01


あのボンゴレ史上最大の反乱事件から8年。
『ゆりかご』とは誰が言い出した呼称なのか、いつしかそう呼ばれるようになった事件の傷跡ももう遠い過去の記憶となった。
もちろん、その詳細は上層部にしか知られていない極秘事項。
だけれど、依然としてヴァリアーの立場は変わらず、無期限の謹慎処分を課せられたままだ。
この屈辱的な扱いにも限界が来ていた。
まだ年少い幹部たちは血に飢えている。
むしろ、これだけの期間を我慢してくれていた彼らに、ネーヴェは純粋に驚いていた。
苦しい状況に耐え忍ぶだけの日々に、幹部たちが愛想をつかして出ていくのではないかと疑っていたからだ。
そうなれば、ネーヴェに止めるつもりはなかった。
止める資格すらないと思っていた。
けれど、彼らは文句ひとつ言わずにずっとヴァリアーに居てくれた。
隣で、いつかのボスの帰りを信じてくれた。
そうでなければ、ネーヴェの心はとっくに折れてしまっていただろう。
本部は、ヴァリアーをこのまま飼い殺すつもりなのだろうか。
そう勘ぐりながらも、虎視眈々と再び返り咲く機会を窺う。
そんな日々に終止符が打たれたのは突然だった。

ボスが帰って来たのだ。

「おかえり、なさい……」
ネーヴェは自分の口を突いて出てきた言葉に愕然とした。
これじゃあまるで家族みたいじゃないか。
ここは職場であって家ではないはずだ。
しかし、それ以上にしっくりくる言葉が見つかることは、とうとうなかった。

「随分遅かったじゃねぇか。ボスさんよお」
そう言ったスクアーロは、8年の間で随分と長くなった髪をボスに引っ張られていた。

「よくぞお戻りで」
そんな身近なバイオレンスなど歯牙にもかけず、レヴィはボスのそばで跪く。
ボスは顔色一つ変えずに堂々としていた。

「……何があったか話せ」


◇◆◇


ボスが帰ってきたのは、この上なく良いタイミングであった。
オッタビオの破滅に立ち会うのは、やはりボスであってこそだ。
ネーヴェは、ソファで連絡用の携帯電話を握りしめて、鼻歌を歌っていた。
ボスが帰ってきて数時間。
しかし、彼女の機嫌の良さには、それだけが理由ではない何かがあった。

「ご機嫌だね」

そう言ったのは、ちょこんと隣に座ったマーモンだ。
ネーヴェがその体をひょいっと膝に乗せると、マーモンは「ム」と不満げに呟いた。
いつもなら拒絶されることを恐れて、触れることすら戸惑うほどである。
しかし、今なら願望を簡単に行動に移せてしまうほど、ネーヴェの心は浮足立っていた。

「もうすぐいい知らせがくるの」
「へぇ、それは楽しみだね」
「あ、噂をすれば」

ピリリリリと軽快な音の着信音にワンコール半で応えると、電話の向こうからひどく焦った男の声が聞こえてきた。
ネーヴェは緩みそうな頬を引き締めて、電話口では深刻そうな声音で対応する。
ピッと通話を切ると、幹部たち全員に聞こえるように、こう言った。

「マレ・ディアボラ島が占拠されたって」

マレ・ディアボラとは、かつて旧イタリア軍が海上防衛のために設けた人工島だ。
民間へと売却譲渡されたその島を買い取ったボンゴレは、そこを海洋リゾート地として開発した。
その管理を任されているのは、誰であろう、元ヴァリアーの副隊長であり、現在はボンゴレにて大きな地位を築きつつあるオッタビオであった。

これで舞台は整った。
再び、ヴァリアーが表舞台に出るに相応しいシナリオも。

「ししっ。あんなにはしゃいでるネーヴェ、王子初めて見た」

そう言うベルも、楽しいことが起こりそうな予感に胸を躍らせた。
ネーヴェは子ども特有の澄んだ大きな瞳に、期待を浮かべると、ボスを正面から見据えてこう言った。

「8年ぶりに暴れてやりましょう。ボス、ご指示を」

楽しい一夜になりそうだ。


◇◆◇


午前2時を回った時計を見て、ネーヴェは欠伸を零した。
幹部たちは順調に計画通りに進めてくれている。
ネーヴェは島へ向かった幹部たちに同行せず、ボスと共にオッタビオのところへ向かった。
けれど、今はネーヴェは姿を見せず、ボスと元副隊長を2人きりにさせている。
8年ぶりの再会に水を差すようなことを、するべきではないと思ったからだ。
また、オッタビオがボス相手にどう言い逃れしようとするのかに興味があった。
彼がボスに消されてしまう前に、一言くらいは言ってやらなければ気が済まないので、タイミングをみて出ていこうとは思っているが。

「長い……」

一体いつまで茶番を続ける気なのだろうか。
ネーヴェの我慢も限界を迎えそうになった時、ようやくそれも終わりを迎える。

「もう芝居はいいっていってるんだろうが」
ザンザスがそういった瞬間、オッタビオから、スッとすべての表情が消えた。
「俺のため、か? 本当に変わらねぇ……心にもねぇことをそうやって口にできるところがな」
喋り続けるボスとは対照的に、オッタビオは黙り込んでいる。
「てめぇは敵の正体を知ってるんだよ。……そうだろう、オッタビオ」

長い沈黙が訪れた。もう、いいだろう。

「そうよね。貴方が何と言おうと私が全部知ってるもの」
ネーヴェが出ていくと、オッタビオは特に驚きもせずそちらを一瞥した。
それに対して、ネーヴェは携帯電話を見せてにっこりと微笑む。

「お電話ありがとう」
「なるほど、私を嵌めますか」
「人聞きの悪い」

オッタビオは勝手に自滅しただけだ。
ヴァリアーは彼の失態をフォローしているだけなのに、随分な言われようだ。

「この8年間ずっと貴方の言いなりだった。貴方は、逆らえない立場の私をいいようにしてきた」
「誤解を生みそうな言い方はしないでもらえますか?」

ボスはなにやらドン引きしているし、それを見たオッタビオは汗を浮かべている。
「誤解?」と首を傾げたネーヴェ。
それを見たボスは、ツボにはまったようで「ぶっははははは!」と豪快に笑っていた。
オッタビオはむきになって否定するのも馬鹿らしくなり、頭痛でもするように眉間を揉む。
のちのち、一部の間でオッタビオが外見年齢一桁の幼女に手を出したロリコンだったと語り継がれることになったのを、ネーヴェが知ることはない。

そんな空気の中、ネーヴェは仕切り直しとばかりに語気を強め、指を突きつけた。

「望み通り、貴方はボンゴレ内で誰よりも早くのし上がった。踏み台にしたのはヴァリアーだけじゃないことも、私はよく知ってる。だって、私がそうなるように手を貸したんだもの。
――――この状況も、そうでなければ作れなかった」

オッタビオは裏で軍の下っ端と取引をしていた。
金と引き換えに、軍の武器を横流しさせていたのだ。
しかし、それが軍のなかで明るみに出た。
助けを求めてきた彼らを、この男はもう役に立たないと切り捨てた。
逆上した彼らは、オッタビオの主催するパーティを襲い、島を占拠したのだ。
それらを全てボスの口から言い当てられ、オッタビオは震える声で叫んだ。

「なぜ、そこまで知っている! ずっと眠っていたあなたが……なぜ……」
「貴方なら知ってるはずだけれど。ボンゴレの血筋に受け継がれる力を」
「まさか『超直感』で知ったと? そんなことがありえるはずがない!」

失言に失言を重ねるオッタビオに、ネーヴェはうんざりとした様子で首を振った。
彼は二つも認めてしまったのだ。

「……てめぇ、どうして俺が“今まで眠っていた”ことを知ってんだ? そしてもう1つ! てめぇはありえねぇと言ったな……俺に『超直感』が」
「っ!!!」

そう、知りえるはずがないのだ。
彼は、一人だけ揺りかごに加担しなかったのだから。
その場にいたことでしか、説明が付かないにもかかわらず。

「じじいに俺を売ったのは、てめーだな」

沈黙の後、空気を震わせたのはオッタビオのため息だった。
その様子に、もう怯えはない。ようやく本性を現したのだ。
淡々とこちらの主張の矛盾を指摘してくるも、すぐにそれをやめると再び彼はため息を吐いた。

「やめましょう。どうせ、あなたはすべて知ってしまっているようだ」
「…………」

対峙するザンザスとオッタビオ。
オッタビオは流れるような動きで後ろに下がり、ザンザスと距離をあけた。

「終わりにしましょう」
彼が手を上げると同時に、闇を切りさく閃光が、ザンザスを貫いた。

「ボスっ!」
ネーヴェは、もうもうと白煙が立ち上る中で、叫んだ。
この程度でやられるボスじゃない、けれど。
この状況は少し不味い。
ネーヴェは視界の悪い中で目を凝らすと、現れたのは巨人だった。
グォングォンと不気味な音を響かせながら、オッタビオを守るように立ちはだかる。

「ヴェッキオ・モスカ!」
「それが貴方が軍から手に入れた兵器?」
「正確に言えば軍のレポートを元に私が作り上げました」
「……」
「泣いて謝れば許してあげてもいいですよ。貴女にはまだ、利用価値がありますから」

そう興奮に満ちた顔で言うオッタビオに、ネーヴェは強気な姿勢を崩さずに深く息を吸い込んだ。

「誰が貴方なんかに」
「では消えていただくしかありませんね!」

圧縮粒子砲の噴射口がネーヴェをとらえる。
それを真っ直ぐ見据えながら、ゆっくりと目を閉じた。
数秒間が、すごく長く感じる。
待てど何も起こらず、ゆっくりと目を開けると、鋼鉄の巨人は動きを止めていた。

「動きなさい、モスカ! モスカ!!!」

うろたえるオッタビオは、芝居ではない。
それを見て、ザンザスは最初からこうなることが分かっていたかのように冷笑を浮かべていた。
当然だ。ザンザスの目的は、最初からこの兵器だったのだから。

「やっぱり、これは旧式だね。こんなわかりやすいところに、緊急停止スイッチがあるなんてさ」

突然聞こえてきた声に、ネーヴェはぱぁっと表情を輝かせた。

「マーモン!」
「君は馬鹿かい? 逃げろよ」
「信じてたもの」

なんでもないことのようにそういうネーヴェに、マーモンはふんっと鼻をならした。

「ボス、例のものはちゃんと手に入ったよ」
マーモンの取り出したファイルを見て、オッタビオの顔色が変わる。
「まさか、それは!」
「そうだよ。モスカの開発レポートの完全版。君がこの旧式モスカを使って、やつらから奪い取ろうとしてたものさ」

マーモンの口から明かされる今回の事件の真相。
オッタビオには、もはや先ほどまでの余裕など欠片も残されていなかった。

「ねぇ、私が前に言ったこと覚えてる?」
ネーヴェは、崩れ落ちて膝をついたオッタビオに歩み寄ると、そう尋ねた。
「ヴァリアーを害するものは殺す、ですか。その限りではありませんでしたが」
「ええ、貴方がいたからこそ、ヴァリアーは崖っぷちでも踏みとどまれた。感謝してる」
じゃあね、もう会うことはないでしょう。

そう心の中で別れを告げると、背を向けて歩き出した。

「かっ消えろ」
後ろからそんなボスの声が聞こえたと同時に、紅蓮の炎の熱が風と共に頬を撫ぜた。

「あのね、お願いがあるの」
突然立ち止まったネーヴェは、まるで抱っこを強請る子供のように、両腕を大きく伸ばす。
声を掛けられた相手、マーモンは困惑して次の言葉を待つ。

「ぎゅってしていい?」
「ム。調子に乗らないでくれるかい?」

マーモンがそう冷たく言うと、ネーヴェは我に返ったように慌て始めた。
以前までこんなに積極的じゃなかったはずだ。
さっきまでなぜか大胆になっていたことに自分でも気づき、恥ずかしさが一気に押し寄せる。

「ごめんなさ……」
ネーヴェがそう言いかけた時、ぽすっと腕の中に収まる小さな体。

「今回だけだよ」
運んでもらえるのは楽だしね。マーモンはそう心の中で自分に言い訳をする。

ネーヴェはその体をぎゅっと抱きしめると、ぽつりと呟いた。
「……早く帰って紅茶が飲みたいな」
その声がいつになく弱々しかったので、マーモンは何も文句は言わずに抱きしめられていた。
「あのね、レモネード、作ってみたんだ。飲んでくれる?」

そう続けたネーヴェの髪を、朝日が透かす。
こうして、長い長い一日は終わりを迎えたのだった。