きらりと、透明の背の高い器の縁が光った。可愛らしいパステルカラーの店内の輝きと、そこに吊るされている明るすぎるほどのライトが反射して目がちかちかする。
場に不釣り合いな気がしているわたしとは対照的に、ここにわたしを連れてきた張本人はまるでこの店のディスプレイの一部かと思うくらいメルヘンに馴染んでいた。
「……むう」
今日の午前中、珍しくかかってきた電話では随分と上機嫌な声で話していたのに、今目の前にいるユメちゃんはきゅっと口を結んでいた。彼とわたしの間に鎮座しているのは、机の天板から己の顎下くらいまではありそうな大きなパフェである。
ガラス越しに見える甘味の地層は半分も減っていなくて、パフェでしか使われないような長い柄のスプーンはぴたりと動きを止めていた。スイーツではなくこちらをじっと見つめている彼の目はどことなく虚で、思わず自分の手元のケーキを食べる手が止まる。
「もう食べられないの。これ全部あげる、の」
「ええー…」
なんとなくそうではないかと思ってはいたけれど、この量を全て引き渡されるとは。「お腹いっぱい」と苦しげに言われることを想定して、無理して食べなくても、と言うつもりだった口はすっかり萎んでしまった。わたしの頼んだケーキも、まだ三角形の先端を削ったのみである。
「これが食べたくて来たんじゃなかったの?」
「ユメはかわいい写真を撮りたかっただけなの。エスに食べてもらうつもりだったんだけど、仕事で行けないって我儘言うから、なまえさんを連れてきたのよ」
「わたし、ケーキ頼んじゃったんだけど」
「うん。見通しが甘いのね」
最初から残りを食べさせるつもりだったなら、頼むときに一言そう言ってくれればコーヒーだけにしたのに。
そう苦言を呈すと、「だって、そのケーキをどうしても食べたいんだと思ったんだもの。ユメは気を遣える良い子、なの」と彼はぷっくり頬を膨らませた。
良い子は写真を撮るためだけにパフェを頼んだりするのだろうか。それとも、今の中学生はみんなそんな感じなのだろうか。彼と会話をしているうちにも、刻一刻とパフェに乗るアイスは溶けてきている。
「ユメと一緒に来たってことは、ユメの面倒をちゃんと見るってことなの。おやつだってそう」
「そんな、横暴な」
ぱくりと、自分のケーキをフォークに刺して口に運ぶ。まだ甘くて美味しいと思えるけれど、このパフェを食べた後に同じように思えるとは到底思えなかった。
きっと大量の生クリームと致死量の甘さに溺れて胸焼けしてしまう。考えるだけでうう、と喉が閉まる感じがして、眉間に皺が寄った。
「……もう、仕方ないの」
難しい表情でケーキをつついていれば、はあ、と大きくため息をつかれた。それはこっちのセリフなのだけれど、と思いつつ、彼がどう出るのか眺めていると、先程まで手から離されていたスプーンが彼によって動かされる。めんどくさそうにへの字になった口元が、グラス越しによく見えた。
自分で食べるつもりになったのだろうか。無理して気持ち悪くなられても困るし、もったいないけれど残してしまえば、と言いかけたそのとき、眼前にスプーンの先がぬっと現れる。
向けられた曲線の上には、アイスと生クリーム、中の方に入れてあるスポンジがバランスよく収められていた。ごくり、口の中にあったケーキが食道に落ちる。
「はい」
「…え?」
「あーん」
丸く、小さな彼の口が開けられて、その静かでささやかな圧力に催促されるままに自分の口もそれを真似していた。その一瞬を逃さずに隙間から冷たいスプーンの先が差し込まれる。
舌に乗るパフェの一部はひんやりとして、ケーキとはまた違った種類の甘味が口に広がった。これでもか、と言うような、胃を染め上げるような味。まずくはないけれど、映え意識のカフェの看板メニューとはこんなものかと思わざる得ない。
「ほんとうは、エスにしかこんなことしないのよ。でも、あなたが仕方のない人だから」
「ん、んん、あま…」
「ユメに手ずから食べさせてもらえるパフェは、普通に食べるよりもっと甘くて美味しいでしょ?」
なまえさん、ユメのこと大好きだものね。そう言ってもう一度掬ったアイスをまた口に運ばれる。
反論する気も起きないのは口にものが入っているからなのか、はたまた図星であったからなのかは自分でもよく分からなかった。きっと、どちらもである。
「エスはね、あーんってすると文句をたっくさん言うの。でもその割には毎回、親から餌をもらう雛鳥ちゃんみたいに口を開けて受け入れるのよ。それがとってもかわいい、の」
冷たい感覚が口内から下に降りていくのが分かる。この季節は店内にそこそこエアコンが効いていて、芯から身体を冷やしたらきっと寒いだろうな、とはたと気がついた。ユメちゃんは、そんなこと構いもせずにまた甘いタワーを掘り進めている。
「なまえさんも今度見てみると良いの。ライカちゃんやカンナちゃんがいるときだったら、別に一緒にご飯を食べてもいい、の。エスとふたりっきりのときは、邪魔しちゃいやだけれど」
「エスプリでいるところに入るの、ちょっと勇気いるよ」
「そう?ユメ、意外とあなたのこと気に入ってるのよ。もっと自信を持てば良いのに」
彼は度々、わたしのことを気に入っていると口にしていた。ずっと聞き流していたそれが本当のことであると知ったのはここ最近のことだ。
ユメちゃんがエスくん以外の他人を誘うという状況がなかなかないことであると教えてくれた人こそ、話題に出ている彼の王子様、エスくんである。
少し前にばったり会ったときに、「いつも面倒見てもらってありがとうございます!」と屈託のない笑顔で言われて、こぼれ話でそのことを知った。
あいつ我儘だから迷惑かけると思うんですけど、と申し訳なさそうに謝られたのは記憶に新しい。なんだか少し、嬉しく思ってしまったことも。
「ほら、まだまだ沢山残ってるの。あーん」
甘みに、舌が痺れてきた。それでも容赦なく運ばれる生クリームに口を開けざる得なくて、きっと彼には勝てないのだと自分に呆れてしまう。こんなにかわいく差し出されて、わたしを懐に入れようとしてくれて、そんな我儘なお姫様をどうやって振り切れば良いのか。彼が嬉しそうに話す意中の王子様に聞けば、正解を教えてくれるのだろうか。
「なまえさんも、食べさせてあげたらちゃんと口を開けるのね?まったくもう、ユメの周りの人はみんな素直じゃない、の」
にこりと、満足げに彼が笑う。細められたピンクの瞳と耳に届く声はやけに甘やかで、パフェを食べ終わる前にぐったりとしてしまいそうなほどであった。冷たいアイスは、もうほとんど溶けて下のコーンフレークに染み込んでしまっている。
グラスの底でどろどろになったそれを掬うスプーンに、わたしの甘ったるい顔がちらりと映った。