ヴァリアーでの日常が戻ってきた。
けれど。
マーモンが必要最低限しか口をきいてくれなくなったことに、ネーヴェは困惑していた。
こちらから話しかけられるような隙も、一切作ってはくれない。
避けられているのは火を見るより明らかだった。
ようやくその隙をついて話しかけることが叶ったのは、それから一週間がたった時だった。
「マーモン、あのね。その、今ちょっといいかな……」
「見ればわかるだろう? 僕は今忙しいんだ」
無理やりな笑顔を浮かべたネーヴェが声を掛けると、マーモンは手元の通帳に目線を落としたままでそうぴしゃりと言った。
「……そっか。じゃあ、そのままでいいから、聞いてほしいの」
「……」
「未来の記憶が戻った後、庇ってくれてありがとう。本当に嬉しかった。あと、突然いなくなってごめんなさい。その……避けられるのは辛くて、前みたいにお話がしたくて。悪いところ直すから、何に怒っているのか教えてほしいの。だって、私……」
そこで言葉が途切れる。続きを言う勇気が出ない。
けれど。言わなければいけないことだ。
(ずっとこのままなんて、嫌だもの)
ネーヴェは深呼吸すると、意を決してこう続けた。
「マーモンの事が好きだから」
言った。言ってしまった。
しばらく沈黙が続くかと思ったが、そこまで長くもなかったかもしれない。
はぁ、とため息を吐かれ、条件反射で肩が跳ねる。
「それだけかい? この際だからはっきり言うよ。僕はもう、君に振り回されるのはごめんなんだ」
「……ごめんなさい」
「謝れば許してもらえると思っているのかい? 君はいつもいつも、勝手にどこかに行ってしまうからね。もう関わり合いになりたくないのさ」
「そうだよね……」
その棘のある言い方に、胸が引き裂かれたように痛い。
それでも、滲んでくる涙を止めようと必死に瞬きをした。
二の句を継ぐことができず立ち尽くすネーヴェを見かねたのか、横から口を挟んだのはベルだった。
「ちょっと言いすぎなんじゃねーの? 何怒ってんだよマーモン」
「ム。ベルには関係ないだろ」
「ベルくんごめんね、ありがとう。でも、マーモンの言う通りだから……」
俯いたネーヴェの声が震えていた。
ネーヴェとは一度も目を合わさなかったが、マーモンには彼女がどんな顔をしているかくらい想像がついた。
「仕事思い出しちゃったから部屋に戻るね」
遠ざかっていく足音と扉が開閉する音。
ようやく彼女がいなくなったことに、マーモンは安堵した。
「らしくねーの。なんでネーヴェに理不尽に辛くあたるわけ?」
「別に。さっきも言ったけど、ベルには関係ない」
「私が言うのもなんだけど、あとで後悔しても遅いわよ」
「ム」
またしても横から口を挟んでくる者がいた。ルッスーリアだ。
皆放っておいてくれればいいのに、そんなにネーヴェの事が大事なのだろうか。
そのことに対して、また苛立ちを感じる。
ネーヴェは変わった。
僕にしか心を開いていなかった頃とは違う。
「後悔なんてするもんか。前は出来なかったことを、やってるだけさ」
◇◆◇
早く、自分の部屋に行かなきゃ。
部屋から出たネーヴェの頭の中は、それでいっぱいだった。
そう思って前へと動かしていた足元がフラつき、ガクンと膝が折れる。
廊下の壁に寄り掛かり、ずるずると崩れ落ちた。
「あ……ふっ……ぅう……」
初めて伝えた『好き』という言葉すらも拒絶されてしまった。
苦しい。息ができない。
声を必死で押し殺して嗚咽する。
思いっきり声をあげて泣けたらどんなに楽だろう。
こんなところで泣きたくなんかないのに、もう一歩も動けない。
「何やってんだぁ? そんなとこで」
スクアーロが、ネーヴェの背中が震えていることに気付いたのは、声を掛けてしまった後だった。
「大丈夫、だよ……、大丈夫だから、放っておいて……」
蹲った彼女から床に向かってぽたぽたと落ちる雫が、大丈夫でないことを物語っている。
無理して喋ったせいなのか、彼女の呼吸音がおかしい。
過呼吸を起こしていると気づいたのは、すぐだった。
「ほっとけるわけねぇだろぉ」
自分の隊服の袖をネーヴェの口元に当てると、彼女の背中をさする。
「ゆっくり息をしろぉ」
「ネーヴェ!?」
廊下の先から鋭い声が上がり、慌てたように飛んできたのは、彼女にとって今の姿を一番見られたくない相手だった。
「や、だ……!」
「う゛お、まだ喋るんじゃねぇ」
パニックを起こしたようにスクアーロの手を振りほどいて逃げようとするネーヴェを、彼は再度抑え込む。
そして現れた相手、マーモンに向かってこう言った。
「ただの過呼吸だ。心配ねぇ」
「……じゃあ、僕はいない方がいいね」
「はぁ!?」
ふいっと二人の横を通り行ってしまうマーモンに、スクアーロは驚きの声を上げた。
(こいつらの間に何があったんだ?)
◇◆◇
「虹の呪いを解きたいか!?」
アルコバレーノたちの夢の中でそう告げたのは、鉄の帽子の男だった。
その開戦の言葉は、ネーヴェにも届いていた。
代理戦争を行わないわけにはいかない。
しかし、どう転んでも現アルコバレーノが死ぬことは決まっている。
無駄な戦いを止める? 止めてどうするの?
新しいアルコバレーノが決まらなければ、この星の全人類ごと滅ぶ運命だ。
「悪くないんじゃないかしら、それも」
くすくすと笑いながら、もう一人の私がそう言った。
「ううん、それじゃあ意味がないよ」
ネーヴェは首を振ってそれを否定した。
自分の中の不完全な生存欲は、完全な生存欲となっていた。
生きる意味が、明確になったのだ。
――――私は、愛する人と一緒に生きたい。
「好きなのね」
「世界中を敵に回してもいいくらい好き」
「相手が貴女を好きじゃなくても?」
ネーヴェはなにも答えなかった。
「方法はわかってる」
身体さえ無事なら、きっと夜の炎で延命できる。
だって私もそう。バミューダも、復讐者たちもそう。
列記とした成功例があるのだから、この賭けは無謀ではないはずだ。
◇◆◇
翌日。
マーモンの代理として代理戦争で戦うことになったヴァリアーは、日本に発つことになった。
「僕は君に、代理を頼む気はないよ」
当たり前のようについていこうとしたネーヴェに、マーモンはそう言い放つ。
しかし、ネーヴェは怯むことなく真っすぐ見つめてこう言い返したのだった。
「あなたの代理じゃなかったら日本に行ってはいけないとでもいうのかしら。私の行動に対して、あなたに文句を言われる筋合いはないわ」
「!」
そのネーヴェの言葉に驚いたのはマーモンだけではなく、ボスや他の幹部たちも同様だった。
マーモンに対して、ネーヴェがこんなに強く出たのは初めてだったのだから。
「あなたに言われた言葉を考えたの。勝手にどこかに行ってしまうことに対して怒ったのなら、どこにもいかない。ずっとあなたの傍にいる。鬱陶しいくらい付きまとおうかと思ってるから、覚悟しててね」
「よくもそんなに恥ずかしいことが堂々と言えるね」
「だって、私、あなたのことが好きなんだもの」
ぴんと張りつめたような緊迫した空気が漂う。
それが愛の告白というよりも、いっそ宣戦布告の言葉のように感じられたからだ。
ボスだけは、全く興味がないのか欠伸していたけれど。
「……僕は好きじゃないけどね」
それを聞いたネーヴェはショックを受けるどころか、にっこりと微笑んだ。
「じゃあ、好きになってもらえるように頑張るね」
そんなネーヴェを見たマーモンは困惑する。
一体なんなんだ。
昨日とはまるで別人じゃないか。
「なんかネーヴェ、雰囲気変わった気がしね?」
「どういう意味だい?」
不意に自分の心を代弁するようなことを言ったベルに、マーモンはそう尋ねた。
「なんか可愛くなったってゆーか……」
「……」
「怖い顔すんなって、ベイビッ。とったりしねーからさ」
「ム。顔見えてないくせに決めつけるなよ。それに、僕はネーヴェの事なんてなんとも思ってないからね」
◇◆◇
日本に着いたヴァリアーの宿泊先は、豪華なホテルだった。
しかも、スーパースイート。
奥の和室で寛ぐボスの前にベルがポイっと投げ捨てたのは、どこから拾ってきたのか沢田綱吉だった。
「ししっ、ボース♪ みやげっ」
『だっ!!』という声と共に盛大に転がされた綱吉は、ザンザスを目にすると怯え出す。
ザンザスはそんな綱吉を睨みつけると、こう告げた。
「この代理戦争でてめえを、かっ消す!!」
おそらく、ザンザスが代理戦争に参加した目的はそこにあるのだろう。
その時、天井に気配を感じて、全員が同時に上を見上げた。
「誰だ!」
ザンザスが銃で天窓をぶち抜くと、硝子の破片が舞い落ちてくる。
それと一緒にスーツケースを持った人が降ってくると、タンと着地した。
「私は“虹の代理戦争”を企画した者の遣いで尾道と申します、フフッ。虹の代理戦争をより具体的に説明しに参りました、ハハッ」
尾道?
チェッカーフェイスの遣いだという割に、面識のない輩の登場にネーヴェは警戒心を強める。
ハートじゃないんだ。
ネーヴェにとっては初めての代理戦争なので勝手がわからないが、そのことに少しだけ違和感を感じた。
虹の代理戦争のルールを説明しに来たという彼の話をまとめるとこうだ。
代理戦争とは、代理が腕時計をつけて戦うバトルロワイヤル形式。
その中でもボスを務める者が付けるボスウォッチが壊されると負け。
戦闘は一日一回で制限時間があり、いつ始まるのかはわからない。
ネーヴェにとって真新しい情報はなかったので、代理戦争のルール自体に変更はないらしい。
「ボス……どうかな? 同じボンゴレだし最初だけでも同盟を……」
「るせぇ。誰とも組まん!! かっ消す!!」
マーモンの提案は、ザンザスによって即却下された。
よって交渉は決裂。
ザンザスの最大の目的は、沢田綱吉をかっ消すことのだろうから、当たり前なのだけれど。
虹の代理戦争開始まで、あと4日。
◇◆◇
とりあえず、ヴィンディチェの牢獄の付近まで来てみたけれど。
ハートは、バレないように様子を窺うと心の中でため息を吐く。
バミューダの姿は見えない。
敵の本拠地に単身乗り込むなんて愚かなことはしないつもりだった。
バミューダが一人になったところを狙う。
それが唯一、勝算があると思える方法だ。
彼が死ねば、他の復讐者も夜の炎が補給できなくなって死ぬはずなのだから。
まだ、彼らに動く気配はみえない。
ハートは、自分に『焦ったほうが負け』だと言い聞かせた。
きっとチャンスは巡ってくるのだから。