今日が編入初日。
校門の前で立ち止まった私は、今日から新しく通うことになった校舎を見上げる。
そんな私を追い抜いて行く生徒達は、さすがアイドル科の生徒だと思えるほどに整った造形をしている。
思わず、感嘆ではなく落胆のため息が零れた。
この中に入るなんて、自虐も甚だしい。
この校舎に通う人たちと自分とでは、住む世界が違う。まさに月とすっぽん。
私は本来、ちゃんと入試をクリアした音楽科の生徒だったはずだ。
(なのに、突然アイドル科に編入なんて)
確かに、将来芸能界入りするかもしれない人との人脈は重要と言える。
ピアニストを目指しているといえど、ピアノ一本で生きていくには難しい。
自分が表に立つ演奏だけでは食べていけるはずもない。
そのため、バックミュージシャンの仕事もとってこなければならないのだ。
バックミュージシャンは、太陽があって初めて輝く月のような仕事。
当然のように人脈は必要だろう。
ピアノ以外に取り柄のない私が自分を見失わないためには、ピアノに縋って生きていくしかないのだから。
かといって、私なんかがアイドル科に行ったところで友達ができるとも思えない。
(……なんでこんなことに)
二度目のため息が零れる。
だめだ、幸せが逃げる。もう逃がす幸せも持ち合わせていないけれど。
『――全然ダメダメ。貴方の音は決定的なものが欠落している。この学園の音楽科生徒としてのスタート地点にも立てていないわ。出直していらっしゃい』
入学早々自らの師にそう門前払いされ、アイドル科に編入させられた。
だから人脈どうこうは後付けで、自分を納得させたに過ぎない。
私はわかり易くショックを受けたものの、もうどうにでもなれという諦念が大半だった。
師にも何か考えがあるのだろう。はかりかねるものの。
(アイドルになれとでもいうのだろうか。私に)
それはないと断言できる。私ほどアイドルに不向きな人間もそうそういないだろうし。
パッとしない容姿。なにより個性というものが薄い。
しかし、それを変えるつもりは微塵もないし、その必要もない。
私が目指しているものはアイドルではないからだ。
個性なんてものは、集団の中に溶け込むためには邪魔なだけ。私はそれを経験則で知っている。
師はああ言っていたけれど、見捨てられたなんて思いたくなかった。
私に足りないものがアイドル科にあるというのならば、それを見つけなければならない。
一刻も早く。
「ちょっと、そこの庶民。邪魔なんだけど」
後ろから聞こえた可愛らしい声に、校門の前で突っ立っていた私ははっと我に返った。
「ご、ごめんなさい」
「まったく、ボクが通るんだから道を開けなよね」
急いで振り返った先には、可憐な少女と見まごうべき少年がいた。
アイドル科は男子ばかりと聞いているから、この子も男の子なんだろう。
(別に、道を塞いでいたわけではないのだけれど)
そんなことは口に出さずに、私はさっと道を譲り、隅に寄った。
編入して早々、変なトラブルは御免だ。
「わかったら、今度から気をつけるんだぞ」
どうやら私は許されたようだった。
しかし、あの自尊心に満ち溢れた態度はアイドル故なのだろうか。
だとしたら、これから先行き不安でしかない。やっていける自信がなくなってきた。
可愛らしい少年の後ろに控えた青年が、こちらに目線で軽く会釈をしてきたので、私も会釈して返す。
少年の分と思しき荷物も持っていたので、付き人のような感じだろうか。
彼らの後姿を見送ると、ほっと胸をなでおろした。前途多難だ。いろいろと。
「まったく、避けて通ればいいものを。大丈夫でしたか?」
「えっあ、はい」
立て続けに話しかけられて、反射的に返事を返した。
「驚かせてしまったようですね、lady。ところで、先ほどからそちらで立ち尽くしていらっしゃるのは、何かお困りだからなのでは?」
ワインレッドの髪に、紫水晶のような瞳。
何よりその綺麗な顔をまともに直視してしまって、免疫のない私は咄嗟に目線を落とした。
「大丈夫、です……」
心臓に悪い。アイドル科は美形しかいないのか? そりゃアイドル科だから当たり前か。
「女性の方、ですよね。普通科の方でしょうか? どなたのfanかはご存じありませんが、先生や生徒会の方々に見つかる前に戻った方がよろしいですよ? お節介を申し上げるようで恐縮ですが」
丁寧すぎる言葉遣いにここまで低姿勢な接し方をされると、こちらが恐縮してしまう。
「ごめんなさい。私、今日からアイドル科に編入してきました」
思考が空回りして、上手く説明できなかった。ただ、普通科のストーカーだという誤解だけは解きたかった。
「なぜ謝るのです? いえ、こちらこそ失礼な勘違いを致しました。申し訳ございません」
その言葉と共に紳士的な微笑みを受け止めた私は、少し冷静になる。
彼は努めて事務的なのだ。そこに他意はないのだろう。
(これでは勘違いしてしまう女子も多そうだけれど。きっと大変だろうな)
初対面の彼に少しだけ同情してしまう。それこそお節介も甚だしいのだけれど。
「ご心配くださりありがとうございます。本当に大丈夫なので気にしないでください」
彼の作ってくれた心の壁に、少しだけ余裕のできた私は微笑みで返した。
「そうですか。ならよろしいのですが、案内などは必要ありませんか?」
「はい」
迷いなく断った私は、本当に可愛げがないと思う。
私は、私のせいで迷惑を掛けているという感覚がどうにも好きではない。
なにより、初対面のこの人にこんなに親切にされる理由がない。
「そうですか、それではまたどこかでお会いしましたら」
「はい、そうですね」
ぎこちなさを覆い隠すように微笑み合った私たちは、別々の方向に向かって歩き出す。
まずは保健室に来るように言われていたのだった。
少しくらい迷おうが、時間には余裕があるし大丈夫だろう。
やけに自尊心に満ち溢れた人と、やけに物腰低く紳士的な人。
今朝遭った人たちは全くの対局だった。アイドル科ってますますよくわからない。
◇◆◇
気が付けばなぜか、校門の前に立ち尽くした少女に目を奪われていた。
思考の海を漂うようにぼんやりと宙を見、時折溜息を零すその姿に。
シュシュでまとめられた黒髪に隙のない制服の着こなしからは、まじめで大人しい印象を受けた。
アイドル科によく来る追っかけのような子たちとは明らかに違うタイプだ。
しかし、校門の前にいるということは誰かを待っているのだろう。それはつまりそういうことだ。
憂うように長い睫毛が影を落とすその瞳に、浮かぶのは諦めや自虐にも似た感情。
彼女の脇を、他の生徒たちは一瞥もくれず過ぎ去っていく。
話しかけてみようか。
なにより影からじろじろみるなんて失礼であるし、自分の信条に反した行いだ。
そう考え、彼女に近づきかけた時、ちょうど聞き覚えのある声が彼女に話しかけた。
「ちょっと、そこの庶民。邪魔なんだけど」
姫宮桃李。
自分と同じクラスの彼は、学園を牛耳る生徒会役員にして学園最大の人気を誇るユニットfineのメンバーだ。
それにしても、その権力を笠に着た態度は毎度目に余るものがある。
彼女はそんな彼のことを知ってか知らずか、特に何も言うことなく道を譲った。
彼も避けて通ればいいものを。彼女は別に、邪魔になる程道を塞いでいたわけではないのに。
彼のことだから自分が通る時は皆道を開け、頭を垂れるのが当たり前とでも思っているのだろう。
クラスメイトながら、そういうところのある彼のことは快く思えなかった。
彼らの後ろ姿を見送った彼女に、今度こそ話しかける。
「まったく、避けて通ればいいものを。大丈夫でしたか?」
「えっあ、はい」
小さく彼女の肩が跳ねる。突然話しかけたことで驚かせてしまったようだ。
「驚かせてしまったようですね、lady。ところで、先ほどからそちらで立ち尽くしていらっしゃるのは、何かにお困りだからなのではないでしょうか?」
ついいつもの癖で、一般の方が聞き取りにくいという英単語が混ざる。
彼女は単に気付かなかったのか、それとも気にしない性質なのか怪訝な顔一つしなかったけれど。
「大丈夫、です……」
返事は歯切れの良いものではなかった。やはり、なにか困りごとがあるのではないだろうか。
たとえば今まさに、ここにいることを指摘されていることとか。
「女性の方、ですよね。普通科の方でしょうか? どなたのfanかはご存じありませんが、先生や生徒会の方々に見つかる前に戻った方がよろしいですよ? お節介を申し上げるようで恐縮ですが」
ついでに、姫宮桃李がし忘れていった仕事をしておく。恩に着せるつもりは微塵もないけれども。
しかし、彼女は予想に反してこう言った。
「ごめんなさい。私、今日からアイドル科に編入してきました」
「なぜ謝るのです?」
つい、疑問が口をつく。文脈がおかしい。言葉通りならば、彼女が謝ることなんてなにひとつない。
でもこれでは彼女をますます萎縮させてしまう。謝らなければならないのは私の方だ。
「いえ、こちらこそ失礼な勘違いを致しました。申し訳ございません」
そう言って安心させるように微笑みかけると、彼女は緊張を解いたようだった。
それを見て、どこかホッとしている自分がいる。
「ご心配くださりありがとうございます。本当に大丈夫なので気にしないでください」
そう微笑みを見せた彼女に対して、壁を感じた。
丁寧な言葉で、柔らかな微笑みで他人をシャットアウトする。彼女本人は無意識のうちに、かもしれないが。
自分に似たところがあるような気がして、心の底の歪んだ正義感がくすぐられる。
「そうですか。ならよろしいのですが、案内などは必要ありませんか?」
きっと彼女は断るだろう。そして、その予想を裏切られることはなかった。
「はい」
彼女は微笑みを崩さないままはっきりと拒絶を示した。
言葉から推察できる彼女の内面に好感が持てる。
随分な自虐趣味だ。きっと彼女は、他人に頼るという選択を無意識に回避しているのだろう。
「そうですか、それではまたどこかでお会いしましたら」
そんな彼女に対して、私は慈しむように目を細める。
「はい、そうですね」
どこかぎこちなさを残した彼女の微笑みに得も言われぬ満足感を抱き、教室を目指して歩き始める。
この時はまだ、彼女が自分のクラスに編入してくることなど想像もしていなかった。