ティンカーベルはだあれ?

「貴方をユメの王子さまにはしてあげられないけど、お姫さまのそばにいる妖精さんくらいになら、してあげてもいいの」

にこり、と。至極愛らしいお顔で、一体この子はなにを言っているのだろう。ほとんど力の入っていないような、男の子にしては細めの指先がわたしの頬に触れる。と、同時に、かあっと自分の顔が熱くなるのがわかって、それに気をよくした彼がそのまま頬を刺した。




ユメちゃんのことがすきだ。可憐なその容姿も、わがままでマイペースなその性格も、全部わたしにはないものばかりで眩しい。

恋慕というよりは憧れ、いいや、憧れというには少し薄汚れてしまっているこの想いをなんと形容すればいいのか分からないけれど、とにかくわたしは彼のことがすきで、彼も随分と前からそれに気がついているようであった。

「妖精、さん」
「お姫さまが幸せになるために手助けしてくれる妖精さん、なの。読んだことあるでしょ?」
「…まあ」

あるけれども。彼がマイペースに突っ走っていくことは常だったが、今回ばかりはその突拍子のなさについていけずに呆けてしまう。はてなマークを浮かべるわたしを見て、よく分かっていないと察したらしい彼は、「まったくもう」とでも言いたげに目を細めた。

「ユメの王子さまはもうエスって決まってるの」

だから、貴方の席はないってこと。淡々と告げられる言葉は、見た目こそわたしを切り刻む刃物に見えるけれども、その感触はやわらかいものであった。彼はわたしが嫌いだからそう言うのではなく、単に事実として、それを話している。

もちろん、彼がエスくんにご執心なのは最初から分かっていたことだ。散々公言されているそれを、全く見ないふりをするわけにもいかず、しくしくと胸が痛んでいたのも束の間。
そのことについて、もうわたしはとっくに踏ん切りがついてしまっているし、なによりも、わたしはエスくんを愛しているユメちゃんを好きになったのだと気がついた。もっとも、自覚したのはつい最近のことであったけれど。

「でもね、ユメはなまえさんのこともそんなに嫌いじゃないの」

そのうちに離れられればいいと、ゆっくり気持ちに区切りをつけようと思っていた。のに。目の前のお姫さまはそれさえ許さないらしい。

「だから、妖精」
「そう。貴方なら隣にいても別にいいの」

うれしいでしょ?と。すり、と腕に重みがかかる。右腕に絡みつけられた手はまるで枷のようで、そういえば妖精が海賊に捕まる物語があったな、と他人事のように思う。

一番にしてくれないのに、離してもくれないだなんて、なんてひどい子だろうか。そんな彼だと分かっても、こうして触れられると反応してしまう心臓が情けない。

「ああでも、ティンカーベルにはならないでね?嫉妬に狂ってしあわせな二人の邪魔をするのは、許されないことなの」

……そうなると、ユメがピーターパンになっちゃう?ふふ、エスがウェンディなんて、なんか変な感じなの。





「もう!なに!?意味がわからないの!」

ギチ、と血が止まってしまいそうなくらいに絞められた腕が悲鳴を上げている。いつものか弱そうな感じはどこにいったのか、牙を剥いてぎゃんぎゃんと騒ぎ立てる様子は、その可愛い顔が台無しである。

隣にいるエスくんをちらりと見ると、一体どこを見ているのか、遠い目をしていた。こういう状況には慣れていそうである。彼に助けを求めるように名前を呼べば、右腕の圧力がさらに増したような気がした。

「ユメのこと好きなんでしょ!?浮気なんて信じられないの!ちゃんと謝って!」




お昼過ぎ。カフェテリアでたまたま会ったエスくんとお話ししている時に、彼はやってきた。むんず、といかにも不機嫌です、という顔をして、大股で歩いてくる姿はその小ささに反して威圧感がある。

わざわざわたしとエスくんの間に入って、威嚇するようにこちらを睨みつけた彼に、これは「邪魔するな」の意だろうな、と他人事のように思った。別にエスくんを取ろうと思ったわけではなかったけれど、ユメちゃんはそういう風に捉えそうである。

と、最初は考えていたのだけれど。

「なまえさんの一番はユメでしょ!?なんでエスに現を抜かしてるの、エスにデレデレしていいのはユメだけ!」
「それ、お前どっちにイライラしてんの?」
「どっちもに決まってるの!二人ともユメのことしか見ちゃダメなのに!」

呆れたようにエスくんが首を傾げる中。彼がぎゅうっと抱きついたのは彼の愛しい王子さまではなく、わたしの方であった。かちんこちんに固まるわたしを他所に、二人はいつものペースで会話を続けている。

「ねえ、貴方はそんなちっぽけな覚悟でユメのこと好きになったの?ずうっとユメにだけ夢中って言ってたのに」
「そんなこと言ってな、」
「言ったの!エスもエスで、この子はユメのことしか見てないんだから、相手しても意味ないの。関わらないで」
「あの、ゆ、ユメちゃん、ちょっと待って」
「なまえさんは黙ってて!」

謝れと言ったり黙れと言ったり、気まぐれなお姫さまである。全く話を聞く気がなさそうな彼にさすがに困ってしまって、藁にもすがる重いでエスくんの方を見れば、しかたないなあと言うように一歩こちらへ近寄ってくれた。言い聞かせるように彼が口を開く。

「あのなあ、お前がぎゃんぎゃん騒ぐせいでなまえさんが困ってるだろ?いつもお世話になってるんだからあんま迷惑かけるなよ」
「……」
「睨むなって。そもそもおれたちだって会話くらいするし、いちいち取り締まってたらキリないんですけど〜?」
「わっ!」

ってことで、と。ぐいっとエスくんが、ぎちぎちにされているわたしを救い出そうと手を引っ張ってくれた。勢いに任せてそちらに倒れ込みそうになるけれど、エスくんは華奢に見えて意外としっかりとしていて、難なく受け止めてくれる。

ありがとう、とお礼を言う前に、後ろから感じるものすごい怨念のような空気を感じた。やば、ミスった、と顔に書いてありそうなエスくんの顔が上の方に見えて、わたしも恐る恐るそちらに目を向ける。ばちりと合った紫色の目は、溢れ出る怒りに潤んでいた。膨らんだ頬は、こんなときでも愛らしい妖精のようなピンクに染まっている。

「も、もう、エスの、なまえさんの、わからずや〜〜〜!!」

その身体のどこから声が出ているのか、カフェテリアに大きな涙声が響き渡る。これから機嫌を取るのにどれくらい時間がかかるのか、予測もつかない未来に思いを馳せて、二つのため息がぴったり重なった。

top / buck