「ハート」
争奪戦が終わった後、ネーヴェは急いで呼び止めた。
「あの人たち、なんなの?」
あの人たち、とはチェルベッロの女たちのことだ。
ハートはそのネーヴェの疑問に眉根を寄せた後、ため息と一緒に答えを吐き出した。
「セピラの意思を継ぐもの……って、私は解釈してるわ」
「セピラ?」
「ボンゴレリングとマーレリングの創設者。今はもういないけど」
「じゃあいわゆる、指輪側の私たちみたいな存在ってこと?」
「いいえ」
そう答えたハートは、どこか遠くを見ているようで、いつもの嘲るような口調ではなくなっていた。
そして、こう感情の失せた声でこう続けたのだ。
「彼女たちは“脳”だから」
そのハートの異質な様子に、ネーヴェはそれ以上深くは突っ込まなかった。
代わりにもう一つの疑問について切り込む。
「予言って言ってた。あれは、なに?」
チェルベッロは、敗れたザンザスにまるでそれが予定調和だとでもいうように振舞った。
最初から結末が分かっていたとでもいうのだろうか。
「未来予知、ねぇ。それってすっごく胡散臭い」
ハートが口元の前で合わせた左右の指先が、ネーヴェの視界の中で光る。
その爪の一枚ずつに、濃い赤のマニキュアが丁寧に塗られている。
抜けるように白い肌も相まって、その毒々しさが少々不気味だった。
「だって、予言が存在するなら、パラレルワールドの存在が否定できるじゃない」
そう続けたハートの言葉に、ネーヴェは感じていた違和感の正体に気付いた。
予言の出来事が必ず起こる未来しかないなら、運命線はずっと一本筋ということになる。
つまり、予言というのは究極の宿命論の上で成り立っている。
予言が存在するということは――――。
「未来は、変えられないということ?」
「全部机上の空論だけどねぇ。因果律の話に、きっと答えなんてない」
◇◆◇
イタリアに帰るのはしばらく先になる予定だ。
ネーヴェは、ひんやりとした夜の空気の中、街灯の灯りだけを頼りに並盛の町をさまよい歩いていた。
現在、ヴァリアーの皆は日本で治療を受けている。
彼らは直ぐに動かせないほど重症だったのだ。
お見舞いには一度行ったが、自分がいたところで全く役に立たないことに気付いただけだった。
大体、皆になんて声を掛ければいいのか、わからない。
一緒に戦ったわけでもない自分には、気の利いた言葉1つ思い浮かばないのだ。
2度もクーデターにも失敗したなんて、なんて笑えない冗談。
もう、ヴァリアーも終わりかもしれない。解体は免れないだろう。
ふと顔を上げると、一般的な日本の建物があった。
屋根に大きな看板を掲げている。
川平、不動産……。
「やあやあ」
その声を聴いて振り向いたネーヴェは、目をぱちくりさせた。
「チェッカーフェイス、さま……?」
「今は“川平のおじさん”って呼んでほしいね」
背後から現れた人物は、丸い眼鏡をかけた白髪の男だった。和服を着ているのに、だらしなく見える。
鉄の帽子と仮面をつけたチェッカーフェイスとは、似ても似つかない姿だ。
それなのに、どうしてチェッカーフェイスだと“気付いた”のだろうか。
ネーヴェは、自分の直観も馬鹿にならないな、と思った。
「おいで。少し歩こうか」
そう言って背を向けた彼の後を慌てて追う。
川沿いの涼しいけれど少し湿った空気を感じながら、ネーヴェは口を開いた。
疑問は山ほどあり、時間は有限だった。
「チェルベッロって一体……予言って……? ハートは……答えを持っていないみたいだった」
「おやおや、君は知りたがりだね。全てにに答えることは出来ないが、ヒントをあげよう」
ネーヴェは、そう言うチェッカーフェイス、もとい川平さんの憂いを帯びた横顔を見た。
「彼女はチェルベッロの子たちが羨ましいんだよ」
「チェルベッロが、羨ましい……?」
「彼女たちはハートがなりたかったものそのものだからね」
ネーヴェの困惑を感じ取ると、彼は笑った。
「いやいや、深く考え込むようなことじゃないからね」
「……全然、わかりません」
それは、結果的に疑問を増やしただけだった。
理解できるとも思えない。
「ところで、どうだい?」
突然、川平さんにそう尋ねられ、質問の意図を測りかねたネーヴェは逡巡する。
「……と、いうと」
「嫌になったんじゃないかと思ってね、アタシの手伝いが」
「嫌じゃないです」
「そう?」
そうおどけたようにいう彼は、普通のどこにでもいる人のいいお兄さんだった。
いつもは鉄の帽子と仮面で見えないが、本当は温かい心を持っているような気がした。
「もしかして、心配してくれたの……?」
「楽しいもんじゃないだろう? いずれ呪いに殺される者の監視なんて」
ネーヴェはそれになにも答えられなかった。
答えを探してはいけない気がした。
◇◆◇
「ネーヴェ!」
「わっ! ベルくん、どうしたの?」
いつも通り、入院しているヴァリアーの皆のお見舞いに病院に来た時だった。
受付をしようとカウンターに向かう途中、突然名前を呼ばれ、腕に抱えていた花束を落としそうになる。
「寿司食いにいこーぜ」
「すし? なにそれ……」
「嫌がっても連れて行くし」
ネーヴェの言葉もろくに聞かず、ぐいぐいと手を引くベル。
花束を束ねていたリボンが解け、たくさんの本数のガーベラが床に撒き散らされた。
病院の人に心の中で謝りながら、引きずられるようにして彼に連れて行かれる。
「もうすっかり元気ね」
「ししし。だって俺、王子だもん」
驚異の回復力だ。若いっていいな。
やはり、一般人とは体のつくりが違うのだろう。
ベルは入院中の安静が気に食わなかったのか、退屈だとずっと不満を漏らしていた。
だから、日本を離れる前に外出の許可が出て、とても嬉しそうだ。
ネーヴェはすぐに、ベルの腕の中に収まっているマーモンにも気が付いた。
「マーモンも、もう平気なの?」
「もともと僕とベルは、ボスやスクアーロほど重症じゃなかったからね」
「そう」
スクアーロは雨戦後、一時瀕死の重体だったと聞いた。
ボスも零地点突破を受けたり指輪に拒まれたりしたことで、相当ダメージを受けていたはず。
しかし、本部は完全な回復など待ってくれないだろう。
イタリアに連れ戻されて、処罰が下されるのは明日かもしれないのだ。
「とーちゃーっく!」
「?」
ぱっと手を離され、目の前の建物を見上げると、看板には“竹寿司”の文字。
ベルはその建物の扉を躊躇なく開けた。
「おう、坊や。また来たのか」
そう声を掛けてきたのは、気前のよさそうな親父さんだった。
「知り合い?」
「ししっ。ちょっとね」
はぐらかすベルを、じとっと見る。
そんなネーヴェの目線などどこ吹く風で、ベルは親父さんに“寿司”を注文していた。
「ヘイ!一丁」
「これ、初めて食べる……」
ネーヴェはごくりと唾を飲んで、初めて目にする寿司をじっと眺めた。
濡れたように艶のある魚の切り身は透き通るような色をしていて、鮮度の良さをうかがわせる。
ルビーを砕いたようにキラキラと輝くいくらもあった。
「遠慮すんなよ。王子のオゴリだし」
「随分気前がいいね」
「マーモンには言ってねーっつの」
「ムム、こっちは付き合わされて来てるんだ。当然だろ?」
そんな2人のやり取りに、ネーヴェはつい「ふふっ」と笑みを零す。
そんな彼女を見たベルとマーモンは、黙り込んだ。
「どうしたの?」
そうネーヴェが口にすると、ベルは歯切れ悪くこう言った。
「いや、元気なかったからさ」
ああ、気を遣わせてしまったのか。
突然誘われた理由にふと思い当たり、嬉しいというよりも自己嫌悪の感情が勝った。
自分は、そんなに暗い顔をしていただろうか。
「合わせる顔がないの、お見舞いに行っても。こういう時、どうすればいんだろう……」
そう言ったネーヴェの声は、痛々しいほど明るかった。
「ネーヴェがいたところで傷の治りが早くなるわけじゃないしね」
「辛気くせー顔で来られても、迷惑だっつの」
「そうだよね……」
“迷惑”の二文字に、胸がずきりと軋む。
そのとおりだった。こんな時、なんの役にも立てない自分が不甲斐なかった。
「だから、せめて笑ってなよ」
「!」
マーモンの言葉に、ネーヴェは目を見開いた。
罪を許されたような気持ちに近い。胸に広がったそれは、温かな安堵だった。
自分がここにいることを、誰かに肯定してほしかった。
その日食べたお寿司の味は、とても優しかった気がする。
その日の夜、ネーヴェは眠れなかった。
いろんな感情がぐちゃぐちゃで、けれど、それを解くのも怖かった。
もし、ヴァリアーがなくなってしまったら、皆バラバラになっちゃうのかな。
――――皆のことは好き。
でもそれは、仲間として信頼しているという意味上だけのこと。
以前ルッスーリアに、『ネーヴェはなんでそんなにマーモンが好きなの?』と聞かれたことがあった。
あの“好き”の意味は、深く考えなかったけれど。
考えるだけ無駄なのだ。なぜなら、皆に対する好きときっと同じだから。
寄りかかりすぎてしまうのは、たまにかけてくれる言葉が、あまりにも自分を安心させてくれるから。
その言葉には他意がない。一切の好意だって含まれていない。
マーモンは、ネーヴェを励まそうと思って言葉を紡いでいるわけではないのだ。
だからこそ、そこにある真実になにより安心を覚える。
その言葉にどうしようもなく縋ってしまうのは、自分の弱さ故だ。
いつか失うものに、特別な感情なんて抱かない。
それは、ネーヴェが自ら心の中で引いた白線だった。
『楽しいもんじゃないだろう? いずれ呪いに殺される者の監視なんて』
その川平さんの言葉が胸に爪痕を残して、思い出したようにじくじくと痛みを与える。
その痛みは苦しいだけではなかった。
苦しみを与える傷跡から、幸福感の泡が溶け出してくるようにじわりと滲み、染み込むような心地よさを感じる。
どうしてなのだろう。
「もうなにも、考えたくない……」
ぽつりと零れた言葉と共に、ネーヴェは意識を投げ出した。
誰かが言った。
――――“愛は痛み”なのだと。