白蘭を倒し、10年前の世界に帰ってきた10代目とその守護者たち。
このタイムワープの時、ユニとアルコバレーノたちはいろいろなプレゼントをしてくれた。
過去のマーレリングを封印し、未来での記憶を過去の一緒に戦った者たちに伝えてくれたのだ。
突然、頭に流れ込んできた未来の記憶に、ヴァリアーの面々は動揺する。
それはネーヴェも例外ではなかった。
唯一つ違ったのは、それが彼女にとって耐えられるほどのものではなかったことだ。
未来でなぶり屠られた記憶が、現実に降りかかった出来事のように生々しく蘇る。
復讐者による凄惨な拷問は、彼女にトラウマとして深く刻み込まれていた。
◇◆◇
コンコン、と部屋の扉が叩かれる。
ネーヴェは、その音に「ひっ」と息をつめて身をすくませた。
「いや……こないで……」
マーモンが扉を開けると、部屋の隅でブランケットに包まり、膝を抱えて小さくなっているネーヴェがいた。
自分を守るように腕で頭を隠し、小刻みに震えている。
「ネーヴェ、僕だよ」
安心させるように名前を呼ぶと、彼女はビクッと肩を震わせた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさ……」
「ネーヴェ!」
とても話が通じる状態ではない。
それに、この怯え方は異常だ。
「未来で一体、何があったんだ……?」
◇◆◇
「マーモンでもだめかぁ……」
突然のネーヴェの変化に、ヴァリアーの皆は動揺していた。
なにしろ、医師にすら見せられないくらいひどい状態なのだ。
触れようとすれば本気の力で暴れ、近づこうとすれば手当たり次第にものを投げる。
単に攻撃的になっているわけではなく、怯えや恐怖による防衛本能からの行動だろうと医者は言っていた。
間違いなく言えるのは、未来の記憶と現実が混濁した状態なのだと思われることだ。
「マーモンが死んだ直後ですら、あんな風じゃなかったぞぉ」
「落ち込んではいたけど、気丈だったわよねぇ」
「奴は、我々の前では一度も泣かなかった」
そう話し合いながら、幹部たちの間に重苦しい空気が流れる。
「だが、あいつはある日突然……消えたんだぁ」
「消えたってどういうことだい?」
「そのまんま。ろくに捜索もしてねーけど」
スクアーロと日本に向かったネーヴェは、チョイス戦の辺りで突然いなくなったのだ。
皆白蘭と戦うことに必死だったため、ネーヴェを探している場合ではなかった。
隊員がいなくなったところで「死んだか」で済ませてしまうヴァリアーとしては、当たり前の事なのだが。
強いやつが生き残る。それこそが摂理であり、ヴァリアーの在り方だ。
「ともかく、ネーヴェの処遇を決めなきゃなんねぇ。どうすんだぁ、ボス」
「……カスが」
椅子にゆったりと腰かけたザンザスは、それ以上何も言わなかった。
しかし、彼女がこのままヴァリアーに居続けるのは到底不可能だろう。
あの状態では仕事もできないどころか、身の回りのことですらおぼつかないのだから。
だからこそ、スクアーロはやりきれなかった。
あんなにヴァリアーに執着していたあいつが、それを理由に雲の守護者になることを拒み続けていたあいつが、こんなところで理由もわからずに潰れてしまうことが。
「いい加減にしろぉ! ヴァリアーに役立たずはいらねぇ!」
『とりあえず、本人を連れてきましょう』というルッスーリアの言葉によって連れてこられた彼女に、スクアーロはきっぱりとそう言った。
ネーヴェはその大きな声にビクッと震えると、無言で耳を塞いで蹲る。
「やめなよ。怯えてるだろ?」
「!」
両手を広げてネーヴェを隠すように立ちふさがった姿を見て、ボスを含め幹部たちは驚いた。
マーモンがネーヴェをこんな風に庇うなど、思ってもみなかったのだ。
「なんのつもりだぁ、マーモン」
「見た通りだよ。僕はネーヴェの味方なのさ。全面的にね」
二人の間に剣呑な空気が漂う。
それを見た他の幹部たちは、ごくりと生唾を飲んだ。
しばらくの沈黙の後、折れたのはスクアーロだった。
「……任せていいんだなぁ」
マーモンは無言でそれに肯定すると、ネーヴェに向き直った。
「さぁ、ネーヴェ。部屋に戻るよ」
「……」
マーモンを見上げる彼女の目は、焦点が合っていない。
ぺたんと床に座り込んだまま、足に力が入らないようだ。
「僕がついてるから大丈夫だよ」
小さな手をネーヴェの頬に添えて、マーモンはそう言った。
「……ど、して……」
消え入りそうな声だったが、ネーヴェと会話が成立したことにマーモンはホッとした。
「未来で、僕のことを命を賭けて守ろうとしてくれたからね。その借りを返したいだけさ」
それは紛れもない本心だった。
ただの善意で手を差し伸べているわけではないし、そこになにか特別な感情があるわけでもない。
少なくとも、マーモン自身はそう思っていた。
あの後、部屋に戻ったネーヴェとマーモンに、ルッスーリアはココアの入ったマグカップを持ってきた。
皆、なんだかんだと言ってもネーヴェのことが心配なのだ。
元はといえば、ネーヴェが集めた彼らだから、それも当然かもしれない。
眠れるまで傍についててあげようなんて、自分でもどうかしている。
そう思いながらも、マーモンはネーヴェの傍から離れることはなかった。
夜に何度も悪夢を見て目を覚ますらしく、彼女を一人にしておけばなにをしでかすかわからない。
そんなネーヴェを宥めるためには、必要なことだったのだ。
「ただの悪い夢だよ。幻さ」
その言葉を聞いたネーヴェの瞳から、ぽろぽろと涙が零れる。
「ま、もん……」
「なんだい?」
「まーもん……まーもん……」
「うん、ここにいるよ」
「どこにもいかないで……、そばに、いて……」
「ム、仕方ないね」
縋りついて泣きじゃくるネーヴェに言い聞かせるように言う。
やっと落ち着いた彼女を寝かしつけると、泣き疲れたように眠るその頬に残る涙の跡を見た。
この体が大きければ、抱きしめてあげることも出来たんだろうけど。
この呪いは、不便なことこの上ない。
ネーヴェはノントリニセッテで弱った僕の名前を呼んで、追手から逃げる間ずっと離さなかった。
その温もりは、未来での僕のたったひとつの希望だったんだ。
だから今度は、僕が君の手を引く番だ。
「ベルかい?」
気配を消して部屋に入ってきた人物に、マーモンは声を掛ける。
すると、予想通りの相手が闇の中から姿を現した。
「マーモン。継承式、幹部以上は全員出席だってさ」
「ムム」
沢田綱吉のボンゴレ10代目継承式。
ヴァリアー霧の幹部であるマーモンは、それに出席しなければならない。
この世界線でのネーヴェは、まだ雲の幹部にはなっていない。
未来の世界でネーヴェが雲の幹部の席におさまったのは、綱吉が10代目に就いた後だった。
だから、今の彼女が10代目の継承式に出席する必要はない。
この精神状態で人前に出すことは不可能なので、それは幸いなのだが……。
正直言って、今の状態の彼女から目を離すのはかなり不安であった。
「……すぐに戻ってくるからね」
しかし、拒むことは許されないのだ。
この選択を後悔することになるなんて、その時は思ってもみなかった。
◇◆◇
「ふざけるな!」
「どうしたのぉ? マモちゃん、大きな声出して……」
ルッスーリアは意外過ぎる人物が声を荒げたことに驚いて、その場に駆け寄った。
マーモンとスクアーロとベル。
喧嘩になっても一番冷静そうなマーモンが、取り乱すなんて。
「う゛お゛ぉい、何言ってるかわかんねぇぞぉ」
「マーモンが、ネーヴェってのを知らないかって言うんだよね」
「ネーヴェ? なにそれ、人の名前?」
首を傾げた彼女にも、その単語は聞き覚えのないものだった。
その様子を見て、マーモンは落ち着きを取り戻す。
「ム。本当に覚えていないのか……?」
「ししっ、変な奴」
ヴァリアーの幹部たちは、継承式からアジトに帰還した。
結局、継承式はシモンファミリーに邪魔され、めちゃくちゃになってしまったが。
そんなことはどうでもいい。
今目の前で起きていることの方が、マーモンには信じられなかった。
帰ると、ネーヴェはどこにもいなかった。
それどころか、ヴァリアーのメンバーは、全員ネーヴェの事を忘れてしまったようなのだ。
しかも、アジトには彼女が存在していた痕跡すら何処にも残っていない。
彼女は、まるで初めから存在していなかったかのように忽然と消えてしまっていた。
ありえるのか? こんなことが……。
あの状態で、一人でどこへ行けるというのだろうか。
粘写をしても“ERROR”の文字。
ゆりかごの後、彼女が置き手紙をして一週間失踪した時と同じだ。
あの日も突然姿を消して、怪我をして帰ってきた。
胸騒ぎがする。
僕はどうしてこんなに必死に探しているのだろう。
この喪失感はなんだ?
◇◆◇
「あららぁ、すっかり壊れちゃってぇ」
ハートは呼び寄せた相手に向かってそう言う。
ネーヴェが意志のない人形のようにそこに立っていた。
彼女の感情は空っぽなのか奥にしまい込んで鍵をかけてしまったのか、いずれにしろ読み取れない。
ますます初代ダイヤに似てきたな、とハートは心の中で零した。
「それでぇ、未来で誰に殺されたのぉ?」
「……」
「口もきけない感じ? よっぽど無残な最期だったのねぇ」
クスクスと笑っているハートは、その実そこまで愉快でもなかった。
結局、ネーヴェはハートが探している人物を見つけることができなかった。
また振り出しに戻ってしまったのだ。
その時、不意にネーヴェがはっきりした声で言葉を紡いだ。
「バミューダ」
それを聞いた瞬間、ハートはガッとネーヴェの襟首を掴むと壁に押し付ける。
そして、眼光を鋭く光らせながら問うた。
「会ったのね?」
「復讐者」
そうポツリと零した言葉を最後に、ネーヴェは口を噤んだ。
奴は数百年のうちに仲間を増やしていたのか。
予想の範疇ながら厄介な事態に、ハートの表情に暗い影が落ちる。
一人で復讐者全員を相手するのはさすがに無理だ。
いずれにしろ、もうすぐ代理戦争が始まる。
そちらの管理に集中するべきだが、バミューダによる妨害も想定しておくべきだろう。
チェッカーフェイスさまに、復讐者を近づけてはいけない。
しかし、その前に。
「ご苦労様。貴女、――――邪魔だわ」
そう言ったハートがネーヴェの首元に突きつけたのは、鋭く光るナイフだった。
ぷつ、と切れた場所から赤い玉が膨れ、細く流れる。
抵抗しないネーヴェを、ハートは試すように見つめてこう続けた。
「なぜ今こうなっているのか、自分でも気づいてるんでしょう?」
見つめ返すネーヴェの瞳には、相変わらず光がない。
けれど、紡ぐ声がそれはそれは透き通っていたものだから、ハートはハッとしたのだ。
「恋をしたから」
時が止まったような気がした。
「ただの依存ならよかった。だって、また代わりを見つければいいんだもの。――――でも、この気持ちは、本物なの」
諦めたように、そう続けて吐き出したネーヴェは眼を閉じた。
その瞼裏に浮かぶのは、藍色のおしゃぶりのアルコバレーノだろう。
真実の愛を語る彼女は、認めたくはないが美しいとハートは思った。
だから、その続きを聞いてみたくなったのだ。
「言い残すことがあるなら、聞いてあげるわぁ」
「皆の中の、私に関する記憶を……消して」
突然そんなことを言い出したネーヴェに、ハートは戸惑った。
人は感情が狂うことで記憶に変調をきたすことがあるほど、精神面が脆弱な生き物だ。
“こころ”などという存在しない臓器に関しては、大抵どんな強者でもノーガードなものだ。
だから、ハートの能力で記憶操作自体は不可能ではない。
けれど、なぜそんなことをネーヴェが願うのか。
その動機に思い当たったハートは、軽蔑の意味を込めて嘲笑する。
許されない気持ちを心の中に秘めておくためには、相手に自分の事を忘れてもらうこと。
それくらいしか思い浮かばなかったこいつは、なんて哀れな女なのだろうか。
そういうところが大嫌いなのよ。
彼女は、自分の愛を貫くことを恐れている。
いつも被害者面して、薄幸ぶって、本当の絶望なんて知らないくせに。
愛に許しが必要だろうか。
愛するは罪なのだろうか。
否、否、否。
愛より大切な使命などあるものか。
愛は与えられるのを待つものではなく、奪うものでしょう?
そう、ハートは確信していた。これが、自らの愛の在り方だったから。
でも、好きな人に自分の事を忘れ去られる決断は、そうそうできるものではないから。
「その覚悟に免じて、殺すのは勘弁してあげるわぁ」
そう言って投げ捨てたナイフが、カランと音を立てた。
そして身体を伸ばすように伸びをすると、心の中で言い訳をする。
ちょっと見てみたくなっただけだもの。
ダイヤは変わるのか。
いままで関わった誰からも忘れられ、帰る場所も、唯一の居場所ですらなくした彼女が、どのような末路を辿るのかを。
「未来みたいにあっさり死んじゃったらぁ、許さないんだからぁ」