prologue


「そろそろさようならだね」
「酷い人生だったね」
「仕方ないよ、この世界は理不尽だから」
「来世はもっと楽しいといいね」
「無理だよ。私は輪廻を信じていないもの」
「人は死んだらどうなるの?」
「わからない。でも、記憶を失ってしまったら、それはもはや私ではないから。だから、私は来世の幸せを願ったりなんかしない」
「死んでも救われない。でも、生き続けるよりはマシかな」
「ううん。私、まだ生きていたかった」
「どうして?」

「この世界を愛してみたいから」

「こんな世界を愛せるの? 誰からも、愛されなかったのに? 必要とされなかったのに?」
「そんなこと、ない。パパもママも、愛そうとしてくれた。私がそれに答えられなかっただけ。
――――私が、この世界を愛せなかっただけ」


そう言って少女は、胸に大切に抱えていたアザラシのぬいぐるみを手放した。

「さようなら、私のたった一人の友達」

寂しい少女の空想ごっこに付き合ってくれてありがとう。
想像の中にしか存在しない、いままで会話していた相手に別れを告げる。
私はもうすぐ死ぬのだ。一人きりで。



最後に海を見られてよかった。
藍に沈んだこの世界は、酷く寂しい風景だ。
昔、一度だけパパとママと三人で水族館に行ったことがある。
二、三歳の頃、もう五年以上前の事だから、朧げにしか覚えていない。
思い返せる人生の中で、唯一温かい記憶。だから、私は無意識にそれを走馬燈に選んだのだろう。



その日、イルカのショーを見た私は、イルカのぬいぐるみを両親に強請った。
私が両親に物を強請ったのは、それが最初で最後だった。
だけれど、運悪く売店に行った頃には、既にそれは売り切れていたのだ。
病気の娘の願いを叶えられないと知った両親は、とても焦っているように見えた。
生まれた時から、余命を言い渡されていた私に外出する許可が出たのは、その日が初めて。
そして、きっと次がないことも知っていた。
だから、特別な日だったのだ。パパや、ママにとっても、きっとそうだった。

――――私は、友達が欲しかっただけ。

その時、棚に残っていた、白いあざらしのぬいぐるみと目が合った。
目が合った、と言うのもおかしな表現かも知れない。
ぬいぐるみ相手にイマジナリーフレンドを作り出してしまうほどには、病んでいたのは身体だけではなかったのだろう。


「選ばれないことって悲しいことね」
「選ばなかったこの世界を恨んでる?」
「ううん。私が恨んでるのは、私自身だよ」


私が生まれてきてできたことは、パパとママに悲しい顔をさせただけ。
それなら、最初から、私なんていない方がよかった。


風景は流れ、真っ白な壁に囲まれる。
私は、病院で初めてできた、自分の空想でできた友達とお話をしていた。
水族館で買ってもらったあざらしのぬいぐるみだ。

「ネーヴェは、ずっとここにいるの?」
「うん。私、治らない病気なんだって。一生病院から出ることなく、死んでいくの」
「悲しいね」
「イルカくんは、本物の海を見たことある?」
「あざらしだって何度も言ったのに、君はわからない子だね。ないよ。水族館で生まれたんだ」
「一緒だね。私も、病院しか知らないの。外に出たのは、水族館に行ったあの日だけ」
「じゃあ君も海を見たことがないんだね」
「水族館で生まれた魚たちにとっては、そこが本物の海なのかもしれない。でも、私は、本当の世界が知りたい」
「じゃあ、いつか一緒に見に行こうよ」
「うん、私がイルカくんに本当の海を見せてあげるね」



窓の外の風景は流れ、でも取り囲む白い壁は同じで。

「この子、生まれた時からずっと入院していて可哀想ですね」

深夜、病室に点滴を取り換えに来た新人のナースはそう言った。
新人に点滴を取り換える方法を指導しに来た、ベテランの看護師も一緒だ。
私は、目をぎゅっとつむって寝たふりをしていた。
起きていたら、怒られるからだ。

ああ、これは知ってる。これから先の、この二人の会話に、私はとてもショックを受けたのだ。
ナースたちの口から出てきたのは、耳を疑うような、でもどこかで知っていたような言葉だった。

「この子の両親、離婚したんですって」
「えっ? どうしてですか?」
「静かに。この子が起きるわよ。……原因は父親の浮気と聞いたけど、きっとお金絡みね」
「治療費ですか……。そういえば最近面会に来るのは母親だけでしたし、回数も……」
「でも、9年も娘の余命をあと1か月だと言われ続けたら、流石に疲れるのもわからなくはないわね」
「だからって許せませんよ」
「母親も、新しい恋人ができたみたいだけど、この子が気になって先に進めないみたいだし。
――――ほら、相手に同じ年頃の連れ子がいるじゃない。罪悪感が出て当然よね」


風景はまた巡る。私だけを取り残して。


「私は邪魔なの。この世界に初めから必要のない存在。そんなこと、わかってた」
「愛されたかったの?」
「愛されたかったよ。そして、愛したかった」
「逃げちゃおっか」
「逃げちゃおう。私が必要なのは、私だけだもの。最期に自分の願いを叶えたって、バチはあたらないよね」


私の意識は、今、海に戻っていた。

「最期に夢が叶ったよ」

あざらしのぬいぐるみは、もう私には必要ない。
余命だなんだと言われたって、自分の身体だ。
もうすぐ、本当に、心臓が止まるのがわかる。

「来世なんていらないけど」

もう一つ願いが叶うならば、あの人ともう一度お話がしたい。
――――夢の中で会ったあの人と。


その時、私の手にともったのは、暗くて悲しい夜のような炎。

「君の願いを叶えよう」

どこからか、そんな声が聞こえた気がした。



◇◆◇



「と、まぁ、おしゃぶりの継承を取り仕切っているのが私たちってわけなんだけどぉ、理解したぁ?」
「トゥリニセッテ……? おしゃぶり……?」
「物分かりの悪い子の面倒なんて見てらんなぁい! 繰り返さないわよぅ」

そう私に言ったのは、自らをハートと名乗った知らない女の子だった。
肩口で切りそろえられた白い髪に、深紅の瞳。15、6くらいに見える。
甘ったるく煽るような口調で、私に対するイラつきを隠さないが、説明自体は丁寧だ。

でも、私は彼女の話を全く理解出来ていない。
ただひとつ理解できたことは、私に“この星を守るために生贄を捧げる”という使命が与えられたのだということ。
スケールが壮大で、現実味のない話だ。

――――おしゃぶりの継承を管理する者。

チェッカーフェイスの手足となる4人の存在を、それぞれトランプのスートになぞらえて呼んでいる。
私はその、ダイヤの席に選ばれたのだと、少女、ハートは言う。

「スペードは今のところ欠番、クラブはとっくの昔に排斥されたけどね。どの時代も4人いるわけじゃないのよぅ」
「じゃあ、私たち二人だけ……」

そう言いかけると、ハートはキッとこちらを睨んだ。

「ハートだけで十分。もう何百年もそうだったんだから」
「私は要らない子なの?」
「当たり前でしょ。チェッカーフェイス様のお役に立つのも、ご寵愛を受けるのも、ハートだけでいい。邪魔だけはしないでよね」

ぴしゃりとそう言われてしまい、容赦のない言葉に心臓が波打つ。
私は、ここでも要らない子なんだ。


――――否、そうではなかった。
一度たりとも、私にはっきりとそう言った人なんて今までいなかった。

「迷惑ばかりかけて、ごめんなさい」

脳裏に浮かぶのは、そう言って泣いた私への母の言葉。

「謝らないで頂戴。貴方は生きていてくれるだけでいいの」

そう微笑んだ母親は、無償の愛を私に惜しみなく向けてくれていた。

重かった。
愛が重かった。
私は心のどこかで、存在を否定されることを求めていた。
嫌いだった。愛されたのに愛を返せない自分が。

――――ああ、いっそ今すぐ死ねと言ってくれたら私は、私の心は救われるのに。



黙り込んだネーヴェを、ハートは冷たい目で見降ろすと口を開いた。

「それが嫌なら、ババじゃないことを証明しなさい」
「どうやって?」
「日没までに、各分野最強の七人の居場所を探し出すこと」



◇◆◇



「チェッカーフェイス様、どうして、あんな子を……?」
「運命の日には必要な子だ」
「私一人でも、立派に成し遂げて見せますのに。ハートでは不足ですか?」
「君はよくやってくれている。だが、時には役割分担も必要だ」
「チェッカーフェイス様がそう仰るのなら」
「ダイヤを頼んだよ」
「はいっ」

チェッカーフェイス様のご命令でなければ、こんな雌ガキの面倒なんて見てやらないのに。
そう思って、ハートはギリッと奥歯をかみ締めた。

しかし、あることを思いつくと、ハートは口角を上げた。
いや、むしろ、比較対象がいることで、私が如何に有能なのかをチェッカーフェイス様に示すチャンス。

――――ダイヤには、私の踏み台になってもらおう。

もうすぐで、期限の日没だ。
おしゃぶりを持つ者の選定・監視をする役割を持つダイヤがこの課題を成し遂げられなけらば、ダイヤとしての資質を否定できる。

そして、つい数刻前に得たばかりの力を使いこなすなど、あんなガキには到底不可能。

そう思っていたのに。



「見つけたよ、“選ばれし七人(イ・プレシェル・ティ・セッテ)”」
「!」

そう言って、ダイヤがハートに差し出したのは七人分の個人情報。
床に広げられた地図には、属性別に色分けされたマチ針が刺さっている。
全世界から、特定の条件の人物を探し出せるほどの探知能力……まるで初代ダイヤの再来だ。

「使える」

そんな言葉が思わずハートの口から零れるほどに。
ネーヴェにはダイヤたる資質が秘められているのだと認めざるを得なかった。

そしてハートはこうも思った。
この子ならもしかしたら、私がずっと探している奴を見つけ出すことができるかもしれない、と。



これが、ネーヴェがダイヤとして生まれ変わった日の物語。
そのあとすぐに、チェッカーフェイスによって行われた運命の日。
それから十数年もの時が流れ、ネーヴェはボンゴレ独立暗殺部隊ヴァリアーにいた。


apertura...