“公平であれ、公正であれ、中立であれ”。
それが、魔法界で長い家系図を持つスタラッティーテ家の家訓。
母方であるその家の子女は、代々レイブンクローに入寮するのが常だった。
私は、母の母――つまりは祖母に引き取られ、それに倣うこととなる。

「ここは、どこ? ホグワーツの図書室みたいな、それにしては少しだけ変……」

気付けばたくさんの本棚に囲まれた、迷路のような場所にいた。
埃っぽくてかなり薄暗く、鎖のかかった棚もある。

「たぶん、禁書の棚なのね。授業の時に少しだけ入ったことがあったわ」

そう呟く声が、反響せずに虚空に消えていく。
誰にも届かない。ここには私ひとりなのだから。

「全部背表紙にタイトルがないわ。どうしてかしら」

ずらりと並ぶ本の背を、指でつーっとなぞりながら棚の間を歩く。
どの本も同じ見た目に見える。
本に感情はないのだけれど、ぎっしり詰め込まれて息苦しそうだと感じてしまう。
それは私も同じことで、ここにいるだけで息苦しくなってしまう。
徐々に酸素が減っていくように、真綿で首を絞められるような閉塞感があるのだ。

「司書のマダム・ピンスはいないのかしら。見つかったらきっと叱られちゃうわ」

立ち入り禁止のこの場所にいるところが見つかれば、間違いなく罰則を受けるに違いない。
模範生の私なら、書き取りくらいで許されないものかしら。
けれどレイブンクローが減点になって、周囲から白い眼で見られるのは嫌ね。

「人がいないわ。ここが私の夢の中だからかしら」

そう呟いた私は、ここが夢の中だとはじめからわかっていた。
前世ならともかく、今の私はホグワーツの生徒でも、魔法使いでさえもないのだから。
ここは私の夢の中で、きっとここで何かを探している。

「見つけた」

目線の先には、一冊の本があった。
手に取って表紙を開くと、勝手にページが捲れ始める。
憂いの篩を覗き込むように私は、モノクロームの世界の中で傍観者として1人の少女の追憶を視ていた。

暗転。

あの後、クリスマス休暇は何事もなく終わった。
手首を切ったことも、誰にも知られることはなかった。
春が過ぎ、夏が終わり、秋が来る。
朝晩の冷え込みが激しくなり、魔法で創った持ち運べる火種を小瓶に入れて暖をとった。
エテルナは5年生に進級し、レイブンクローの監督生となっていた。

「エクスペリアームス」
「プロテゴ!」

そんな最中の出来事だった。
エテルナが悪戯仕掛人と揉める事件が起こったのは。

「素晴らしい反射神経。さすがは学年首席様ね」
「えっと、君は確か、レイブンクローの監督生だったよね」

武装解除の呪文を見事に防いで見せたジェームズは、エテルナの監督生バッジに目をやるとそう言った。

「ええ、エテルナ・スタラッティーテです。ジェームズ・ポッター」
「僕たちに何か用かい? ミス・スタラッティーテ」
「授業外の生徒の私闘は禁止よ。知らなかった?」

さらに言えば、ミスター・フィルチによって廊下での魔法使用自体も禁止されている。
さすがにそこまで厳しくする必要はないと思うが、大方このような者たちがいるせいでそのような校則ができたのであろう。

「レディに庇ってもらうなんて、さすがはスニベリーだな」

そう言って嘲笑ったシリウスの言葉に、エテルナは眉をひそめる。
その言葉は、彼らと交戦中だった(一方的に危害を加えられていたわけだが)セブルスに向けられたものだったが、エテルナにとっても聞き逃せないほど失礼なものだったのだ。

「女性だからなに? そう言う貴方たちは、少しは英国紳士らしくしたらどうなの?」
「だってさ、シリウス」

そう言ってクスクス笑う彼らの身内のノリの寒さに、エテルナはさらに苛立った。

「他寮生間の争いごとに口を出す気はないわ。でも、他の生徒まで巻き込むのなら黙ってはいない」

彼らのこのような行為に、迷惑している者だっている。
現に先ほど、流れ呪文に1人の生徒が犠牲になり、医務室に運ばれる事態になったのだから。
けれど、彼らは学年主席と次席であり、人気者でもある。
面と向かって注意できるような勇気のある人間はそうそういないだろう。
だからこそ、見かねたエテルナが監督生の仕事をするために忠告しに出たのだ。

「わざとじゃねぇし。巻き込まれるようなどんくさがマヌケなんじゃねぇか?」
「まぁまぁ、シリウス。ごめんね、今度から気を付けるよ」

そうシリウスを制して謝ったジェームズは、減点を避ける為であったのだろう。
けれど、エテルナにそのような手は通用しなかった。

「グリフィンドールから5点減点」
「ミス・スタラッティーテ! それはないよ!」
「勿論、1人5点ずつだから。ここは神聖なる学びの場所。それを穢すのなら容赦はしない」
「まじかよ……」

そう唸るように呟いたシリウスを無視して、エテルナは彼らの後ろに視線をやった。

「リーマス・J・ルーピン」
名を呼ばれた少年の肩が跳ねる。

「私の記憶が正しければ、貴方は監督生だったはずよね。そのピンバッジはお飾り?」
そう氷のような微笑を浮かべたエテルナの真っすぐな瞳が、リーマスを射貫いた。

「軽蔑するわ。卑怯者」
「エクスペリアームス」

ばちん。
手を強めに払われたかのような衝撃に、杖がエテルナの手から離れて宙を舞う。

「なんのつもり?」
手を摩りながらエテルナが睨んだ先には、杖を構えたジェームズがいた。

「先に手を出してきたのはそっちさ」
ジェームズは、友を侮辱されて黙ってはいられなかったのだろう。
彼が断罪しようとする悪ではない彼女に、彼は危害を加える気などなかった。
けれど、エテルナはそうはとらなかった。

暫くの逡巡ののち、彼女も杖を抜いたのだ。
彼女の杖は先ほど弾かれてどこかに行ってしまったはずなのだが、まさかあれは偽物だったとでも言うのだろうか。
予想外の展開に、騒ぎを聞きつけて周囲に集まった生徒たちも息をのんで見守っていた。

「そっちがそのつもりなら、私にだって考えがあるのだけれど」
まさに一触即発。
杖を互いに突きつけ合い隙を見せない彼らの間には、僅かながら殺気すら漂っていた。

「何事です」
「マクゴナガル先生」

周囲を取り巻く人込みをかき分けてやってきた姿を見て、二人は杖を下した。

「この者たちが私闘をしていたので注意をしていた次第です。正当防衛であることは、きっと見ていた者たちが証言してくれるでしょう」
そう見渡すように視線を走らせたエテルナに、はっと我に返ったギャラリーの者たちはそそくさと散っていく。
ジェームズたちが起こす騒ぎを、見世物感覚で楽しむ生徒も多い。
彼らの所業を安全な位置から眺めるのは、退屈な日常のなかでさぞ輝いて見えることだろう。
けれど、真面目に学校生活を送る者たちにとっては迷惑極まりない話なのだ。

「また貴方たちですかポッター、そしてブラック」
厳しそうな表情をした女教授は、ため息をついて眼鏡を押し上げる。
悉に聞かずとも状況を理解したらしく、それが彼らの常習性を裏付けていた。

「マクゴナガル先生、私はもうよろしいでしょうか」
「大変結構。行っていいですよ」
「ありがとうございます」

エテルナは莞爾すると、淑やかに一礼した。
青いマフラーを靡かせて去っていく凛とした後姿を眺めながら、シリウスはジェームズを小突いた。

「プロングズ」
「ああ。悪戯仕掛人の名が廃る、ってものだよね」

そう答えたジェームズに不穏な空気を感じ取って、リーマスは慌てた。

「駄目だよ、二人とも」
「ムーニー、彼女が君の事を悪く言ったのを聞いてなかったのかい?」
「気にしてないよ」

リーマスの言葉は2人には届かず、暫くののちにまた事件が起こる運びとなった。

◇◆◇

「本当にごめん。謝って許されることじゃないのは、わかってるけど……。あ、それ、手伝うよ」
「結構よ。それに、思いつくことは粗方試したわ」

空き教室にて。
エテルナは相手の姿を一瞥すると、取り付く島もないほどあっさり拒絶した。
彼女の前には、本の山が積まれている。
そのうちの何冊かがインクに汚れているのを見て、リーマスはなにがあったのかを察した。
彼女は、悪戯仕掛人の新しい発明品の餌食となってしまったのだ。
なんでも、通りすがりインク瓶の中身をさりげなくぶちまけられたという。
絶対に落ちないインクらしいが、彼らはそれを使ってフィルチの部屋に落書きをしてやるのだと意気込んでいた。
どうやら、学年主席と次席は精神年齢が一桁らしい。

ダンブルドアは、彼らのストッパーとなることを期待してリーマスを監督生にしたが、全く功を奏さなかった。
そのことを一番気にしているのは他ならぬリーマスであることも、エテルナにはわかっていた。
しかし、そんなことは今はどうでもいい。

いま目の前で起きていることの方が一大事だった。
インクで汚れてしまったのは、図書室で借りた本だったのだ。
エテルナはインクを避けるために、浮遊呪文を使って運んでいた本を咄嗟に盾にしてしまった。
けれど、こんなことになるなら、まだローブを汚されていた方がマシだったかもしれないと彼女は思った。

「スコージファイもテルジオもフィニート・インカンターテムも、ゴシゴシ呪文も消却呪文もダメだったもの!」
「じゃあこれも試したかい?」

半ば自棄に、一息にそう言った彼女の目の前に、リーマスはコップに入れた水と漂白剤、ティッシュペーパーを置いた。
それを見たエテルナは、ゆっくり瞬きをする。

「それ、とってもマグル的で素敵ね。盲点だったわ。すっごく地道な作業になりそう」
うんざりとした声音で言って、彼女は肩をすくめた。

「手伝うよ」
そう言って微笑んだリーマスに、エテルナはもう異議は唱えなかった。
代わりに杖を抜くと、本に向けて呪文を施す。

「インパービアス! ……防水呪文をかけたから、文字が滲むことはないと思うわ」
「君って……、賢いね」
「なにそれ、嫌み?」
「そんなつもりじゃ……」
「分かってるわ。あなたは、そういう皮肉は言わない」

あの2人は絶対に許さないけれど、リーマスのことは信頼できると、エテルナはこの時そう思った。

「そういえば、気になっていたんだけど、あの時ジェームズに飛ばされた杖は偽物だったのかい?」
「まさか、本物よ?」
「えっ、じゃあ……」
「ふふ。後から抜いた方が、ハニーデュークスの杖型甘草あめ」
「ええっ! じゃあ、ハッタリだったのかい?」
「案外気付かれないものね」

彼女はそう言って、飴でできた杖を取り出すとくるりと回した。

絡まって落ちた糸の先、マリオネット劇場

あのね、バイパー。
怖い夢をみたの。
果てのない図書室で、何かを探して彷徨う夢を。
あなたは今、どこにいるの――――。

きっと帰ってこられないだけ。
助けに行かなくちゃ。
きっと、あの人は待ってくれているのだから。

現実は甘くなかった。
そして、残酷な現実でもって、受け入れることを強要された。
私は、捨てられたのだということを。

◇◆◇

「毒入り、とかいうオチじゃねーの?」
「それは、食べてみないとわからないね」
「げっ、食べる気かよ……」
「まさか。さすがにこんな得体のしれないもの、食べたりしないよ」

ヴァリアーのアジトにて。
部屋の前に積まれたプレゼントの箱を見ながら、マーモンとベルは会話していた。
ただ話していても埒が明かないので、届けられた箱のひとつを開けてみると、有名店のお菓子の箱だったのだ。
確かに、毒入りである可能性はある。
暗殺を生業にしているのだから、恨みなど吐いて捨てるほど買っているだろう。
けれど、このように頻繁に送って効果がなければ、さすがに贈り主も諦めないものだろうか。

本日は7月2日。
マーモンは自分に届けられたプレゼントの山を見て、「ああ、またか」と思った。
これらは、ことあるごとに送り付けられているのだ。
その上、差出人も不明。
クリスマスにイースター、ハロウィン、新年、お歳暮、七夕なんてのもあった。
聖ヴァレンティーノの日には、大量のチョコレートが送られてきたことだってある。
今回に関しては、おそらく誕生日プレゼントだろう。

しかも、気付けば部屋の前に置いてあるものだから、防ぎようがない。
この城のセキュリティー網は万全だ。
外部から何者かが入り込もうものならばすぐさま捕らえられるはずであるにもかかわらず、毎回取り逃がしているのも異様だった。
とはいえ、これらは転売することによってマーモンの副収入になってもいたのだから、さほど迷惑してもいなかったが。
なんにしろ、薄気味悪いことには変わりなかった。

「どこかの隊にマーモンのファンがいるとかじゃねぇの」
「知らないよ。でも、こんなことにお金をかけるなんて愚か者のすることだね」

◇◆◇

当の贈り主はといえば、プレゼントの箱の中に仕込んだ盗聴器で、彼らの会話を盗み聞いていた。
ベルの“どこかの隊にマーモンのファンが”という言葉を聞いた少女――エテルナは、すっと目を細める。

「いるわけないじゃない。そんなのがいたら私が殺してるもの」

双眼鏡を覗いていたエテルナは、万眼鏡が欲しいと思った。
魔法界のそれであれば、見たものを動画を再生するように自由に巻き戻したり、スロー再生したり、ズームすることができるのに。
写真だって、動けばもう少しリアリティがあっていいのに。
でも、とある瞬間を切り取った永遠に変わらない被写体もなかなか……。

「むー、そろそろ日本に戻らなきゃ……」

学校を休み過ぎるわけにはいかないから。
今から夏休みが待ち遠しい。
本心を言えば、“バイパー観察日記”だって毎日つけたいのだ。
けれど、これからの計画のためには仕方のないこと。
少しの我慢だ。

「もうすぐ逢えるね、バイパー」

彼女は酔ったように頬に紅を差すと、恍惚とした美しい笑みを浮かべた。