刃物を持たないで

すっかり気温も落ちついて、夜は肌寒く思うことも増えた今日この頃。
我がオンボロ寮では一大イベントが控え、グリムもわたしも日中眠たげに目をこすることが増えた。イベントとはただ一つ、ユウちゃんの誕生日である。

机の上に広がるのは薄い色紙を細長く切って、まるめて繋げたもの。
いわゆる飾りとして使うそれは、一年生で企画している誕生日パーティでこの寮を彩る予定の装飾である。

わたしは飾りの用意、グリムはユウちゃんがこちらの部屋に来ないように見張り番をしてくれている。ツナ缶と引き換えに、だけれど。

他の一年生たちは食事や違う飾りの用意をしてくれていた。先日役割分担が決まって今日からやっと作り始めたこれは、当たり前だけれどまだまだ長さが足りなそうである。

紙をもっとたくさん切らなければ、とはさみを手に取って、しゃきんと音を鳴らしながら刃を進めていると、かたりと後ろで硬いものが動く音が聞こえた。

『あのう…それはなにをされているのですか?』

夜遅いからだろうか、おずおずと、ボリュームを抑えて彼の声がする。小指の赤い糸はやわらかに弛んで、彼がわたしの近くへと歩を進めたのが分かった。

いいや、もしかしたら彼は歩いているのではなく宙に浮かんでいるのかもしれないのだけれど、わたしにそれを確かめる術はない。

「ユウちゃんの誕生日パーティーの飾りだよ。もうすぐなんだって」
『ほう。監督生さんの。秋生まれだったのですね』
「ね。わたしも最近知ったんだけど」

彼女はあんまり自分のことを話さないので、今の今まで誰もユウちゃんの誕生日がいつかを知らなかった。

つい一週間前くらいにたまたま誕生日の話になって、そういえばと聞いてみればもうすぐだと言うから、エースくんとデュースくんが「なんでもっと早くに言わないんだ」と文句を垂れていたのを思い出す。

去年のこの時期は、わたしもユウちゃんもここにきたばかりで誕生日どころではなかったのだ。教える機会を失っても仕方ないだろう、と思わざる得ない。

そんなことを考えているとしゃきんと一際大きく音が鳴って、一枚切り終わった。
次は何色にしよう。がさがさ紙の束を漁っていると、後ろからまた声がする。

『…切る作業はまだかかりそうなご様子で?』
「んー、うん。まだまだ枚数足りないから」
『……あの、良ければ我輩がお手伝い致しましょうか』
「えっ」

機械音混じりにかけられた言葉は、思ってもいなかった申し出であった。
お手伝いと言っても、彼はゴーストなのにそんなことができるのだろうか、と咄嗟に思う。はさみと紙を持てるのか。

そもそも、死者が生者の生まれた日をお祝いするのを手伝う、なんて、なにかひとつお話でも書けそうな展開である。彼の存在自体、フィクションみたいな在り方ではあるけれど。

『普段から物体には触れられますよ。このラジオだって自分で移動させられますし、掃除だってそこにある箒を使用しております』
「あっ、そっか」
『なので、それをお借りしても?』

それ、と指をさしたのかそうでないのか、わたしには分からないけれどきっと彼が言っているのは手に持つはさみだろう。
どことなく急かすような口調に、言われるがままにはい、と宙に向けて持ち手を掲げれば、すぐにすいっと手の中から刃が抜き取られていく。

持ち手の部分にはわたしの赤い糸がきっちり伸びていて、そこに彼がいるのだとありありと分かった。何度見ても、なにもないところに誰かがいる感覚というのは不思議に感じてしまう。

『これを同じような幅で切り揃えればいいのですよね』
「そうそう。助かるよ、ありがとう」
『いえ。お役に立ててなによりでございます』

スカリーくんが手伝ってくれるのであれば作業効率は二倍、終わりの見えない工作も早々と完成に近づけそうである。
たしか、もう一つ古いはさみがこの部屋にはあったような。

積み上がった古めかしい道具たちの隙間を覗けば、案の定アンティークっぽい見た目の細長いはさみが見えた。
ここにまとめてあるものは魔法道具ではないと彼が言っていたから、使っても問題ないだろう。

手に取って、また切る作業を再開する。今度はオレンジ色にしようかな。

『えっ』
「…ん?」

チープな色に染め上げられている色紙に少し刃を入れ込むと、久々に部屋にがびがびの不安定な声が響いた。
先程わたしが発したのと同じようなトーンで、同じ音が彼の声で流される。

驚いて後ろを振り向くと、ただふよふよと先程渡したはさみと紙が漂っていた。

わたしからでは、彼が今どういう状況になっているのか察することが難しい。
彼がわたしと出会ってから、それに機械を介して喋るようになってから早一ヶ月、すっかりラジオの扱いにも慣れて、音声が乱れることはなかったのだけれど。

「どうしたの?怪我した?」
『い、いえ、ゴーストですので、怪我は難しいかと』
「確かに」

じゃあどうして、と。矢継ぎ早に聞いてみれば、もごもごと『ええと』『その』なんて煮え切らない返事が聞こえてくる。

黙って続きを待っていると観念したかのようにひとつため息が溢れた。息遣いまで拾うそのラジオの仕組みが、何度説明されてもよくわからない。

ごほん、とひとつ咳払いをして、彼は話し出す。

『我輩だけでは、作業は間に合わないのですか?』
「…どういうこと?」
『全部我輩が切って、なまえさんは貼る作業をしてくださるのかと』
「あー、でも色が揃わないと繋げられないから」
『すぐ終わらせますから、少し待っていただいても?』
「いや、二人でやった方が早くない?」

一体急にどうしたのだろう。なぜだか、彼は少し焦っているようである。
どうして彼がそんなに切ることに拘るのか、わたしには皆目見当もつかなかった。

「なんで一人でやりたいの?」

素直に理由を尋ねると、小指の赤い糸が、項垂れるように少し下に下がっていく。言いづらそうに左右に横揺れして、まもなくゆったりと止まった。
だって、と彼が口を開く。

『危ないではありませんか。刃物なんて』
「……えー?」

その声は親が子に注意するような口ぶりでありながら、どこか幼い子がわがままを言うさまを想起させた。
宙に浮くはさみが、見せつけるように左右にばってん印を描く。

一方のわたしはといえば、一体彼にどれほど幼く見られているのかと少しむっとしていた。

歳の差で言えばもしかしたら彼にとってわたしなど赤子同然なのかもしれないけれど(なにせ彼はずっと昔の人のようだから)、一般に見たら刃物を扱うのを心配されるような年齢ではないのである。

「……わたしのこと、小学生だと思ってる?」
『ショウガク……ああ、エレメンタリースクールのことでしたね。いえ、そんなことはないのですが』
「そんなにそそっかしくないし、はさみくらい大したことないよ」

失礼しちゃう。拗ねたように大袈裟にそう言ってみれば、あからさまに彼が慌て始めたのが糸の動きで分かった。
ゆらゆらと居心地が悪そうに、再度揺れる赤い線を目で追う。

『うう、気分を損ねてしまったのなら謝ります。けれどほら、その鋏はよく切れそうですし』
「そうかなあ」
『万が一、万が一にでも小指に刃が入ったらと思うと、その』
「……小指?」
『アッ』

小指。限定されたその部位を眺めれば、特筆すべきはただ一つ、絡まる糸のみである。

まるで「しまった」とでも言うように発された母音と、きゅるきゅる、と巻き戻るようなラジオの作動音が、控えめに静かな夜の部屋に響いた。

スピーカーの機能が古めかしいそれに搭載されているのかは定かではないが、仮に入っていたとしても、発してしまった声はいくらボタンを長押ししたとて戻らないと思う。

「糸が切れる心配してるの?」
『……』

そんなことで、という気持ちがどうしても拭えなくて、問いかけに滲み出てしまった気がした。
それが彼にも伝わったのか、それとも彼も内心わたしと同じように思っているのか、返事がなかなか聞こえてこない。

「スカリーくん?」

再度目をやった赤い糸も動きを示さなくて、彼の所在や様子がすっかり分からなくなってしまった。

多分動いていないのだろうけれど、もしかしたらもうそこから消えてしまったのかもしれないとふと思って不安になる。指摘されたの、恥ずかしかったのだろうか。

「ねえ、聞こえてる?」
『……』
「いなくなっちゃった?」

しんとしている。返事のないままの部屋の中で、ふと手元に目をやると、机を照らすライトが金属のはさみに反射して一瞬鈍く光った。
視界の端に、ちらりと細い赤がやけに目立って見える。

「……切れないと思うけどなあ」

わたしが触れられないのだから、はさみだってすり抜けるのではないかと思う。

はたと思いついて、ゆっくりとはさみのV字の頂点に糸を寄せてみた。
もちろん切るつもりなどさらさらないけれど、この糸が刃に引っ掛からなければ切れる心配もないということだ。

刃に押し当てたり、閉じなければ切れることはないし、と思って試してみたのだけれど、どうやら彼はそうは思わなかったらしい。

『だめですよ』

ばちん。唐突に、デスクのライトが消える。
それと同時に、どうやったのかはわからないほど、ラジオ越しとは思えないくらいに近く、まさに耳元で低い声が囁かれた。突然のことに小さく悲鳴が溢れる。

「っひ、あっやば」

しゃきん。

しまった、と思った時にはもう遅く。驚いて指に力が入り、切れ味のいい音が手元から聞こえた。添えた銀の刃先がきれいに縦に揃って、糸を挟む。

今度はわたしの口が彼のさっきの音と同じものを発して、心臓が大きくどくりと鳴った。

『な、』

びっくりして、思わず刃を入れてしまった。彼の声でやっとそれを認識して、やばい、と思って慌ててはさみを離して確認する。

急いで見れば、幸い糸は途切れずしっかり繋がったまま健在であった。このはさみでは切れないらしい。ほっと息をつく。

「だ、大丈夫大丈夫、切れてないよ。ほら、見て。やっぱりこのはさみじゃ触れないみたい」
『……も、もお、なにして、ああ、全く』
「ごめん、切るつもりじゃなかったんだけど、びっくりして」
『本当に切れてない?ほつれは?強度が弱くなったりしていないでしょうか、ちゃんと見せてください』

彼が近寄ったのか、背筋がぞわりと震える。室温も数度下がったような気がして肩が跳ねたけれど、向こうはそれに気が付いていないようだった。

いつのまにか、デスクのライトは小さく灯りがついている。

『確かに、焦って急に声をかけてしまったのは配慮が足りていませんでしたが。それにしたって趣味が悪いでしょう。我輩心臓が止まるかと』
「ごめんって……あれ、でもスカリーくんの心臓ってもう止まってるんじゃ」
『……うるさい!今はそんな冗談を聞きたい気分ではありません』

ついいつものように軽口を返してしまうと、彼は珍しく怒って咎めた。

先程のだんまりとは打って変わってぺらぺらと喋り始めたスカリーくんと、長く綺麗な弧を描く糸。
まだひやりと腹の底が冷たくなる感覚が残っている気がして、そっとはさみを机に置く。

スカリーくんはわたしのそんな様子を見て、言い聞かせるようにゆっくりと話し出した。彼の息を吸う音が鮮明にスピーカーから漏れ出る。

『……なまえさんのお察しの通り、我輩はこの糸が切れてしまうことが怖くてたまらないのです。以前と違って音声を介して繋がりを持てるようになっても尚、この形に固執しているなど格好が悪いかと思って、言いたくなかったのですが』
「……」
『我輩が、もう二度と・・・・・貴女に置いていかれないように繋いでおける唯一の縁。どうかこれだけは奪わないで』

こちらも我輩がやらせて頂きますからね。彼はそう言うと、置きっぱなしのはさみを颯爽と掻っ攫っていてしまって、元あったところにふわりと投げ入れる。
そういえば、そういう話の流れだったのだった、と思い出した。

さっき切れなかったのだからわたしがやっても問題ないのでは。ふとそう思いついたけれど、今この場では彼の機嫌を損ねないことが第一優先である。

しゃきんしゃきんと音を立てながらばらばらになっていく色紙が、机の上に広げられていく。
彼の顔は見えないのに、どことなく鋭い視線を向けられているような気がして背筋が伸びた。

「もうしないから、許してよ」
『……じゃあ、ちゃんと約束して?』

ぴたりとはさみの動きが止まる。あまり聞き覚えのない、敬語でない口調。
普段はちらりと見えるだけの彼の甘えるような雰囲気が、言葉尻が異なるだけでじんわりと滲み出しているようであった。

「うん、わかった」

宙に向かって、小指を差し出す。そこに結んである赤い糸の張りが段々とゆるくなって、雫型になるようにして動きが止まった。

見えないけれど、どことなく小指に冷たさを感じる。きっと絡めてくれたのだろう、と結論付けて、絡めるように指先を曲げた。

「ゆびきりげんまん」
『…?』
「嘘ついたら針千本のーます」
『おや』
「ゆびきった」
『えっ』

くっと少しだけ力を込めて手を離すと、素っ頓狂な返事が聞こえる。あれ、と思って、もしかしてこの世界には指切りという概念がないのかと気がついた。

でもそれならば、なぜ小指を寄せてくれたのだろう。わたしの勘違いだったのだろうか。
糸はわたしが動いてから微動だにせず、彼は「ゆびをきって」いないのだろうと推測できた。

「指切り、知らない?」
『小指を絡める約束の仕方は存じ上げておりますが、そんな物騒な文言は記憶にありませんねえ。我輩としてはなかなか刺激的で興味深いですが』

少々野蛮ですけれど。そう言ってスカリーくんは笑う。彼の独特の笑い声はすっかり耳に馴染んでいた。小指を絡めるのに、指切りはないのか。不思議である。

元いた世界の外国ではどうだったのだろうか、と考えてみたけれど、今までそんなことを調べたこともなかったので分からなかった。

『ああでも、指を切ると糸も落ちてしまいますので困りますね』
「そこ?」
『ええ、一番大切でしょう。そうだ、互いの指を縫い付けるのは如何ですか?片時も離れられないなら、約束を違えることもないかと』
「切るのはそういう意味じゃ……ちょっと、ほんとにやろうとしてない?切るのも縫うのもフリだけだよ」
『まさか!とんでもありません』

ふわりと部屋の奥の方から縫い針が浮いて来るのが遠くの方で見えて、一言釘を刺す。
ゴーストジョークのつもりか、たまにスカリーくんは常識の通じないずれた発言をすることがある。幽霊と生身の人間では、縫おうと思っても難しいかと思うのだけれど。

『この呪いはなまえさんの故郷のものなのですか?』
「呪いじゃないけど……そうだよ」
『ふむ、なかなか忠義に固い約束ですね。針千本、だなんて』
「スカリーくんには痛くも痒くもなさそうだけどね」
『言われてみれば。すり抜けるだけかもしれません』

そう言われて、床に数多の小さな針が散らばる様が脳裏に浮かぶ。今彼が丁寧に切り揃えてくれている色紙とは違って、きっと同じ色でびかびかと光るのだろう。

掃除が大変そうだね、なんて一言溢すと、同意の言葉がのんびりと返って来た。約束を経て、もう機嫌は直ったようである。




彼に作業を任せきりにしたせいで手持ち無沙汰になってしまって、ぼうっとただはさみの動くところを眺めていると、はっと先程の会話の断片が頭に浮かんだ。

彼の静かな独白。あの時彼は「もう二度とわたしに置いていかれないように」という言い回しをしていた。
二度と、と言ってしまっては、まるで一度があったかのようである。

残念ながら、わたしにはその記憶はない。一年前まではこの世界の住人ではなかったし、彼と会ったことさえあるはずがなかった。
なのに、どうして彼はそんな含みのある言い方をしたのだろう。

「ねえ、あのさ」
『どうなされました?』
「スカリーくんとわたしって、前にも会ってたりする?」

はらり。朱色の色紙の切れ端が、色とりどりの紙の山に落ちる。
ひとつ前に彼が持っていた白い紙が広がる箇所に、一点灯るように朱が刺されて、その色合わせが酷く魅力的に見えた。まるで、ランタンの炎のような。

数秒の静寂が耳に痛い。表情が見えないこと、目線が追えないことがこんなにも不便だなんて、彼と出会うまでは知らなかった。

『……いいえ?貴女は異世界から来たのですから、我輩が知っていてはおかしな話でしょう』
「……そう、だよね」
『ええ、何故?』
「その…さっき、もう二度と、って言ってたから」

前にも、そういうことがあったみたいな言い方じゃない。そう口にして、スカリーくんがいるであろうあたりをじっと見上げる。

もちろん彼はわたしの目には映らないから、そこには向かい側にある姿見に映る自分が見えるのみであった。
古めかしいデザインなのに曇り一つないそれが、背後の窓から覗く月明かりを鏡面に閉じ込めて静かに輝く。

『……ああ、それはこの部屋に、という意味でございます。なまえさんが出て行くたび、我輩がどんな思いで帰りを待っているかなど想像もつかないでしょう?』
「そ、そんなに?」
『地縛霊とは難儀なものなのです』

ですから、できるだけ遠出は控えてくださいね。心配になりますから。

そう言って、またはさみの音が小さく鳴る。
また落ちて行く朱色と、きっと大袈裟に表現されている言葉ひとつにうまく誤魔化されてしまった気がして、曖昧な返事が口から溢れた。

top / buck