マーモンの言葉を『嘘』だと言ったネーヴェは、真っ青だった。
まるで、なにか妄想にでも憑りつかれたかのようにその視線が揺れている。
「そんなこと言わないで……。好きって、言わないで……」
「まだわかっていないみたいね、ネーヴェが本当に失ったものを」
そう言ったのは、鎖に囚われたままのネリーだった。
ネーヴェの中からは、幸福な記憶だけがなくなっている。
だからこそ、自分の中でマーモンの好意の言葉を裏付けることができない。
――――拒絶された記憶だけしか残っていないからだ。
『好きじゃない』と言われた記憶だけが、くっきりとある。
半面、一緒に過ごした、楽しかった、幸せだった記憶はない。
そんな中で、唐突に『好き』と言われて困惑しているのだ。
結果。
そんなネーヴェが導き出した結論。
それは、自分を連れ戻し、指輪を外させるためだけに言っている言葉だということ。
もしくは、自分が指輪を使ってマーモンに好かれることを望んだから、その願いが叶ったのだということ。
純粋に信じることができない。
確信なんて持てるはずがない。
恋い焦がれる者からの、心にもない『好き』という言葉は残酷だ。
望まない言葉を無理やり言わせるなんて、もっとやりたくないことだ。
ネーヴェは、もう、何が何だか、自分が何をしたいのかわからなくなっていた。
(帰りたくない。帰したくない。好き。愛してる。ごめんなさい。好きになってごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい)
いつの間にか、ネリーは自らを縛る鎖を解いていた。
そして、マーモンの後ろから手を伸ばすと、その背に身体を寄せる。
「気付いてなかったのかもしれないけれど、ネーヴェはちゃんとあなたの言葉に傷ついていたの」
悪魔のような凄絶な笑みを浮かべて、ネリーは囁いた。
「くすくす、ネーヴェをそこまで追い詰めたのはあなたよ」
「っ……」
瞬間、その気持ち悪い体温を、遠慮も何もない力で振り払う。
――――知っていた。
そんなの、わざと傷つくように言葉を選んでいたのだから当然だ。
ネーヴェが自分の言葉に傷つくたびに、優越感のようなものを抱いていたのだ。
彼女が間違いなく自分の事が好きなんだということを、確認することができるから。
それが酷く歪んだ行為だったことに、今更気付いたとしてもう遅い。
『あとで後悔しても遅いわよ』と言ったルッスーリアの言葉を思い出す。
もう、取り返しのつかないところまで来てしまってからそんな言葉、ただの皮肉でしかない。
届かない。
嘘じゃないのに。
僕の言葉で一喜一憂する姿が。
僕の反応を窺って、必死に喜ばせようとする姿が。
馬鹿みたいに尻尾を振って、後ろを付いてくる姿が。
――――好きだった。
無条件に好かれていることへの安心、信頼。
形容するならば、ネーヴェへの気持ちはそんなものだった。
それは全部、今の彼女にはないものだ。
けれど。
それでも。
「馬鹿じゃないの! ちょっとは自分の好きな相手を信用しなよ!!」
ネーヴェの肩を掴んで、自分の方を向かせる。
彼女が驚いて声を上げたような仕草をした。
「…………」
声を出そうとしているにもかかわらず、声が出ない。
そんな様子だった。
「ネーヴェ……?」
「……まさか、声を失ったの?」
ネリーの指摘にハッとする。
いつだ?
まさか、さっき――――
「ネーヴェ、…………」
『好き』と紡ごうとした声が、音にならずに空気に溶ける。
指輪が、彼女の“声”と引き換えに願いを叶えたのだ。
僕に『好き』と言わせたくないという願いを。
「くすくす、あはははははっ、くだらなすぎて傑作だわ! なんて面白いの!」
「うるさいよ」
品性も欠片もない笑い声を上げるネリーにマーモンが突き刺したのは、懐に入れていたナイフだった。
もういろいろと限界だった。
ネーヴェが、これ以上何かを失う前に、ここから出なければ。
「こんなことしても、私は消えないのにね」
そう言ったネリーは、次の瞬間、目を疑った。
マーモンはネーヴェの腕を引き寄せると、彼女の唇に自分の唇を重ねたのだ。
◇◆◇
「戻ってきたね」
そうチェッカーフェイスが言った途端、ワープホールを中心に夜の炎が渦巻く。
それが収まった時、そこにはマーモンとネーヴェの姿があった。
ネーヴェが願いの効力がなくなったのか、戻ってこられたようだ。
「よかった、2人とも無事で」
そう言った沢田綱吉は、器を破壊されたにもかかわらず、相変わらず甘い男だ。
ネーヴェは、その優しい言葉に面食らったようにわたわたとした後、感謝の意を込めてぺこりと頭を下げる。
「声を失ったんだ」
その様子を見て、そうマーモンが補足した。
「で、ネリーは……」
ドンッ
傍にいたマーモンを突き飛ばしたネーヴェは、もうネリーに入れ替わっていた。
「くすくす、ただでは消されない。こんなの許さない。私は運命に復讐する。復讐してやる」
そう呟きながら彼女は、ふらふらと足元も覚束なく、ただ怒りと執念のままに言葉を紡いでいた。
「ネーヴェもきっと私のように運命を呪うわ。そうでなくては。そうでなくてはいけないの。然様なら、皆様……
――――指輪を外せばネーヴェは死ぬ!!!」
そうネリーが叫んだ声に呼応するように、指輪が煌いた。
命の最後の火が消える瞬間パッと光を散らすように。
それはすぐに収束した。
「ネーヴェ!!」
ドサッと地面に崩れ落ちた彼女は、気を失っている。
マーモンは、すぐさま近寄ったものの、呪われた姿では彼女を抱き起すことも出来なかった。
一連を見ていたチェッカーフェイスは、まるで納得したようにこう言った。
「ネリーは完全に消えたね。ここまで追い詰められてようやく、指輪を自身の力で使ったか」
「ムムッ、こうなることをまるで分っていたような言い方だな」
「ネリーを完全に消すにはこの方法しかなかったのでね」
ネリーは、後一度の指輪の使用で、自分の全てが消えてなくなることに気付いていた。
それでも、全てを失ってでも使ったのは、ネーヴェが幸せになることを許さなかったのだ。
そして、これはネリーにとっての最後の賭けでもある。
ネーヴェが、ネリーのように『この星が滅べばいい』と願うこと。
それをその指輪を使って成し遂げること。
「そうだと分かれば話は早い。彼女を渡してもらえるかな」
そう言ったチェッカーフェイスに不穏な空気を感じて、マーモンはネーヴェを庇うように前に出た。
「ネーヴェをどうする気だい?」
「願うことを自発的にやめることができる人間はいない。彼女は今、取り扱い注意の制御不能の爆弾だと言ってもいい」
「……殺すつもりだね」
チェッカーフェイスは、肯定しなかったが、否定もしなかった。
つまりはそういうことなのだ。
大体彼は、少数の犠牲で済むならば、それを是とする立場だ。
ネーヴェひとりの命が、全ての人間の命を脅かすのならば、彼にとっては比べるまでもないのだろう。
けれど。
「マーモン君、そこをどいてくれるかな?」
「待ってください。チェッカーフェイス」
そう彼を引き留めたのは、予知能力のある巫女であり、チェッカーフェイスと同じ種族の子孫であるユニだった。
「彼女は大丈夫です。あなたの懸念しているようにはなりません」
チェッカーフェイスは、しばらくユニの目を見つめていたが、何かを理解したらしくため息を吐いた。
「……ふぅ、ユニが大丈夫だというなら大丈夫なんでしょう」
そう言った彼は、もうチェッカーフェイスではなく川平のおじさんに戻っていた。
眼鏡を光らせた彼は、呑気にこう言う。
「でも、どうするんだい? このままだと1人呪いが解けないけど」
「そうだったー!!」
そう頭を抱えて綱吉は叫ぶ。
しかし、彼はなにかを思い出したようにすぐに声を上げた。
「あっ、そうだ! 未来の世界でのことを考えると、少なくとも10年くらいは今のまま持つはずだよね。待ってほしいんです。今のおしゃぶりが寿命を迎えるギリギリまで」
そう言った綱吉が、真剣な表情でこぶしを握る。
タルボは、あの後一命を取り留めたが、目を覚まさないらしい。
しかし、優秀なメカニックと天才科学者がいるのだから、きっと器の再現は不可能ではないはずだ。
「仕方ないね。もし、間に合わなければ、現アルコバレーノ1人は犠牲になってもらわなきゃいけなくなるけど、おしゃぶり1つくらいならその後はアタシが管理していけるわけだし、問題ないだろう」
「ありがとうございます!」
希望はまだ残っている。
こうして、長かった代理戦争は終幕を迎えたのだった。