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扱いやすい捕虜だと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。出来立ての牛丼を載せた盆を手に私は地下への階段を降りた。捕虜が迅さんの与えた食事を食べていようがいまいが時刻はもう十八時である。健康な男子ならそれだけでは保たないはずだ。食べてくれなくとも、また迅さんのように置いておけば気が向いた時に手を伸ばしてくれるかもしれない。

そんな思いで地下室の扉を開けた私は目の前の光景に絶句することになる。ベッドに大人しく座っている捕虜のヒュース君、の横には迅さんが持ってきたであろう盆がそのまま残っている。彼は迅さんが部屋を出ようと一口も食べなかったのだ。それに迅さんの話では、朝から何も食べていないというではないか。

信じられない気持ちでヒュース君を見ると、彼もまた目を見開いてこちらを見ていた。昨日自己紹介をしたはずだが、何を驚いているのだろうか。後で鏡を見ようと決め、私はとりあえず盆を近くのテーブルへ置く。

「これ、一口も食べてないんでしょ?」

迅さんが持ってきたであろうトーストを指差してそう言うが、ヒュース君はまだ呆けたままだ。もしや体調でも悪いのだろうか。

「ねえ、聞いてるの?」

顔を顰めて尋ねると、ヒュース君はなんとか「あ、ああ」と返事をした。この返事といい、先程からどこか昨日とは違う様子だ。捕虜生活とはそれ程に辛いのだろうか。ヒュース君の顔を食い入るように見つめれば、まだ年端もいかない瞳がこちらを見つめ返す。大人びた雰囲気だが、まだ子供なのではないだろうか。少なくとも私よりは年下に感じる。それに軍事国家の兵士というのだから、想像を絶するような厳しさの中に身を置いていたに違いない。
私はヒュース君のいるベッドへ近付くと、ヒュース君に目線を合わせた。

「大丈夫。あなたに危害を与えようとしている人間はここにいない。みんな捕虜としてヒュース君を守ろうと思ってるから。だからさ、少しは安心していいよ」

なんと安っぽい言葉だろうか。しかし敵地の人間が捕虜に掛ける言葉として他のものは思いつかなかった。その言葉が届いているのかいないのか、ヒュース君は未だに揺れる瞳でこちらを見つめ続けている。これは勢いに任せて押してしまった方がいいかもしれない。

「ほら、朝ご飯はとっくに冷めちゃったからこっち。牛丼って知ってる? 私が作ったんだ」

するとヒュース君は見開いたままの目を今度は牛丼へ向けた。近界に牛丼があるのかどうかは知らないが、湯気が出ているそれは多少ヒュース君の食欲を刺激できるのではなかろうか。

「置いておくから、食べてね」

最後にそう言うと、ヒュース君はやはり信じられないという目をして私を見た。これ以上はもう強制しても無駄だろう。私は地下室を出、軽い足取りで地上への階段を上がった。敵だけれど、捕虜として玉狛にいるからにはきちんと生活を送ってほしい。その思いがヒュース君に届いていればいいのだけれど、あの様子ではどうだろう。ふと入った洗面所で鏡を見るも特段変わった様子もなく、私はただ首を捻るのだった。