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しまったと思った。好きだと思った。目の前で笑う彼女があまりにも愛おしくて、ギンは目を細めた。その白磁の肌も、滑らかな髪も、ギンには触れることが許されていないのだ。いや、手を伸ばして触れれば彼女はきっと頬を紅く染めながら受け入れてくれるだろうが、それは後の彼女の絶望をより深くするだけに過ぎない。ギンは来たる未来、藍染と共に護廷十三隊を裏切るのだから。まず彼女とずっと一緒にいることは不可能だし、例え少しの間でも恋仲になれば彼女の立場が悪くなるのは確実だろう。どこか苦しそうな表情をして名前を見るギンに、名前は首を傾げた。

「どうしたんですか? 市丸隊長」
「いや……」

上手く言葉が出ない。はぐらかすのは得意なのにいつも通りいかないのは、彼女に惚れてしまったせいだろうか。ギンは彼女へ手を伸ばした。視界の彼女の姿に自分の腕が重なる。あと三十センチ、二十センチ。ギンの腕が止まる。名前は不思議そうにこちらを見ている。口からは、乾いた笑いが漏れた。

「あかんわ」

自分の欲望の強さに驚きすら覚える。ここで色恋に溺れるような自分ではない。そう断言できる自信はあるが、ならばこの手は何だ。ギンは苦しさに眉を寄せた。今ここで名前を抱きしめれば、名前はギンに淡い期待を抱くことだろう。三番隊で長い時間を共にし、名前の気持ちに気付いていないわけではなかった。常にギンに付き纏う熱っぽい視線を厄介に思いもしたが、それでも可愛い部下には変わりなかった。その彼女に自分が揺るがされるなど、過去の自分は思いもしなかっただろう。

「名前ちゃん、目、閉じて」

そっとギンが言うと、名前は驚いた様子で口を開けたり閉じたりしていた。きっと今名前の中には様々な感情が渦巻いていることだろう。恐らくは明るいものだろうそれを、ギンは裏切りたくはない。

ややあって名前がぎこちなく目を閉じたのを確認すると、ギンはふと笑って手を伸ばした。名前の顔、その下部に。

ギンは掌で名前の口を覆う。名前は一瞬反応したが、すぐにギンの掌を受け入れた。そんな名前を見ながらギンは静かに顔を寄せる。そして、名前の唇の上に口付けた。自分の掌越しに、強く押し付けるように。

やがて数秒が経つとギンは手を離した。離れていく名前の唇を名残惜しく思いながら体を元に戻す。するとゆっくりと目を開けた名前と目が合って、ギンは哀しく微笑んだ。ギンと名前の、最初で最期のキスだった。