前略、自殺した。
それは年の瀬、クリスマス休暇中の出来事だった。
他の生徒たちが、帰省先の家族とクリスマスケーキを囲んでいる最中。
クリスマスツリーのネオンが街を彩る頃。
帰省せずホグワーツに残っていた私は、窓にちらちら映る雪の眩さに鬱屈し、寮室のカーテンを全部締め切った。
冷気は窓にかけられた魔法で遮断されているが、だからと言って、変わり映えのしない景色を見続ける気にはどうやってもならない。
ほとんどの生徒がいなくなったこの城は、耳鳴りがしそうなほど静かだ。
共同生活のストレスから解放される休暇中の時間は、嫌いじゃない。
困る事と言えば、ドアノッカーの鷲から出される謎かけが解けなくても、誰も助けてくれる人がいないことぐらいだ。
解けなかったことなど一度だってないのだし、それが杞憂であることには変わりはないのだが。
それに、聡明であることに誇りを持つ我らレイブンクロー寮の中では、質問が分からず寮室に入れないなど恰好の嘲笑の的だ。
他の寮生に頼るなどみっともない真似はできず、こそこそと図書室で答えを調べる羽目になっていたことだろう。
なんのかんのと言っても、愚者は純血だろうがマグル生まれだろうが忌み嫌われる。
しかし、却って、出る杭も打たれる。
賢さでさえ目につけば嫉妬の対象になり、「あいつ、衒学趣味だよな」などど遠回しに揶揄されることだってあるのだ。
目立ち過ぎず控えめに過ごすことこそ、この寮で上手くやっていく秘訣に違いない。
同じ寮生たちのこのような陰湿さはあまり好きではなかった。
なにも、自寮に対して息が詰まるし気が滅入るという話がしたいわけではない。
ただ、このような空気も手伝って、私には気を許せるような友人はいなかった。
この休暇の唯一の良い点は、周囲に気を揉まなくていい事だろう。
例えば、こんなことをしていても非難するものが誰もいないこととか。
朝、シャワーを浴びながら、右手首に氷のように怜悧な刃をあてがった。
杖腕を切り落とすつもりだった。
生憎そんな勇気は全く持ち合わせていなかったし、そんなことはできなかったのだけれど。
ぱっくり割れた傷口を、お湯を張った猫足のバスタブに腕を浸けると、ふわりと赤が溶けていく。
マグルの自殺指南書には、確かにこれで死ねるのだと書いてあったのだが、きっと嘘。
死因となるのが失血なら時間がかかりすぎるだろうから、セクタムセンプラでも使わない限り不可能なのではないだろうか。
スリザリンと合同の魔法薬学でセブルス・スネイプと二人組になった時(余りもの同士組むことになるのが多かった)、彼の教科書にメモされていた呪文を思い出す。
誰もいない時にちょっとした好奇心で使ってみたところ、呪文が被弾した枕はズタズタに、部屋は羽毛だらけになってしまった。
それを同室の子たちが帰ってくるまでに片づけるのには骨が折れたものだ。
彼は酷くポッターとその取り巻き連中を恨んでいるようだが、この時初めて彼の心の闇を垣間見たような気がした。
回想終了。
手首に焼けつくような痛みを感じながら、浴槽から腕を引き抜くとふらりと立ち上がった。
この時の私は、リストカットは自傷行為であり、これで自殺を図るのは至難の業であるということを知らなかった。
このようなマグル的自殺方法を採った理由は、単純明快。
杖が振れなくなればこの魔法界から逃げ出せると、この狭い檻の中から抜け出せると、そう思ったのだ。
指先から凍りそうなほど、骨に刺すような痛みを感じるほど、寒いのに。
雑に血をぬぐうと、制服に袖を通した。
良い子でいれば幸せになれると思っていた。
母のように親に逆らって家風とは違う寮に入ったり、駆け落ちしたりしないでいれば、きっと。
でも、純血を守ることも、寮同士の関係も、家の名も、私の人生に何一つとして幸せを齎さなかった。
お祖母さまの言いつけを守ってさえいれば、明るい未来が待っているなんて、どうして信じられたのだろう。
この世界は小さすぎる。自由に生きることに対して、否定的すぎる。
このように、この時の私は私の人生を諦めていた。
だから、どうやって死んだのだとしても、それは限りなく自殺に近いのだと思う。
前世の記憶はここまでしかないのだから、どんな死に様だったのかまでは思い出せないけれど。
手から林檎が落ちるように環状線はぐるりと巡る
前世の人生を省みた結果、自分の考えが間違っていたことを認めざるを得なかった。
頭でっかちではどうも、行動力にかけるらしい。
失敗の可能性が予め見えてしまうと、足がすくむというものか。
けれど、そんなことではいつまでたっても箒に乗れるようにならないし、呪文だって成功しない。
できないことをできるようになるには失敗が必要なのだし、どんな愚者でもそんなことは知っているだろう。
でも私はそう、失敗することに対し極端に怖がりだった。
人前で失敗することに、という限定付きではあるのだが。
だからこそ努力するのだし、その努力を他人に悟られないようにすることに必死だった。
つまるところ私は、型紙通りに作られたレイブンクロー生だった。
「ああ、なんてこと……、まさか双子だったなんて」
転生時のことは、昨日のことのようによく覚えている。
時々響く雷鳴と叩きつけるような雨が、ベッドルームの窓硝子を震わせてた。
雷の冷たい光が、女の顔を映し出す。
西洋人形のように、金糸の髪と青い眼をしたひとだった。
「どちらになさいますか?」
彼女はおそらく助産師のものと思わしきその声を聴くと、艶やかに微笑んでこう口にしたのだった。
「優秀な方を」
――この世界で生まれてから3度目の誕生日。
それは半分正しく、半分間違っているともいえる。
姉か私、どちらかにとっては“ハッピーバースデー”ではなく、“アンハッピーデスデイ”なのだから。
双子だった私たちは、お互いの存在を知らないように隔離され、同じ名前を付けられて育てられた。
生まれた直後から記憶のある私はともかく、姉は私の事も双子であった事実も知らないだろう。
“優秀な方を”。
この言葉通りなら、姉はまだこの家のどこかで生きている。
“優秀さ”を周囲に見せつけてはいない私が、選ばれる理由はないからだ。
どうやらこの家では、双子だった場合はどちらかを間引くのが慣例らしい。
また跡継ぎ問題が面倒な純血家系にでも生まれてしまったのだろうか、とうんざりする。
前世の私は一人っ子だったので、きょうだいというものに憧れてもいたのだけれど。
どちらかしか存在できないのであれば、私たちは姉妹ですらない。
――そもそも、この世界は前にいた世界とは大きく違っていた。
廊下にかけられた肖像画は静止したままだし、大人たちが魔法を使っている場面を見たこともない。
掃除などの家事全般が、手作業で行われている様子をすでに何度も目にしている。
こんなに立派なお屋敷にもかかわらず、屋敷しもべ妖精を見かけたことがないことも違和感のひとつであった。
そして、悪い予感は的中した。
「うぃんがーでぃあむ、れびおーさ!」
少々舌足らずな発音ではあるが、花瓶に刺さっていた花の茎を杖に見立てて、必死に呪文を唱える。
床に散らばった花弁は、一片たりとも浮き上がる気配を見せない。
杖を受取る前であれ、魔法の力を持つ者であれば多少の事はできるはずであった。
1年生の最初の呪文学の授業で習うような魔法くらい、使えて然るべきだ。
なにしろ、呪文学は私の得意科目だったのだから。
魔法の能力は生まれつきのもので、スクイブはいくら訓練しても魔法を使えるようにならない。
そもそも、マグルの家に生まれた非魔法族であるという可能性もある。
なにはともあれ、私は魔法が使えないと知るや否や、叫び出したいほどのもどかしさを感じた。
前世では杖腕を切り落とそうとまで考えていた癖に、いざ魔法が使えなくなってみると愕然としたのだ。
魔法が使えなくなった今の自分は、あまりにも無力だ。
赤ん坊のころは不自由だった言葉も、今では元のように喋れるようになった。
同じように、這い這いでしか移動できなかった時期を乗り越え、自立して歩行することができるようにもなったのに。
同じ基準で私の日常に存在していた魔法だけは、どうしても戻ってこなかった。
今度は、家に縛られて生きるつもりもない。
そのためには力が必要だった。ここを飛び出しても、一人で生きていけるだけの力が。
“幻術”というものを知ったのはその頃だった。
魔法ではないその力は、ただのまやかしに過ぎない。
イリュージョン。見掛け倒しだ。
けれど、魔法に未練があった私にとって、どこか似ているそれは唯一懐かしいと感じられるものだったのだ。
だからこそ、私に幻術の才能があると気付いた時は、ただ純粋に嬉しかった。
同時に、私たち双子がどのような分野での優秀さを問われていたのかを理解することになったのだが。
中略。家出したのは、それから間もなくのことだった。
代々優秀な術士を輩出しているというこの家で、おそらく姉より先にこの才覚を現し始めた私は大事に育てられるはずだったのだろう。
だからこそ、私はそれを誰かに知られる前に消える必要があった。
姉のためではない。むしろ、私は姉をこんな家に平気で残していくような薄情な妹だ。
それでも、選ばれずに殺されるよりはマシだ。
運命は、誰かに導いてもらうものではなく、自分で切り開くものなのだから。
「さようなら」
そう言った言葉は、誰に向けたものだったろうか。
◇◆◇
「恥じることはないさ。自らの姿を偽るのは、美醜を気にかける女術師にありがちなことだからね」
家出した後、私は私の運命を変える相手と出会った。
酷く人を見下したような言い方をする人だと思った。
まるで、純血主義者がマグル生まれを前にした時のような口調だ。
そう感じた私は重症かもしれない。
魔法界はホームというほど心安らぐ場所ではなかったのだから、シックになるはずなんてないのに。
けれどそう、その棘のある言い様にむっとしたことは確かであった。
鷲寮では、オブラートに何重にも包まれた嫌みの応酬がにこやかに行われることなど日常茶飯事であったし、むしろこの世界に転生して初めてのこの懐かしい感覚に、全身に血が通うような気さえした。
私は、にっこりと口角を上げると、こう反論した。
「わたしのほんとうのすがたもしらないくせに」
そしてこれが、誰の姿なのかも知らないくせに。
前世の母の姿に、名前も借りて、私は。
そこまで考え、前世の母親が、自らのコンプレックスになっているのだということに漸く気付いた。
前世では彼女の生き方を心の底から軽蔑していたというのに、現世では彼女のようになりたいと切望している。
「でも、そうね。わすれていたわ」
これは私の人生なのだから。
誰かの人生を見本にすることなど、ありえない。
自らにかけていた幻術をあっさり解いた私は、目の前の人物を見上げると、こてんと首をかしげてこう尋ねた。
「あなたは、まほうつかいなの?」
これが、バイパーと私の出会いだった。
