02


地獄に生まれるとは、こういうことなのだと思う。
母親は貧民街の娼婦で、ドラッグ中毒だった
最初は客の一人に押し付けられたらしい。
ヤクをキメながらヤるのは気持ちいいというが、依存するに至った経緯はきっと心因性のものなのだと思う。

貧民街での生活環境は最悪だった。
そのため、安堵感をもたらすか、精神的、肉体的な負担を軽くしてくれるような薬物から、母が離れられなくなったのも当然かもしれない。
不安定で不確かな環境の中、私は育児などまともにされずに育った。
逆に私が、母親の世話をしている有様だった。

そんなある日、借金で首が回らなくなった母親は私を売った。
たった7歳の時のことだった。

その話を持ち掛けたのは、とある大金持ちだった。
どうやら、私の雪のように白い肌と髪が気に入ったらしい。

普通に考えてそんなことはあるはずがないのだが、この時に少し希望や期待も抱いた。
酷い環境のヒロインが、お金持ちの王子様に見初められ救われるという夢物語を思い出したのだ。

実際、その家に迎えられた私は、高そうな白いワンピースに着替えさせられた。
温かいベッドもご飯もそこにはあった。
そういう面では、大事にされていたのだと思う。

しかし、その場所で私は、この世の地獄には底がないのだと気付く。
ご主人様は幸い、私の処女性を特に好んでいたから、犯されることはなかった。
ただ、彼の異常な性癖は、ロリータコンプレックスにはとどまらなかった。

ある日、ナイフを握らされた私はご主人様にこう告げられたのだ。

「殺しなさい」

目の前には、身動きが取れないように縛られた幼い女の子がいた。
なんの冗談だろうとご主人様を見ると、どうやら本気で言っているのだということに気付く。

「できないなんて言わないだろう。最初だから、殺りやすいよう特別に縛っておいてあげたんだ」

狂っている。

目の前の子は、下手をすると自分より年下。
こんな目に合うために生まれてきたわけではないだろうに。可哀想に、泣きながら震えることしかできないでいる。

「ごめんなさい、ご主人様。できません」
「は?」

私が必死に喉の奥から絞り出した言葉に、ご主人様は低い声でそう唸った。
その怒りに、ヒッと喉の奥がひきつる。

「じゃあ、いいよ。君がその子と代わるなら」

ご主人様のその言葉に、目の前の女の子が期待に満ちたまなざしでこちらを見る。

「ごめんね」

結果、苦悩の末、私は自分の命を優先してしまったのだ。
ご主人様は、この地獄絵図の中『理想の少女だ』と喜んでいた。

こんなことが幾度も幾度もあり、私は殺されることも傷物にされることもなく15歳まで生きた。
飽きられないように媚びを売って、他人の命を踏み台にしながら、のうのうと。

ところで、15歳は重要な数字である。
ご主人様は、少女にしか興味がない。そろそろ飽きられ捨てられるのは確実だといえた。
私は殺されるか、きっと娼館に売られてしまうのだろう。
母みたいになるのは嫌。
でも、当然の報いだと思った。今まで踏みにじってきた人生を差し置いて、私だけが幸せになるなんて許されない。

でも、私に何ができたというのだろう。
こんなの生まれた時から、まともな人生が送れないのは確定しているようなものじゃないか。
この世界は、全員に平等に優しくない。

「あれ……なに、これ……」

突然、両手から吹き出し始めたどす黒い色の炎を見て、私は気を失った。


朝、目が覚めると、ご主人様を含めその邸にいた者全員が首を吊っていた。
後で知ったのだが、それは、私の精神操作の能力が目覚めると同時に暴走したからだった。
驚いて邸を飛び出した私は、森を抜けられずにさまようこととなる。
『酷い人生だったなぁ』と呟き、死を予感したその時だった。

「誰……?」

人の気配を感じて、私は頭を上げる。
目の前に、見慣れない服装に眼鏡をかけた人物が立っていた。

「やあ。アタシの名前はそうだね……川平のおじさん、とでも呼ぶといいよ」
「カワヒラ……?」

聞きなれない言葉の響きに、この人は外国人なのだろうと考える。

「君の名は?」
「クオレ」
「そうか。クオレちゃん、アタシと一緒にくるかい?」

その言葉に、警戒しなかったわけではなかった。
人を信じるなんて、何より愚かなことだ。
しかし、このまま手を取らなければ、私に未来はない。


◇◆◇


「クオレ」
「はい、チェッカーフェイス様」

私を救った川平のおじさんには、もう一つの顔があった。
それは、チェッカーフェイスという名の、鉄の帽子と仮面を被った姿をしている。
彼に拾われてから、こんなに人に優しくされたことがなかった私は戸惑いつつも気を許し始めていた。
私の名を呼んだ彼から、その言葉の続きを待つ。

「100万人が乗っている船と、10人が乗っている船。両方ともが沈みかけていたとしよう。そして、どちらか一方しか助けられない。君はどちらを助ける?」

突然の謎かけに、私は悩みつつもこう答える。

「100万人が乗っている船、ですかね」
「どうしてそう思うんだい?」
「悩んでいる間に、両方沈んでしまいます。それなら私は、数の多い方を助けます」

その答えは、彼にとってどう感じられたのだろうか。
彼は少し考えるような仕草をした後、こう続けた。

「ふむ、必要な犠牲なら、ということか。では、10人の船に君の大切な家族、友人、恋人……なんでもいい。そのような存在が乗っていたとしよう。それでも答えは同じだろうか」
「……私には、大切な人がいないのでわかりません」

私はその答えを持たなかった。
けれど、私はずっと聞きたかったことを聞くなら今だと思った。

「チェッカーフェイスさまは、どうして私を助けてくれたのですか?」

私というたった一人の存在を、彼は助けてくれたのだ。
彼にとって、大切な家族、友人、恋人……それらにはもちろん当てはまらないにも拘わらず。

「助けられる命であれば、助けたいと思うのは当然のことだと思うがな」

そう言ったチェッカーフェイス様の言葉は、本心なのだろう。

「先ほどの船の話だが、私がしているのはそういうことなのだ」

彼がアルコバレーノの話をしてくれたのは、この時だった。
この星を守るために、7人を犠牲にする。
こんな汚れ役を買って出て世界を守ろうとするくらい、このお方は、本当に……。

「私にも手伝わせてください。手伝いたいんです」

貴方がその仮面を被らなくてよくなるまで、私も共犯者として傍に居たいと思った。
私はその時、今までの人生を捨て、この先全ての人生を貴方に捧げると誓った。
そしてある日を境に、私はハートと名乗るようになったのだ。


◇◆◇


懐かしいことを思い出していた。
ハートは、これが走馬燈とならぬよう願うばかりであった。

バミューダは代理戦三日目の最中、ワープホールを使ってリボーンと沢田綱吉を誘拐した。
彼らが向かった先が、ハートには分かっていた。
その場所で、いままで大勢のアルコバレーノを看取ってきたのだから。

予想通りその場所に彼らはいた。

「僕の誘いを受けようが断ろうが、どちらにせよ君の行く末は地獄だ」

バミューダがリボーンに言った声が、聞こえてくる。
もう、リボーンと綱吉には代理戦争の真の目的を知られたようだった。
ここまで知られてしまえば代理戦争は続行できなくなるだろう。
別の方法で、アルコバレーノを決めるべきだろうか。

今ならバミューダと一緒にいる復讐者は一人。
ようやく巡ってきたチャンスだ。
傍にはネーヴェもいたが、彼女に関しては大した脅威でもないだろう。

これ以上、バミューダにチェッカーフェイス様の邪魔はさせない。
鉈を手に鋭く光らせると、深呼吸を一つした。

「いつぶりかしらぁ、バミューダ。お互い生き過ぎたわね」

冷静を装って声を掛けると、5人の視線が一斉にこちらを向いた。

「君は! 未来で川平不動産にいた……!!」

最初に声を上げたのは、沢田綱吉だった。

「あいつは何者だ?」
「チェッカーフェイスの手駒の一人だよ。彼女とは少し因縁があってね」

リボーンの疑問に答えたのはバミューダだ。
その“少し”の因縁がある場所で再び相まみえることになった2人は、殺気を張りつめて対峙する。

「絶対に知られてはならない秘密を、よくもこんなにペラペラと喋ってくれたわねぇ」
「プハハ、来るのがちょっと遅かったようだね」

そう言って煽るバミューダに、ハートは負けじと煽り返す。

「ただの死に損ない如きに、チェッカーフェイス様の“真の”遣いであるハートちゃんが負ける気がしないわぁ」
「強がりはやめたほうがいいと思うけれど」

そう横から静かに言い放ったのは、ダイヤだったはずのネーヴェだった。

「ふふっ。お前さぁ、なぁにしれっと裏切っちゃってんの?」

それに、ネーヴェはなにも答えない。

「何吹き込まれたのかは知らないけどぉ、もう敵なんだからそんなことはどうでもいいわぁ」

彼女は裏切った。その事実以外に興味はない。

「こ、これ、どういう状況ー!?」
「仲間割れみてえだな」

話についていけていない沢田綱吉とリボーンは、思い思いの反応を見せる。
そんな彼らに構わず、ネーヴェは静かに続けた。

「勝てないよ。勝てるわけない」
「そうかもしれないわねぇ」
「どうして……、なんで怖くないの? 圧倒的力の差を前にして、どうしてそこまで……」

どうして? そんなの決まっている。

「チェッカーフェイス様を愛しているから」
「……そんなの愛じゃない」

鋭い視線でハートを射貫いたネーヴェは、何を考えているのか思いつめたような表情をしていた。

「ネーヴェくん、彼女は僕に用があるんだ。少し引っ込んでてもらえるかな」

そんな2人の会話を遮ったのはバミューダだった。
ハートはゆらりと手の中の刃物を構えると、バミューダと復讐者に切り掛かった。

ショートワープ、ショートワープ、ショートワープ。

その繰り返しで、復讐者の鎖を避けては攻撃を繰り出す。
息をつく間もない目の回るような攻防に、周りの者は目が付いていかない。

「ふふっ、途中で補給が必要な彼より、私の方が強いわよぅ? どうするの? バミューダ」
「どうかな」
「今は代理戦争中じゃないから、貴方は呪解できないでしょ?」

そう言った時、後ろから勢いよく伸びてきた鎖が首にぐるぐると巻き付いた。
宙に吊り上げられた時に、ようやく攻撃の主に気付く。
鎖はネーヴェの影から伸びていて、彼女はくすくすと笑っていた。

「お、まえ……っ」

ここで手を出してくるなんて卑怯だ。
首をギリッ絞められて、目の前が霞む。
ああ、これは、しくじったな……。

(ごめんなさい。チェッカーフェイス様……)

「あら、残念。ここ、祈りの言葉は圏外なの」

そう言ったネーヴェの目を見て、ハートは『まさか』という顔をした。
ネーヴェにこんなことができるはずがない。
じゃあ、こいつは……!

パアァァアン!!

不意に、硝子を叩き壊したような音と共に、ハートの首を絞めていた鎖は粉々に砕けた。
ネーヴェは『あら?』という顔をすると、その場に立ち込め始めた霧にスッと目を細める。
霧の中から現れた男が、ハートの身体を抱きとめていたのだ。

「おっと、アタシの可愛い子に手を出すのはやめてくださいねーっと」
「誰だっ!!」

いち早く反応したのはバミューダだった。
彼は、こちらのチェッカーフェイスの姿は知らないのだろうか。

「か……わひら、さま……?」

酸欠による生理的な涙で滲んだ視界の中、ハートが見上げた彼の表情は見たことないほど真剣だった。

「くすくす、とんだ邪魔が入りましたか」

嗤うネーヴェを一瞥した後、チェッカーフェイス、もとい川平はハートに向かって諭すようにこう言った。

「ハートちゃんは、もっと自分を大事にしなさい。アタシのものだというのであれば、尚更ねえ」
「〜〜〜〜っ! はいっ!」

頬を染め、心奪われたようにそう答えたハート。
またしても濃い霧によって視界が奪われた一瞬の隙に、彼らはいなくなっていた。



「くすくす、あーぁ逃げられちゃいましたね」

取り残された者たちは、ネーヴェのその声で我に返った。

「リボーン君、仲間に加わるかどうかは次の代理戦開始の時に聞くよ。出口は向こうだ。炎をくぐればいい。じゃあね」

バミューダは、まだ残っていたリボーンと綱吉の方に向かってそう言うと、夜の炎のワープホールに入っていく。
ネーヴェもそれに続くと、バミューダに向かってこう言った。

「バミューダ、貴方の悪癖も相当なものです」
「今はネリーだね」
「彼は加わりませんよ。おそらく、ですが」

そう言ったネリーに、バミューダはぴくりと反応した。

「君は、ヴァリアーに行ったはずだったよね。なぜ、奴らの時計は壊れていない」
「壊せませんでしたもの」
「わざと見逃したんじゃないだろうね」

悪びれもせずにそう言ったネリーに、バミューダはそう揶揄うように言う。
しかし彼女は、『まさか』と言うふうに、くすっと笑った。

「貴方は、私に手を出すことを禁じました。私は、夜の炎の補給のため同行しただけです」

『チェッカーフェイスに復讐するのは我々だ』とは、バミューダ自身が言った言葉だ。『君は手を出す必要はない』とも。

「くすくす、責任転嫁はよしてください。あっさり幻術に惑わされた、あなたの復讐者が無能だっただけではないのですか?」

不穏な空気が漂いかけるも、先にため息を吐いて折れたのはバミューダの方だった。

「無益な言い争いはやめないかな。君とはうまくやれるはずだからね」
「ええ、わかりました」

きっと、明日で代理戦争は決着する。彼らは復讐を遂げるのだ。さぞかし楽しみであるのだろう。
ネリーはまた、くすくすと笑った。