02


「次は小麦粉をふるいにかけて〜」
「こ、こう?」
「そうそう、上手よぉ〜」

ネーヴェが恥ずかしそうにお菓子作りを教えてほしいと言いにきたのは、初めての幹部会議から一週間ほどたったある日のことだ。
ルッスーリアはそれに二つ返事でOKした。

「どうしていきなりお菓子を作ろうと思ったの?」
「お茶請けをね、用意したくて……、いきなり手作りって引かれると思う?」
「そんなことないわよぉ〜。きっと喜んでくれると思うわ」

そうなだめられ気を良くしたネーヴェは、渡されたフリル付きエプロンの腰ひもをきゅっと結ぶ。
そして、初心者にはクッキーが簡単だろうということでそれに決め、今に至る。
会議の時に約束した通り、今日はマーモンとお茶会。
のんびりお菓子でも食べながら、お話ができる。
そのお菓子が自分の作ったものであれば……そう想像してネーヴェは胸を弾ませた。

そう、何もかも順調だった。
この時までは、なにもかも。


◇◆◇


「ム、なんだか外が騒がしいね」
「……侵入者みたい」

ネーヴェは能力を使って遠視すると、そう言った。
お茶会は始まったばかりだ。
侵入者など大して珍しいことではないし、今度はどんな命知らずが来たんだろうと視ると、まだ幼い男の子だ。

「子どもみたいだし、大丈夫じゃないかな。隊員を向かわせるね」

楽しい時間に水を差されたくはなかったし、そのせいで事態を楽観的に見積もったのであった。
しかし、すぐにネーヴェは顔色を変えると、深刻そうな声音で言った。

「いや、なんだかちょっとまずいかも、これ……」


その場に急いで向かったネーヴェたちは、眉をひそめた。
ナイフと共に飛び散る血飛沫。
その血は隊員のもので、辺りには倒された隊員たちが転がっていた。
改めて侵入者を見る。
前髪の長い金髪に、頭の上にはティアラのようなものを乗せた少年。
見た目こそネーヴェより年下、おそらく8歳くらいだが、只者ではない。

「任せろ」

先に到着していたレヴィがそう言って前に出る。
彼は相手が子供だろうが容赦しない性質だ。

「待って、殺しちゃダメ!」

ネーヴェが慌てて制止する。
殺してしまったらどこの回し者なのか突き止めることが、より一層面倒になってしまう。
自分に回ってくるであろうその仕事に、冗談じゃないと思ったのだ。
レヴィの攻撃が少し逸れ、少年に直撃しなかったことにほっと胸をなでおろす。
おそらく死んではいないだろう。
と思った時、少年は血を流しながらゆらりと立ち上がった。

「流しちゃったよ、王族の血を〜〜〜!!」
「ムム、あいつ、自分の血を見て正気を失ってるね」
「幻術で止められない?」
「タダ働きはしないけど、今回だけ特別だよ」

正攻法ではこちらも向こうも無傷では済まないと判断し、幻術で意識を落とすやり方に変更する。
ようやく大人しくなった少年に、全員安堵のため息をついた。


「で、どうすんだぁ……こいつ」
「何処から来たのか突き止めなきゃ」

スクアーロの疑問に、ネーヴェは唇に指を当てて思案する。
とりあえず医務室のベッドに寝かせておいた少年を取り囲んで、幹部の面々は自然と集まっていた。
目が覚めたら、尋問するしかないだろう。

「ム、目が覚めたみたいだよ」

見ると、マーモンの言葉通り、少年は目を覚ましていた。
記憶の混乱でもあるのか、今の状況を飲み込めていない様子だ。

「一旦、私に任せてもらってもいい?」

こんなに大勢に取り囲まれたら、どうしていいか分からないだろう。
そう考えての発言だったが、幹部たちは猛反対する。
少年の凶暴さを目にした後だ。それは当然のことだろう。
しかし、ネーヴェは引き下がるつもりはなかった。
「大丈夫。なにかあったらすぐ人を呼ぶもの」と言うと、しぶしぶ全員頷いてくれた。
ネーヴェにはどこか頑ななところがあったので、今回も絶対に曲げないだろうと思い諦めたのだ。

「……廊下にいるからなぁ」

部屋から出ていく間際、そう言ったスクアーロの不器用な優しさに、心が温かくなった。


「……とりあえず、クッキーでも食べる?」

そう言って、ネーヴェは少年に手作りのクッキーを差し出した。
ひとつ目の前で食べてみせると、毒が入っていないことを分かってくれたのか、彼は素直に手を伸ばした。

「ラッキー。王子、お腹空いてたんだよね」

見たところ、もう敵意はなさそうだ。

「王子、って名前なわけじゃないよね?」
「ししっ。ったりめぇじゃん」

馬鹿を見るような目で見られた気がする。
気がするというのは、前髪に隠れて目が見えないからだ。
それからいろいろ話すうちに、彼の正体が見えてきた。
名前はベルフェゴールというらしい。
ここには入隊するために来たらしいが、ボスに会わせろと言ったら追い出されそうになったから抵抗したという。
抵抗というか、強行突破は色々まずいよ。
こんなの、ヴァリアーを襲撃しにきた刺客だと思われても仕方ない。
しかも、こんな幼い子が入隊したいなどと、門番たちが本気にしなかったのも頷ける。

「こんなこと聞くのもどうかと思うけど、親御さんたちは心配しないの?」
「しねーっつの。だって皆、殺しちゃったし」


◇◆◇


「……ということみたいなんだけど」

部屋から出た廊下に、幹部全員が待っていたことに、ネーヴェは驚いた。
皆あの子一人に警戒しすぎだ。いや、仮にもベルは暗殺部隊の隊員を数人殺ってるのだから、当然か。
そして、ベルの話した内容をそのまま伝えると、半信半疑といった反応が返ってきた。

「彼の言うこと、ホントに信じられるの〜?」
「ええ、嘘は言ってないと思う」

ルッスーリアの言葉にネーヴェがそう答えると、沈黙が訪れた。
だれも、ベルの処遇についていい案が浮かばないといった様子だ。
そこでマーモンは、なにか考えていそうなネーヴェに尋ねた。

「ネーヴェはどうしたいんだい?」

ネーヴェは濡れたように目を煌めかせると、魔に魅入られたようにうっとりと目を細める。
おおよそ幼女には似合わない、その艶のある表情は周囲にいた幹部たちをぞっとさせた。
なにかいいことを思いついたときの表情だ。

「常に攻撃の核となり休むことのない怒涛の嵐……だよ」

幹部たちの間に衝撃が広がる。
しかし、その中の誰かが口を開く前に、いち早く声を上げた者がいた。

「入隊させて即幹部にするのは、さすがにどうかと思いますが」

突然の闖入者の声を聞いて、ネーヴェはキッと眉尻を上げた。
そしてその言葉を放った相手、副隊長のオッタビオの目を見てきっぱりと言った。

「ヴァリアーは実力主義の集団です」
「彼の実力が、さっきの騒動だけで測れたとでもいうのですか?」
「ええ、そうですが何か?」

ばちばちと火花が散らす二人に、折衷案を提示したのはスクアーロだった。

「当面は、幹部候補生扱いでいいんじゃねぇかぁ? さすがにいきなりすぎると俺も思うぞぉ」
「他の隊員から不満が出てもおかしくないね」

マーモンにまでそう言われ、ネーヴェはぎすぎすした態度を和らげた。

「そういうことなら異論はないですか?」
「ええ、まぁ」

副隊長も、こんなところで揉めるわけにはいかないと引き下がったようだ。
その様子を見て、周囲はほっと胸をなでおろす。
この2人の仲が異様に悪いことは、ヴァリアー内でも有名だった。


冷めた紅茶を淹れなおす頃、窓の外には夕が広がっていた。

「あのね、ベルくんが暴走しないように、お目付け役、引き受けてくれないかな」

ネーヴェはカップに砂糖を入れる手を止めてそう言った。

「ベルくんが暴走したら幹部にしか止められないだろうし、性格的な意味で上手くやれそうなの、マーモンしかいなくて」
「追加料金でなら、引き受けてあげてもいいよ」
「えっ、う〜ん……」
「冗談さ。これで、嵐の幹部候補が決まったね」
「うん、そうだね」

そう嬉しそうに頷いたネーヴェは、あんな表情を見せたとは思えないほど普通の女の子だった。

「そういえば、雲の幹部はどうするんだい?」
「さすがに副隊長をないがしろにするわけにはいかないかなって、思ってて」
「そんなことだろうと思ってたよ」
「クーデターに参加しないとはいえ、彼のための守護者の席は空けとくべきっていうのが私の見方なの」
「まぁ、妥当な判断だね。でも、正直驚いたよ。ネーヴェは確か、彼を酷く嫌っていたはずだからね」
「本当は嫌なのだけど」


◇◆◇


「ごきげんよう」
「こんばんは、ネーヴェ・システムのお嬢さん」

噂をすればなんとやら、というものか。また会ってしまった。
副隊長のオッタビオを見上げながら、ネーヴェは無表情のまま挨拶をした。
自室に戻る途中でたまたま鉢合わせることになるとは思わなかった。
ネーヴェは、本部の機嫌ばかり窺おうとする彼にいい印象を抱いていない。
ヴァリアーは“独立”暗殺部隊。本部の顔色を窺う必要なんてないのだ。
それに彼は、ヴァリアーのことを見下している節があるようにも感じられる。
たしかにここは汚れ仕事ばかりだが、本部が綺麗な顔をしていられるのは、ヴァリアーがその闇を引き受けているからに他ならない。

彼は本部に異動になりたがっている。
これはネーヴェの予想だったが、ほぼ確信に近いものだった。

「ご機嫌麗しくは、なさそうですね。私も随分と嫌われたものです」
「自覚がおありのようでなによりです。……かねてより、率直にお聞きしたいことが」
「なにをでしょうか」
「ねぇ、副隊長さん。――――何を企んでるのかな?」

口元だけ微笑んで、首を傾げる。
彼は自分のことを所詮子どもだと油断している。
それを勘定に入れ、ネーヴェは子どもらしい振る舞いで失言を誘う策に出た。

「突然なにを言いだすかと思えば、私が何を企んでいるというのですか?」
「……覚えておいてほしいのですが」
「なんでしょう」
「ヴァリアーを害する者は殺します」

そう言ったネーヴェは確かに暗殺者の顔をしていた。
抑揚のない中にわずかに冷気を含ませた声だった。

「なにを疑っているのかは知りませんが、貴方が私を嫌っているのは周知ですからね」

対するオッタビオは落ち着いている。
これが大人の余裕だとでもいうように。
お前のようなガキに何ができる。
そんな副音声が聞こえたように感じたのは、ひとえに言葉裏に悪意を深読みしたからではないだろう。

「ボスに幼少より仕えてる副隊長さんが、私より信頼を勝ち得ているのは、当然のことです。それに副隊長さんの言うとおり、私が副隊長さんを嫌っているのも有名な話。私がいくら副隊長さんを疑おうが、確たる証拠がなければ心無い中傷だと周囲にとられても仕方がないでしょう」

少し饒舌になりすぎたか。
ちらりとオッタビオを見ると、彼は余裕を崩さずに、腹に一物ありそうな微笑を浮かべた。

「ええ。私には、なにもやましいことなどないのですから。貴女の方こそ、ボスを唆してなにを企んでいるのやら」


そのまま自室に戻ったネーヴェは、チッと舌打ちして懐に忍ばせていたボイスレコーダーを投げ捨てる。
ガキだと思って舐めやがってあのインテリ眼鏡。
かまをかけてみたが、彼はボロなどそう簡単に出しそうにない。

彼は、ヴァリアーのことなどなんとも思っていない。
今回のクーデターでの一番の心配は、彼が本部にこの計画を洩らすことだ。
ボスへの忠誠心だけは本物なのだろうから、いくらなんでもそれはないと思うが、警戒しておくに越したことはないだろう。

ただ、ザンザスと9代目の血が繋がっていないという事実を知った時、彼はどうするのだろうか。
それだけは避けなければ。
彼は確実にボスに裏切られたと感じるだろうから、なにを仕出かすか分かったものではない。

確かに、理由を知らねばザンザスの行動は不可解だ。
いずれ10代目になれるのに、わざわざこんな争いを起こして何になる、と思うだろう。
失敗した時のリスクの方がはるかに大きい。
止めようとするのもボスを思ってのことなのだと理解できるし、そこまでは疑っていない。
ネーヴェがボスを唆して不和を生ませようとしている、くらいには思われているのかもしれない。

とても、不愉快。
あの慇懃無礼な態度を思い出し、ますますネーヴェは機嫌を悪くする。
あれが、ヴァリアーの副隊長だなんて、許しがたい事実というものだ。
てっきり、スクアーロがなるものだと思っていたのに。

「手遅れにならないといいけど」

ネーヴェは誰にも言うでもなくぽつりと呟いた。