鏡の星に願えば

「……これは?」
『ハロウィーンについての歴史や伝承に纏わる本でございます。寮にあるありとあらゆるものを集めてまいりました』

学校が終わって部屋に戻ると、絶妙なバランスでかなりの高さを保っているタワーがわたしを出迎えた。ずん、と威圧感のあるその風貌、よくよく見ればそれは分厚い本をいくつも積み上げたものである。

きっとそこにいるであろう彼に問い掛ければ、思った通りすぐに返事が返って来た。
オンボロ寮にはあらゆる部屋にあらゆる本が置いてあるけれども、どれも酷く埃を被っていて触る気にもなれず、今までちゃんと読んだことはない。それらが物語なのか、教科書のようなものなのかさえ知らないくらいである。
ここに来たばかりの時に一度だけこの部屋の床に落ちていたものを手に取ったことがあるけれど、ページが虫食いになっていて読めたものでは無かった。

ただ、今目の前にあるこれらに関しては、見たところすっかり綺麗に埃が払われている。彼が厳選して来たからにはページが穴だらけということもないのだろう。
それにしても、突然どうして。疑問が顔に出ていたのか、彼はラジオ越しに小さく笑った。するり、さらに一冊タワーのてっぺんに薄い絵本が乗せられる。

『以前、我輩のことを知って頂くための準備をしていると話したでしょう?』
「ああ、うん。そういえば言ってたね」

一ヶ月ほど前だっただろうか。確かに彼は「サプライズ」であると言って、内容を伏せてそんなことを言っていた。
あれから少しは彼のことを知った気がしているけれど、深いところ、特に生前の話なんかはまるで聞いた覚えがない。ゴーストのマナーは分からないが、昔の話はデリケートな問題だから話さないのかもしれない、と思ってこちらから聞くこともできないままだった。

『やはり、我輩のことを知ってもらうにはハロウィーンのことを知って頂くのが一番良いかと思いまして。季節的にも近いですし、良ければお読みくださいませ』
「こ、こんなに?ありがとう」
『いえ!とんでもありません。もし読むのが面倒でしたら、僭越ながら読み聞かせもいたしますよ。眠る前の導入にでも』

自分のことを知ってもらうためにわざわざ本を持ち出すということは、ひょっとして彼は本に書かれるようなすごい人だったのだろうか。
思ってみれば、わたしが分かるのは、彼がハロウィーンをなによりも愛していることくらいである。
そのことは、まだまだ暑さの残るある日に「あと二ヶ月ですよ」とそわそわと告知されたのをきっかけに知った。十月に入ってからは、あと何日だと毎日騒ぎ立てて正直鬱陶しいほどだ。

「読み聞かせも嬉しいけど…とりあえずなにから手をつけたら?」

積み重ねられた本たちを手に取って、表紙を次々に見ていく。かわいらしいイラストの絵本から、民俗学のカテゴリに入るような論文的なもの、古めかしい装丁の昔話。

絵本は読み聞かせてもらうのがいいかもしれない。一方で、分厚く小難しいものを彼の声で読み上げられたら内容もろくに頭に入らず寝てしまう自信があった。せっかく持って来てもらったのだから、それは避けたい。

「あ」

次々に山を崩していって表紙を眺めていると、手が滑って一冊床に落としてしまった。こんと音を立ててページが開く。目に入る活字と挿絵、小見出しのように左上に書かれた文字は、「魔法の鏡に映る誰かについて」。

『あっ、それは違、』
「これ」
『……!』
「ユウちゃんがたまに言ってるやつだ」

鏡に誰かがいる。彼女は時折そういう夢を見るのだと言う。度々出てくるから、ただの夢ではないのではないかと不安がっていて、そんな気にするようなことでもないよ、なんて軽く返したような記憶があった。

あれは、もしかしてこれのことなのだろうか。思い返してみれば、彼女の部屋にはわたしの部屋にある姿見よりも大きな鏡が壁にかけられている。

『……そう、なのですか?存じ上げませんでしたが』
「うん。なんか時々夢で見るって。もしかして夢じゃないのかな」

しゃがんで、内容を軽く読んでみる。「夜、鏡の向こうに人影が見えて、話しかけると返事が返ってくる」「姿こそはっきりとしないものの、あちらにはあちらの世界があり、生活をしているようだ。もしかすると、この鏡は場所や時間をも超えた、異世界に繋がっているのかもしれない」。

よく見ればそのページの端の方には付箋が貼ってあった。色褪せてふるぼけているので、相当前に貼られたものなのだろう。重たいページに折れたまま挟まれていたようで、ひどく皺が寄っていた。角の先なんかは破れて丸くなっている。

『この寮にある家具や道具の中には、こういった力の持つものも少なくないのです。監督生さんのものも同じかと』
「そうなんだ。お話、したことあるのかな。そういえば最近聞いてないや」

ここ数ヶ月は夢を見ないのか、それとも言うほどのことでもないのか、彼女から話を振られた覚えがなかった。
あとで聞いてみようか、と考えていると、床の本がぱたりとひとりでに閉じる。その上に糸が伸びていて、目の前に彼がいることを知った。

『……我輩は、ありますよ。鏡越しに会話をしたこと』

こちらは、その時に事象について調べるのに使った本なのです。我輩についての記述はないのですが、うっかり紛れてしまっていたようですね。

そう言って、彼は閉した本を宙に持ち上げた。やけに静かな声に思わず口を閉じると、穏やかな笑いがスピーカーから漏れる。あたりの空気はすっきりとしていた。

『誰もいない部屋のはずなのに声がして、誰なのかと尋ねたらちゃんと返事が返ってきたのです。向こうも声を聞く限り驚いていていましたが、こちらからはぼんやりと曇ってはっきりと相手の姿は見えず。彼女からは我輩の姿がちゃんと見えたようでしたけれどね』
「……へえ。仲良くなったの?」
『ええ。互いの生活について教えあったり、たわいもない話をしたり。我輩の方が年上で、基本は彼女が喋るのを我輩が聞くような形でしたが』

その語りは懐かしむような、愛おしく思うような、そんな温かみのある声だった。きっと、彼にとって大切な思い出なのだろうと、なにも知らないわたしが容易に想像できるほどに。
スカリーくんは一息言い終えると、はあ、と小さなため息をついた。部屋の奥にある姿見が、わたしから見たら浮遊しているように見える本を映している。

『話を聞くところによると、向こうも監督生さんと同じく夢の中だったようなのです。いつも朝になると消えてしまって、そのうちに夜も出てこなくなって。数百年ほどずっと鏡を眺めておりましたが、とうとう映ることはありませんでした』

とん。机の上に本がゆったりと落ちた。ゴーストである彼の顔は見えないけれど、きっと今寂しげな顔をしている。ここ二ヶ月程度過ごして、スカリーくんが人一倍寂しがり屋であることを知った。
部屋を出る時に名残惜しげに送り出したり、小指の糸をとても大事に思っていたり。そんな彼が、ずっと仲良く話していた相手を失って寂しく思わないはずがない。

「…そっか。それは、残念だね」
『ええ、とても』

だからと言ってわたしがなにか言えるわけでも、できるわけでもないことは分かりきっていた。なんと言ったらいいか、と思案して、結局答えが出ずにありきたりに返す。スカリーくんは潔く肯定を示した。

けれど、その声は思ったよりも沈んでいない。むしろ、笑い出してしまいそうなほどである。
きょとんと彼がいるであろう虚空を見つめていると、応えるようにスカリーくんは喋り出した。

『当時は、本当に欲しいものほど手に入らないのだと嘆いてばかりだったのです。でもね、最近はそうでもなくって』
「……そうなの?」
『はい。……ふふ、星に願えば叶うとは、あながち嘘でもないのですね』

窓側にかかるカーテンがひらりと揺れた。誘導されるようにそちらに目をやれば、星空が黒々と輝いている。僅かに風が入って、秋らしい温度が肌に感じられた。

「…会えた、ってこと?」
『さて、どうでしょう。運命の貴方が嫉妬してしまっても困りますし、言及は控えます』
「えー!なにそれ。気になるじゃん」

含みのある言い方に、思わず声が大きくなる。文句を言いつつ、そんな言葉選びをされては「会えた」という結末の裏付けに他ならないのでは、なんてはたと気がついた。彼は随分と嘘がへたくそである。

そもそも、スカリーくんに日々あんなに甘やかされているようでは、それくらいでやきもちなんて妬きようもない。
素直にそう伝えれば、「そんなあ」なんて、残念そうに、でもどことなく嬉しそうにスカリーくんは笑った。







『そして、賑やかなハロウィーンは各地に広められたのです。めでたしめでたし』
「……それ、ほんとにスカリーくんの話?」
『はい。こんな風に語られてしまうと、少し恥ずかしいですが』
「すごいひとじゃん……」

彼の口から語られる、彼の人生のこと。絵本を読んで聞かせられるそれはなんだかかなり偉大な人のようで、普段接するスカリーくんとは全く別の人に感じられた。

布団を被って、口元が隠れたままもごもごと呟けば、とんでもありません、なんて否定が飛んでくる。本まで書かれてなにを今更。

『……さて、一冊読み終えましたし、今日は電気を消してしまっても?』
「あ、うん。大丈夫」

ハロウィーンの王様。そう呼ばれた人が、わたしの部屋の電気を毎夜消しているだなんて、なんて贅沢なのだろうか。一気に彼が遠くの存在になったような気がしてしまって、彼のことを知れたのは嬉しいはずなのに、それだけでない胸のざわめきがある。
電気が消えたのをいいことに、誤魔化すように寝返りを打って、枕に顔を半分埋めた。彼は、わたしの様子を変に思っていないだろうか。なんだか恥ずかしいので、バレないことを静かに祈る。

ぼんやりと暗がりの中、目が慣れるのを待っていると、遠くで鏡に布がかけられるのが分かった。どこかと繋がる鏡。見えない遠くの誰かを映す鏡。
なぜか、小指の赤い糸のことを思い出す。わたしも、これがなければ幽霊の彼と出会うことなどなかっただろう。

彼は相手と関係が途絶えてしまったと言っていた。わたしが魔法薬を被って、もう二ヶ月が経つ。三ヶ月は続くと言われた効果は、あと少しで切れるはずだ。もし、この糸が見えなくなったら、スカリーくんとの関係はどうなってしまうのだろうか。

『…どうかされましたか?』

赤い糸が弛む。横になって顔に掛かった髪が、ゆるりと浮かんで肩の方に落ちた。ぞわりと震えた皮膚、スカリーくんがすぐそこにいるのが分かる。

「あのさ」
『はい』
「糸が見えなくなったら、スカリーくんのこと分かんなくなっちゃうのかなあ」

自分の耳に届いた自分の声は、想定よりずっと弱々しく聞こえた。これでは、優しい彼は心配してしまうかもしれない。

いつのまにか、わたしはスカリーくんがいなくなることが怖くなっていた。本来なら、ゴーストなどいる方が怖いはずだったのに。
はさみを怖がった彼の心境はこんなふうだったのだろうか。

『……正直、いざその状況になってみなければなんとも言えませんね。このラジオはもう一人で動かせるようになりましたし、なまえさんが我輩の起こす怪現象に気づいてくれさえすれば意思疎通は可能だと思いますが』
「……そっか。じゃあ、魔法薬切れても大丈夫かなあ」
『確か、効力はあと一ヶ月程度でしたね。糸がない分我輩の所在地が分かりにくい、ということを抜きにすれば、心配するほどのことでもないかと』

貴女からは見えないだけで、効果が切れても糸はしっかり繋がっておりますし。

読み聞かせをするときと同じような穏やかさで、彼はゆっくりとそう話した。おでこのあたりの温度がじんわり冷えていく。
少し前までは体の芯から震え上がる、本能的な危機感が迫り上がってきたはずなのに、今となってはその不快感すら安心材料になってしまっていた。

『……ああ、』
「…なに、どうしたの?」
『いえ……だめですねえ。貴女が不安になってしまっているというのに。我輩、そう思って頂けるほどなまえさんと親しくなれたことが嬉しくて、どうにも頬が緩んでしまって』

その声は、月を溶かしたように甘やかであった。こちらから顔は見えないのだから、言わなければ分からないのに。指摘してあげようかと口を開いたけれど、少し安心したら途端に眠くなってきてしまって、言葉は音にならずに喉の下で止まってしまった。

top / buck