最終便

 拝啓、大好きだったあなたへ。
 私があなたを愛していることに気付いていたというのに、ずっと素知らぬ振りを続けてきたあなたへ。

 ——斜線を、引いた。
 だからなんだというのだ。素知らぬ振りをしていた彼の方が、本来正解なのだ。私は恋をしてはいけない存在に恋をしてしまったのだから。ああ、神さま、どうかお赦しを。なんて、神さまに恋をした愚かな私の願いなんて、受け入れてもらえるはずもないのに。



 五月某日。
 世間ではGWだなんだと騒がれている中、私たち審神者に休みはない。どうせ今年も平凡な一日を過ごすのだと、年明けの頃はそう思っていた。けれど今年はそうはいかなかった。通常の業務に加え、さまざまな雑務が入り乱れる羽目になったのは他でもない私のせいで、それに付き合わせるように本丸が忙しなくなるのは申し訳なくもある。

「主さん、こっちはもう処分していいやつですよね?」
「うん、大丈夫。もういらないから捨てちゃって」

 押入れの中の荷物を取り出して、必要なものと不必要なものとに仕分けていく。この作業がこの執務室だけではなく、本丸のさまざまな場所で行われている。理由は、私の結婚に伴うこの本丸の審神者代替わりの為だった。
 私は、今度の六月に他の本丸の男審神者と結婚することが決まっている。結婚後は私も相手の本丸で生活するため、この大掃除は荷造りをしている、といった方が正しいだろうか。本来そういった本丸は解体になるそうなのだけれど、私の本丸は運営歴も長く、成績も優秀だということから新人の審神者に引き継がれることとなった。つい先日一週間ほどの研修に訪れてくれたけれど、とてもいい人そうで、私としてもひと安心である。

「この辺で今日は一旦終わりにしようかな。堀川もありがとう、戻ってくれて構わないよ」
「あれ?今日は向こうの棚まで片付けるって言ってませんでしたっけ」
「うん、向こうの棚はそんなに大して物がないから、後は私だけでどうにかするよ」

 それよりも、新しい審神者を迎える準備の方を手伝ってあげて。そう伝えると、近侍として執務室の片付けを手伝ってくれていた堀川は、怪訝そうに私を見つめながら部屋を後にした。堀川が私に怪訝そうな視線を向けたのは、私が片付けるのが苦手だと知っているからだろう。長くこの本丸の近侍を務めてくれた古参刀の彼は、昔からよく散らかりがちだった執務室の環境を整えてくれていた。

 堀川がいなくなった執務室で、件の棚の扉に手を掛けて、恐る恐るそれを開く。正直、この棚だけは本当に開きたくなどなかった。ここには、幸せな結婚をして、なんの未練もないはずの私が、ひたすらに表に出さなかった未練を詰めた場所だからだ。

 拝啓、——
 棚の中にびっしりと詰められたのは、全て私がとある刀剣男士に大して恋心を綴り続けた末路である。一度たりとも届いたことのないこの感情は、私がひた隠しにしてきた唯一の秘密であり、この本丸に対する唯一の未練だ。結婚相手だってとてもいい人だし、新しい審神者だって信頼に値する人だった。本丸のみんなだって、長年色恋沙汰など欠片もなかった私の結婚を総出で祝福してくれている。みんなとだって何も一生会えなくなる訳ではないし、本来なら何も未練なんてないはず、なのに。

「……はは、馬鹿みたいだな」

 ひとり呟く言葉に返事はない。ゴミ袋を引っ張り出して、一枚一枚、読めやしないようにビリビリに破いて捨てていく。ただただ紙を破く作業だというのに、どうしてこんなにも胸が引き裂かれるような思いをしなければならないのだろう。譫言の恋心なんて、誰にも届きやしないのに。手にとっては読み返して、その思いを全て葬り去るように引き裂く。そんなこんなを繰り返していれば、気付いた頃には日が暮れていた。これが、執務室に残された最後の私物だった。



「もう後は料理を運ぶだけだから、主は座ってても構わないよ」
「いや、でも」
「いいから、あとは僕たちに任せて?主役は行っておいでよ」

 今日は、私がこの本丸で采を取る最後の日だった。せっかくなので宴会をしよう、と刀剣男士たちの方で計画を練ってくれていたらしく、いつも通り厨の手伝いをしようとしたら光忠に追い出されてしまった。渋々大広間の定位置に腰掛ければ、次々に刀剣男士たちが私の元にやってきて、手土産やら感謝の言葉やらを並べていく。初めはそれも嬉しい荷物が増えたな、と笑っていられたのに、最終的に食事の前には泣き出してしまって、最後の最後で迷惑をかけてしまったような気もする。この本丸で審神者として務めることができて、本当によかったと心から思った。

 宴会は主役の私が部屋に戻ってからも続いているようで、持ちきれないほどの荷物を抱えたまま部屋に戻る最中も、大広間の方角からは僅かに喧騒が感じられる。大広間に反して静かな時間の流れる廊下を一人で歩いていれば、どうしてか、また自然と止まっていたはずの涙が溢れそうになる。

「荷物、持ちましょうか?」

 途端、後ろから声がして慌てて振り返る。勢い余って落としてしまった荷物のいくつかを拾いながら、声の主——堀川は微笑んだ。いつだって感情の底を見せることのない彼だったけれど、その余裕に救われたことは幾度と計り知れない。慌て焦る私を諌めてくれるのはいつだって彼だった。本丸発足から早い段階で顕現してくれた彼は、現在では極の姿となり、公私共にお世話になりっぱなしの刀である。

 そんな堀川のことが、私は好きだった。
 叶うのならばこのままずっとこの本丸で、堀川と共に有れるのならどれだけ幸せだろう、と幾度なく考えて、幾度なく涙を流した。堀川は恐らく、いやきっと、堀川だけではなく他の刀たちも私の感情には気付いていただろうけれど、それでも私は堀川に想いを告げることはしなかった。審神者と刀剣男士の恋愛が御法度、という前提はもちろん、私を主として認め、私の刀としてその身を奮ってくれる彼の気持ちを、裏切りたくはなかったのだ。だから、私は努めて最後まで彼の主として有った。

「ありがとう。……戻らなくていいの?」
「大丈夫ですよ、兼さんなら今寝室まで運んできましたから」
「そう、」

 そのまま、一言も言葉を交わすことなく部屋に戻る。堀川は、私が落とした土産を抱えたまま黙って部屋まで着いて来た。今日は出陣だったからか、堀川は戦装束のまま刀までしっかり携えて、私の後ろを歩く。妙な緊張感があったからか、私も堀川も、それ以上は一言も発することはなかった。

 堀川と共に二人で部屋に入ることは今までも幾度となくあって、別に今更だというのに、閑散とした部屋のせいか不思議と緊張する。荷物を置いて、明かりを灯して、それに続いて堀川も机の上に拾ってくれた荷物を置いた。今日はこれの整理をしてから寝よう、と決めた瞬間、ふと堀川が口を開く。

「主さん、今少しだけお時間大丈夫ですか?」

 荷物を置いた堀川がふと私の方へ向き直って、居住まいを正す。なに?と一言、振り返った私を突き刺す堀川の視線は、まるで知らない他人のような冷たい視線。そこにいるのが本当に堀川なのか、疑いたくなるような。
 思わず後ずさってしまったのを、もちろん彼が見逃すはずもない。私が後ずさった分だけじりじりと距離を詰める度に冷や汗が止まらなくて、脳内で警鐘が鳴り響く。体は逃げろと言葉を繰り返しているのに、眼前にいるのは私が愛した刀そのもの。彼に引き寄せられるように足は動かなくなって、そのままその場に尻餅をつく。

「そんな怯えなくても。別に、何もしませんよ」

 主さんが大人しく答えてくれるならね。
 そう言って堀川は懐から封筒を取り出す。見覚えのある封筒に、私は自分の顔が青褪めていくのをはっきりと自認した。唯一、あの棚の中に仕舞われていなかった、手紙。いつだったか、書いたまま机の上に置いて居眠りをしてしまったら、気づけばそこになかった手紙。その後、部屋にやってきた堀川に存在を問うても知らない、と言われたのに。どうして、それを。

 堀川はその中から一枚の便箋を取り出す。淡いブルーの縁取りが施されたその便箋に認められているのは間違いなく私の筆跡で、私が目の前の彼に宛てて書いたもの。

「主さんがこんなに熱烈に想っている刀がいたなんて、知らなかったなあ。ね、誰なんですか?これ」
「なんで、相手が人じゃないって言い切れるの」
「そんなの、これを読んだら分かりますよ。それとも、主さんの旦那さんは自ら戦場に赴くような審神者なんですか?」
 
 読んでみますか?私にその手紙を渡して、堀川はまた私の知らない笑みを零す。読まなくったって知っている。この手紙は、今度こそ本人に渡すつもりで、今の旦那との結婚が決まる前、最後に書いた手紙だ。だからご丁寧に封筒にまで入れて、厳重に封をしていた。内容だって、もちろんしっかり覚えている。一字一句を覚えているわけではないけれど、出陣の際、一番に頼りにしていた、といった文脈を記したのを覚えている。

「僕、主さんが好きなのは僕だと思ってたんですけど」
「は、」
「いつまで経っても相手がいないのもそのせいだと思ってたし。なのに主さんは他所の本丸の審神者と結婚を決めた。だから僕は、自分の思い過ごしかなーなんて、思ってたんですよ」

 この手紙を見つけるまでは。
 数日前、私の部屋を掃除している際に見つけたというその手紙の中に綴られた愛の言葉たちが、急激に重みを増していく。この手紙を紛失したことをきっかけに気持ちに整理をつけて、政府主催の見合い婚に応じたのが数ヶ月前。堀川が何となく私の感情に気付いていることも知っていたけれど、それでも互いに見て見ぬふりをしていた。戦況が芳しくないこの状態で、生産性のない刀剣男士と審神者の結婚は、禁忌だとされているから。

 それでも、私はこの刀を想っていた。
 形にならなくても、愚かだと笑われても、愛していた。

 動かない体に必死に命令を下して足を動かそうにも、体は全く動きやしない。次第に眼前まで迫っていた彼の顔に、思わず赤面してしまう自分が悔しくもあった。好きなのに、大好きなのに、どうしようもなく愛しているのに——怖い。

「でも、そんな主さんに、僕も伝えなくちゃいけないことがあるんです」

 そう言って、堀川は自分の腰に差した本体に手をかける。一瞬で思考が冷静になるのが分かる。今度こそ、本当に逃げなければならない。そう思ったところで時既に遅し。当然の如く刀剣男士の身体能力にただの審神者である私が叶うはずもなく、気付いた頃には左手にズキン、と鈍い痛みが走る。次いで血液が溢れだす感覚を覚えて、そこで初めて私は指を切り落とされたのだということに気が付いた。

「その指輪、ずっと不快だったんですよ。主さんはあの人のことを愛していないのに、嬉しそうに笑うのも」

 旦那が渡してくれた婚約指輪ごと切り落とされた私の左の薬指は、掃除したばかりの殺風景な部屋にシミを作っていく。そこだけが不自然に浮かび上がるのが気にならなくなるくらいに、意識が朦朧とし始める。止まらない出血によって貧血を起こしているのだろうか、もう次第に考える余裕もなくなり始める。

「僕も、主さんのこと好きでしたよ。……って、もう聞こえてないのかな」

 そんな言葉を皮切りに、座ったままの私の胴体が目に入って、そのまま視界は暗転していく。ああ、やっと幸せになれる筈だったのにここで死ぬんだ、と絶望に浸る余裕もなく、ただその言葉が嬉しいと思ってしまった私は、きっとどう抗っても、最初から神に仇なす愚か者だったのだろう。