ヴァレンティノの自室にはつまらない女がいる。
特別かわいらしい顔をしているわけでもなく、格別豊かな身体を持っているわけでもない。背丈は地獄の平均よりも少し小さいくらいだし、性行為に長けているかと聞かれれば、むしろ下手な方である。知識も大して無ければ、技術など微塵も有りはしなかった。
「ヴァレンティノ、おかえりなさい」
小さな足をぺたぺたと玄関の方に進め、能天気な顔で自分を出迎える彼女には心底腹が立つ。こっちは疲れてるんだ、お前になんか構っている暇はない、大した性欲処理にもならないくせに、と怒鳴り散らして引っ叩いてやりたい気分であるのに、そのハートのサングラスはかちゃ、と彼女の肩に当たって音を立てる。買い与えたボディソープの、柑橘系の香りが広がって頭が痛んだ。
ヴァレンティノは、彼女に手を上げたことがある。
ばし、と乾いた音が響いても、心臓で騒ぎ立てる苛立ちはどうにもならなかった。いや、いつも誰を撃ち殺したって収まることは無いのだけれども、ここまで不快感のある、体内で這いずり回るような衝動が残るのは珍しい。
自分の足元で倒れ込む彼女を見下げる。その顔はただ痛みに、自身を襲う刺激に耐えているだけで、相手に対する憎悪や怒り、あるいは恐怖なんかは一欠片も浮かんではいなかった。彼女はこちらを見てはいない。強い激情のもらえない行為は酷く退屈で、唆られないものであった。無理矢理組み敷いた時も同じこと。
「ヴァレンティノ、ありがとう」
怪我がこれ以上悪化しないようにたどたどしく包帯を巻く彼女を眺めていたら、どうにもその手際の悪さに我慢ならなくて、自然と腕のひとつが彼女の手を攫う。いらいらする。もう一度酷くしてやってもいいのに、誰にやられた傷かなんて全く気にしてなさそうな阿呆な声を聞いてしまったら、そんな気も失せてしまった。トリガーにかけるはずだった指は行き場を無くして、彼女の傷口に落ちた。
ヴァレンティノは、彼女を部屋の外へは出さない。
自身の作品に出させるどころか、彼の仕事仲間にさえその姿を見せたことは無い。完全に籠の中の鳥である彼女は、それでもそこから逃げようとはしないし、今日もいいこにベッドの上でテレビを見ながら、彼の帰りを待っている。
「今日は帰ってこないのかなあ」
ぽつりとつぶやいた独り言を、カメラのマイクが拾う。帰りたくても帰れねぇんだよ、と怒声を浴びせる先はモニター越しの彼女ではなく、目の前の演者である。
デスクを蹴飛ばした衝撃で酒のグラスが落ちて大きな音を立てた。最近のヴァレンティノの腕のひとつには、大抵自室の監視カメラの映像を映したタブレットが抱えられている。
ヴァレンティノは、彼女に一度だけ謝ったことがある。
喧嘩をしていた。喧嘩と言っても、例に帰れず彼が一方的に怒りを露わにしているだけのそれを、彼女はぼうっと聞き流していた。そのうちに収まるだろう、と良く回る口を眺めていると、唐突にクリアに耳に入る「もう出ていけ!」の言葉。
ヴァレンティノにとってはいつもの癇癪のひとつに過ぎなかったそれを聞いた瞬間見たことのない顔をした彼女から、彼は目が逸らせなかった。
「ヴァレンティノ、出てくから、離して」
初めて外へ意識を向けた彼女を、どうしてもこの腕が逃そうとしない。こいつが出ていけば日々感じる憤りも、へらりと下手に笑う笑顔も見なくて済むのに、甘い謝罪がほろほろと口から溢れ出る。
いかないでくれ、なんて、こいつに言う日が来るとは思っていなかった。
ヴァレンティノは、されるがままの彼女にいい加減飽き飽きしていた。
数日放っておいても、帰れば一言「おかえりなさい」と言うだけで他にはなにもなし。暴力も性行為も大した反応が得られず勃つものも勃たないし、あれをしろこれをしろと命令すれば、ほとんどのことはそつなくこなしている。外に出たいかと聞いても肯定も否定もせず、鎖も鍵もかけず野放しにしても、大人しく用意された箱庭で過ごす。
ヴァレンティノは従順なペットを従えるよりも、少し反抗的な暴れ馬を躾ける方が好みであった。
「つまんないんだよ、あいつ」
愚痴を聞かせると、必ずあのお堅いハニーは「ならば捨ててしまえばいいじゃないか」などと抜かす。それができていれば、彼女はもうこの地獄にはいないであろうに。
ヴァレンティノの自室にはつまらない女がいる。
つまらないのに、どうしても手放せない女が、今日も彼のベッドで主人の帰りを待っている。