「何してるんですか」という声変わりをしたのかしていないのか判別が付かないまだ幼いようなそれでいて低い声で語りかけられてハッと我に返った。伸ばしていた手と顔を引っ込めて後ろを振り返ると、私服らしいワイシャツを着た茂雄くんが事務所のドアの前に立っていた。


「あ、し、しげおくん、おはよう」
「こんにちは」
「あ、もう、そんな時間‥‥」
「はい」
「きょ、きょうバイトだったんだ」
「はい、今日は元々入ってました」
「そう‥‥」
「‥‥‥‥」
「お、お昼ごはん食べた?」
「家で素麺を食べて来ました」
「ふぅん‥‥」
「あの、師匠が寝ているところを中腰でのぞき込んで触って何しようとしてたんですか」
「茂雄くんちょっと外に行こう」


目下の新隆さんを見下ろすと、幸いまだ寝息を立てていた。急いで茂雄くんの手を引いて事務所の外に出る。事務所を出て階段を下って、ビルの隙間の日影に入る。とりあえずここなら新隆さんが起きても会話を聞かれる心配はない。問題は茂雄くんだ。どうしよう、金で黙ってくれているだろうか。


「もしかして、師匠の寝込みを襲おうとしていたんですか」
「ち、違う!違うの!」
「じゃあ何ですか」
「えっ‥‥と‥‥ちょっと‥‥だけ‥‥触れないかな‥‥って‥‥」


茂雄くんが感情の読めない顔でじっとわたしを見てる。下を向いていてもひしひひと感じる。日中の暑さのせいか冷や汗なのか、体中汗が止まらなかった。セミがけたたましく鳴いている。じっと下を向いて死んだカナブンを見つめながら、茂雄くんの次の言葉を待った。


「師匠が好きなんですね」
「へっ、え、」
「流石に僕でも分かります」
「‥‥そ、それ、それは」
「本人には言わないので大丈夫です」
「!!!ほんと?!」
「でも師匠、彼女いますよ」
「‥‥えっ」
「嘘です」
「ちょ‥‥」
「あ、師匠出てきましたね」
「え?!」


ビルの隙間からのぞき込むと、あくびをしながら新隆さんが階段を降りてくるのが見えた。「モブ〜、来てんのか?」と辺りをキョロキョロしている。当本人は「‥‥あ、そういえば出入口に鞄置きっぱなしにしてた」と他人事のように呟いている。‥‥ビルの隙間で茂雄くんとコソコソ何かしていたのがバレたら、絶対怪しまれる‥‥。ていうか新隆さん勘がいいから、絶対にバレる‥‥。


「‥‥茂雄くん、絶対新隆さんにバレちゃだめだから‥‥」
「あ、すいません、いま師匠と目が合っちゃいました」
「おうモブ!‥‥そんなとこで二人して何やってんだ?」


終わった。たまたま事務所に遊びにきたらたまたま新隆さんが寝ていてつい魔が差して身体を触ったり匂いとか嗅ごうとしていたなんて事がバレてしまったらもうこの事務所には2度と顔を出せない。


「なにコソコソしてたんだよ」
「や、あの‥‥」
「告白の練習をしていました」


「は??」という新隆さんの声がした直後、壁に押し付けられて両足の間に茂雄くんの足が割って入ってきた。顔をぐいっと掴まれて、少し下にある茂雄くんの顔と目が合う。中学生男子の匂いというか茂雄くんの匂いというかお日様の匂い的なものを感じながら硬直していると、「こうやって告白するとモテるって、最近聞いたんですよ」と事も無い様子で茂雄くんが新隆さんに説明していた。よく覚えてないけれど、新隆さんはちょっと引きつった顔で「そうか頑張れよ」みたいなことを行って事務所に引き返して行った。身体の力が抜けて、ずるずると壁に寄りかかってしゃがみこみ、頭を抱えた。

「大丈夫ですか?」
「‥‥大丈夫、じゃ、ない‥‥」
「でも、上手くごまかせました。良かったです」
「上手くない‥‥」
「貧血ですか?事務所で休んで行った方が良さそうですね。冷房入れて貰いましょう。立てますか?」


差し伸べられた成長途中の男の子の手を掴んで、わたしは事務所までフラフラと戻った。事務所の中は既に付けてあった冷房と新隆さんの視線でヒンヤリとしていた。




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