僕らは所謂、歳の差カップルというやつだった。
「パウバートくんが頼んだお酒、飲んだことない」
「一口いる?美味しいよ」
「いいの?ありがとう」
好奇心いっぱいの、きらきらとした目。上目遣いでこちらを隣から見ているなまえがやけに眩しくて、思わず手元に視線を移した。なんてかわいいんだろう。
照明の少ないバーの中でも、彼女は店内の光を全部集めてしまったみたいに輝いて見える。それは年齢の幼さ故の輝きなのか、それとも僕がなまえに惚れ込んでいるからそう思うだけなのか。
くるりと上品に上がったまつ毛は、横からだとその曲線美が際立って見えた。
僕は下を向いたまま、彼女の方へと自分のグラスを寄せる。これなら、きっと零さないように気をつけて目線を寄越しただけに見えたはずだ。
向こうの様子をちらりと伺えば、思った通りなにも気にすることなくなまえは笑っていた。ゆっくりと、恐る恐るといったように彼女はグラスに口をつける。
「ん……?待って、結構きつくない?これ」
「ははっ、まだなまえには早かった?」
じっと透明に光る水面を見ながら、なまえは悔しそうに口をへの字に曲げていた。思わず、笑いが溢れる。
彼女は年齢のことを踏まえても、一等子供舌だった。それを知った上で「この子では飲めないかもな」と思いながら一口を止めなかったのは、この表情豊かな反応を見たかったからである。
なまえは笑い声を聞いて軽く僕を睨んだ。怖くもなんともない顔。
「……パウバートくんも、別に大してわたしと変わらないでしょ?」
拗ねた声だった。なまえは、自分で頼んだ甘めのカクテルを喉に流して、こくりと音を鳴らす。
僕はといえば、なんて返したらいいかと考えあぐねて黙り込んでしまっていた。
僕らには歳の差がある。ひとつ問題なのは、その歳の差をなまえがきちんと認識していないことだった。
「…でも、きみは甘い酒しか飲めないんだろ?」
「あ!またそういう意地悪言う」
「意地悪じゃないよ。かわいいなと思って」
少し甘い言葉を囁くと、単純な恋人は耳を赤く染めて黙ってしまう。若いな、なんて思ってしまって、自分の年齢を意識して嫌になった。
なまえが飲めないと突き返したグラスを煽ると、飲み慣れた味が鼻に抜ける。
彼女の飲んでいるようなものは何年口にしていなかっただろう。考えてみると、気が遠くなるような気分になった。
▽
ひょんなことから出会って、まるで昔馴染みだったかのようにすぐに打ち解けた僕たちは、あれよあれよと関係を進めていつのまにか恋人同士となった。
僕としては誰かに取られてしまう前になまえを我が物とできたのはとても幸運だったのだけれど、唯一後悔していることがある。
それは、年齢を明かすタイミングを完全に失ってしまったことだった。
「ね、見て。これ懐かしくない?最近また流行ってるんだって」
お酒を何回か頼んで、少し酔いが回ってきた頃。なまえがスマホの画面をこちらに向けて見せてくれたのは、なにやらファンシーなキャラクターの画像だった。
映されているのはニュースの記事のようで、記事の一番上に「あの懐かしキャラが再登場!」と見出しが付けられている。
「あー……うん?そうなんだ」
正直言って、全く記憶になかった。恐らく忘れているわけではなく、本当に今まで生きてきた中で一度も関わったことがないのだろう。それくらい身に覚えがない。
気まずい空気を感じつつ、わかっているふりをしてボロが出るのも嫌で適当に相槌を打つ。少し前に、無理して話を合わせようとしたらどんどんついていけなくなって、惨めな思いをしたのが脳裏に蘇った。
あのときはなまえが「無理して合わせなくてもいいよ」と笑ってくれたから良かったものの、あの数分は冷や汗が止まらなくてこの世の終わりかと思ったのだった。もう二度とあんな経験はごめんである。
「…あれ、見覚えない?当時すごい流行ってたんだけど」
「……ごめん、あんまり知らないんだ」
「そっか。あー、でもパウバートくんのお家ちょっと厳しそうだもんね。こういうの触れる機会少なそう」
「そう、だね。そうかも」
また、言えなかった。ちくちくと胸を刺す痛みを感じていないような顔をして、言葉を濁す。勿論、僕の家は流行り物に厳しかったわけでは無い。
僕がいまいちピンと来ないのは完全にジェネレーションギャップのせいに他ならなかった。
しかしながら、僕にはそれを彼女に伝える勇気はない。
どうやらなまえは僕の年齢について、自分より一、二年程度上なだけだと思っているようである。
背が低いからか童顔とよく言われるだけあるのか、僕は大抵実年齢よりも若く見られるから間違われるのは大して珍しいことではない。
例に漏れず、なまえにも「そこまで年齢は変わらない」と思われていると分かったあの時。僕はそこでさっさと間違いを指摘すれば良かったのに、うまく訂正することができずになあなあでやり過ごしてしまった。今思えば、それが運の尽きだったのである。
ひとつ誤魔化した事実は、時が経って親しくなるにつれてどんどんと言い出しづらくなるものだ。
特に恋人になってからは、実年齢を明かして落胆されたら、最悪別れ話までに発展したらどうしよう、と嫌な想像ばかりが頭を駆け巡って、毎回なまえを騙すように言葉を誤魔化してしまっていた。
いずれは話さなければならないことである。期間を延ばせば延ばすだけ、明かした後の不信感や疑念が高まってしまうのは明白だった。しかし、己の臆病な性分は一朝一夕で直るものでもない。
つまるところ、僕はなまえに拒絶されるのがなによりも怖くて、その恐怖が年齢を隠している罪悪感に勝ってしまっていたのである。
「わたし、このキャラ大好きだったんだ」
「へえ……確かにかわいいよね。色合いとか、パステルカラーで」
「そうそう。ぬいぐるみとか持ってたんだよ」
「ふうん。それって、似たようなのは今も出てたりするのかな」
テーブルに置きっぱなしだった自分のスマホを触って、ブラウザを立ち上げる。名前なんだっけ、と尋ねると、軽やかに答えが返ってきた。
そのまま検索ワードに打ち込めば、たくさんの記事やグッズ、イラストが流れるように表示される。
商品に絞って検索をかけても、中古から新品まで山のように検索結果が表示された。流行っていると言う割には、案外そこまで値段はしない。
確かに、どれも女の子が好きそうなデザインである。しげしげとスクロールして眺めていれば、僕が何を見ているのか気がついたなまえが呆れたようにため息をついた。
「あの、別にいらないからね?昔好きだったってだけの話だよ」
「あれ、そうなの?てっきりおねだりされてるのかと思ったよ」
「しないよ!パウバートくん、わたしが話題に出したらすぐ買おうとするのやめてよね。なんにも話せなくなっちゃうじゃん」
だって、きみが喜ぶならなんでもしてあげたいんだから仕方ないじゃないか。
彼女よりもずっと歳を重ねた僕がしてあげられることなんて物を贈るくらいしか思いつかない。さらに私的なことを言えば、プレゼントには一種の罪滅ぼしのような意味合いもあった。誤魔化してしまっていることに対する、懺悔。
これは自分の中のモヤモヤした罪悪感を解消するためだけの行為である。だから贈り物をすることでなまえが必ずしも許して受け入れてくれるわけじゃないこともちゃんと分かっているけれど。
それでも、つい「何なら喜んでくれるのか」と常に考えてしまう自分がいる。
ふとお酒を口にしようとしてグラスを手に取ると、中身が空っぽであることに気がついた。気が付かないうちに飲み終わってしまったらしい。
「お酒頼むけど、なまえは何にする?」
「え、うーん……飲みやすいやつ、なにかないかな」
「……これとか?そんなに度数も強くないよ」
昔、よく飲んでいたカクテルである。なまえは僕の言うことを少しも疑わずに、じゃあそれで、と即決した。随分と信頼されているな、と心が冷える。
僕がきみをわざと酔わせて、どこかに連れ込むとは思わないのだろうか。嫌われたくないから、そんな下衆なことはしないけれど。それとも、連れ込まれてもいいと思ってくれているのか。真相は闇の中である。
「パウバートくんって、意外とお酒詳しいよね」
不思議そうに、なまえが首を傾ける。見上げる視線は変わらず無邪気で、大して酔っていないはずなのにくらくらしてしまいそうだった。
▽
その日は、彼のオアシスに招いてもらった日だった。
サハラスクエアをパウバートくんのバイクで駆け抜けて、見えてくるのは立派なテント。何度か連れてきてもらったことがあるけれど、この砂漠の風景には毎回どきどきと心が高鳴る。
「さ、どうぞ」
「ありがとう。お邪魔しまーす……」
促されるままに中に入ると、そこにはあたたかな光が立ち込めていた。まるで秘密基地のような乱雑さと、独特の砂漠の香り。さらに、それに混じる彼の匂い。
とても大切な場所なのだと。初めてここに入ったときに彼がそう教えてくれた。自分の好きなものだけを集めた隠れ家なのだそうだ。
パウバートくんが、そんな自分の神聖な世界にわたしを入れてくれたことがとても嬉しい。
彼はいつもどこか一線を引いていて、大人びたように見えることがあるから。ここに来る時は、そんなパウバートくんの内側に少し入り込めたような気がして浮き足立ってしまう。
「音楽でもかける?大したスピーカーじゃないけど、スマホから好きな曲を流せるから」
「うん。なんでもいいよ。パウバートくんの好きなやつで」
「ええ…?そう言われるとちょっと悩むな。なまえに気に入ってもらえるものを選ばなくちゃ」
全部おまかせのリクエストに、彼は困ったように笑う。そんなこと気にしないで好きなのを勝手にかければいいのに、パウバートくんは真剣にスマホと睨めっこしていた。
歩きながら、スマホを弄りながら、上着を脱いで。注意が散漫になっていたのか、床にぽろりとなにかが落ちる。
「あ」
彼は気付いていなかった。仕方ないなと駆け寄って、落としたものを拾い上げる。落としたのはぴかぴかのお財布だった。
見るからに高そうで、わたしの使っている合皮のものとは全く違う手触り。以前彼が持っていたものとは違うデザインである。
「お財布落としたよ」
「…え?あ、ごめん。上着に入れてたから……」
「気付いて良かった。これ新しいやつ?」
「よく気がついたね。そう、新調してみたんだ。かっこいいだろ?」
気になって尋ねてみると、思った通り新品であったらしい。黒の皮に、エレガントなロゴが入っていた。マークはわたしでも見たことのある高級ブランドのもの。一体いくらするんだろうと、持つ手が震えそうになる。
お財布は二つ折りだった。ぱたりと開けば、半分のうち片方は小銭入れ、もう片方はカードケースである。中身が見えるように透明になっているポケットに入れられているのは免許証だった。
ぎこちなく笑うパウバートくんの証明写真。そういえば、写真映るの苦手って言ってたっけ。
「写真、これいいね」
「あ、ちょっと、勝手に見ないで。恥ずかしいだろ」
「ええ?恥ずかしくないよ。かわいい」
「かわいいって言われても嬉しくない!」
少し揶揄うと、彼の耳がへにゃりと垂れた。音楽のことなどすっかり忘れたようにこちらに近付く。パウバートくんはわたしのことをよく可愛いと言ってくれるくせに、わたしが可愛いと評するとすぐに不機嫌になった。
もう少しこの素敵な写真を見ていたいけどな、と目線を落とすと、並べられた文字の方にふと目がいく。名前、住所、生年月日。
「あれ?これ、生まれ年…」
「……あ」
並べられた数字。月と日にちには見覚えがあったけれど、そういえば何年に生まれたかを見るのは初めてであった。
わたしの生まれ年よりも、何年か先に生まれている。それは分かっていたことである。しかし、書かれている年はわたしの仲良くしている少し年上の友達や先輩のものとは少し違っていた。
「ま、待ってなまえ、だめ、返して」
「…わたしのより、何年前……?に、さん、し……」
「ちょ、計算しないで……!聞いてる!?」
焦る声が後ろで聞こえる。構わず指折り数えると衝撃の事実が明らかになって、かちりと数えていた手が固まってしまった。
ゆっくりと彼を見上げる。真っ青な彼の顔。どうやら、これは勘違いでもなんでもないようである。
「え、パウバートく、もしかして今、さんじゅ…っ」
「あ、ああ、最悪……」
▽
パウバートくんは、わたしよりもずっと年上だった。
「ご、ごめん!隠してたわけじゃ……いや、隠してはいたんだけど、その、騙そうとかそういうことじゃなくて、言うタイミングが掴めなかったっていうか」
「……」
「で、でも結果的に詐欺みたいにはなってた、よね。ごめん………」
彼は、暫く項垂れて縮こまっていた。心配になって丸くなっている肩に触れると、ぱっと顔を上げて弁解が始まる。
まだ状況を正確に呑み込めていないわたしではパウバートくんの喋る内容は半分も頭に入っていなかった。
けれど唯一分かるのは、彼は決してわたしに害を及ぼそうとしていたわけではないということである。本当に、言葉通り言うタイミングが無かっただけなのだろう。
思えばわたしも年齢を勝手に決めつけて、そのまま話を進めてしまったように思う。お酒に詳しいところだとか、やけにわたしを子供扱いするところだとか、ヒントはそこら中にあったのに気が付かなかった。こちらも悪いことをしたな、と反省する。
パウバートくんは優しいから、実年齢を言い出せないことに悩んだりしていたかもしれない。
謝ろうかと口を開きかけた時、彼が被せるように声を上げた。反射的に口を結ぶ。
「あの、さ。その……」
右往左往する瞳はどう見ても不安でいっぱいで、とても何歳も年上の男性には見えなかった。か細い声が、静かなテントに響く。
三十代って、もう少し大人っぽく落ち着いた雰囲気を身に纏うものではないのだろうか、だなんて冷静に考える自分がいた。今の彼はさしずめ、捨てられかけた仔猫である。
パウバートくんは、数度口を開いては閉じてを繰り返していた。やがて、意を決したようにごくりと喉を鳴らして、わたしに問いかける。
「こんな、年離れてる彼氏じゃ、嫌…?」
おずおずと、彼の大きな手がわたしの手の甲に置かれた。わたしとは一向に目が合わない。不安そうな恋人は、ずっと下の方を見つめて俯いている。
パウバートくんは弱々しかった。わたしよりも何年も長く生きているだなんて思えないくらい。
でもそんな様子を見ても一心に慰めたくなってしまうほど、わたしは彼のことが好きなようであった。
「嫌なわけない……」
「……!」
「です」
「…………え?」
好きだけれど、やはり歳の差というのは大きな問題である。
歳の離れた相手と関係を築くことに、わたしはなんの抵抗もなかった。しかしながら、お付き合いをすることと相手への対応が気安くなることとは全く別の話である。
わたしはずっと、パウバートくんは上振れても歳の差二つ程度だと思っていたのだ。
それが全くの見当違いだったとなれば、これまでの彼への態度、口調、呼び方に至るまで、様々な関わり方が失礼になってしまうような気がする。
免許証の数字を目にした時から、さあ、と血の気が引く感覚があった。もしかしたら、彼は優しいから言わなかっただけで、やたらと生意気な年下だと今までずっと思われていたのかもしれない。
もしそう思っていなかったとしても、三十代のお兄さんにタメ口で軽々しく喋っていた自分を考えるとなかなかに耐え難かった。
わたしは「親しき中にも礼儀あり」という言葉をとても大切にしている。
「な、なんで敬語…?」
パウバートくんは困惑していた。先程までの不安そうな素振りはないものの、代わりに頭の上にハテナマークが浮かんでいる。
「いや……年上、だから……」
「え!?気にしなくていいよ、そんなの。今まで通りで」
「さすがに……その…パウバートく、違う、パウバートさんが良くてもわたしが……」
「ちょっと待って、呼び方まで変わるの…?勘弁してよ……」
彼に対して慣れない敬語を使うのは難しい。くん付けも良くないかと思って敬称で呼んでみると、パウバートくんは苦虫を噛み潰したような顔で文句を言った。
いやでも、何歳も離れたお兄さんに「パウバートくん」はどうなんだろう。せめて先輩、とか。彼はわたしの先輩になったことはないけれど。
そんなふうに悩んでいるのが分かったのか、彼が小さくため息をついた。重なっていた手が離されて、わたしの頬へと伸びる。
彼がしゃがんでいるせいで上目遣いでこちらを見上げる表情は、少し寂しげな、拗ねたような顔をしていた。
「なまえに敬語使われるの、寂しいから嫌なんだけど」
子供みたいな声である。
やはりこうして見ると彼はとても三十代には見えなくて、耐えきれずに笑ってしまう。わたしの様子を見た彼は、不満げな顔をさらに険しくさせた。何が面白いんだよ、と彼がぽつりと呟く。
「パウバートくんって、パウバートくんだなって思って」
「……なにそれ?」
「そのままの意味だよ……です」
「だから、敬語はやめてって!」