方が近い表現かもしれませんね。私の話に乗ってディスカッションをしてくれるのは貴方くらいのものでして」

ただお話し好きなだけか。段々と冷静になってきて、彼の感情にわたしの期待するような温度はないことに気がついてきた。

安心するのと、少し残念に思うところもあって複雑な気持ちであるけれど、この絶妙な関係が壊れるよりはずっとマシである。呼吸を整えて、彼にあらためて向き直った。わたしの顔を見て、彼はまたゆっくりと話し出す。

「事実として双方に同じ思いがあることを確認した上で、提案があります」
「…なんですか?」

「夜に進捗報告と称して通話をしませんか?文面でやりとりするよりもスムーズですし、顔が合わせられなくとも会話は可能です」
「…いいんですか?」
「貴方のご都合がよろしければ」

都合など、いくらでも合わせられる。じゃあお願いします、と返した声は分かりやすく弾んでいなかっただろうか。

ぱっと離された服の裾がひらりと舞うのを見て、そういえばずっと掴まれっぱなしだった、と思い出す。いつも余裕のあるセンター長らしくないな、などと一瞬思ったけれど、もう一度彼を見れば変わらず涼やかな微笑みを浮かべていて、すぐにそんな考えは抜け落ちていった。

「じゃあ、電話待ってますね」
「はい。では、また明日」

次を確約するその言葉が、こんなにも心を満たしてくれる。今度は隠しきれずに上がってしまう口角に、センター長は満足気に頬杖をついて、エレベーターへと乗り込むわたしを見つめていた。

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