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 春だというのに雨だった。この季節に雨が降ることは温暖湿潤気候として何もおかしくはないが、開花しかけの桜の蕾のことを思わずにはいられなかった。

 俺は昇降口に躍り出て、傘を開く。今日は午後に入学式で体育館を使うため、部活の練習はできない。少しの寂しさを感じながら外に出ようとした時、ぼうっと空を眺めている名前さんを見つけた。自分でそうしようと思うより先に、どうしたんですか、と喉から声が出る。

「傘は木兎に貸したからないの。選手が濡れて風邪ひいたら大変でしょ?」

 どうやら名前さんは雨宿りをしているらしかった。確かに名前さんが傘を忘れるより、木兎さんが傘を忘れているところの方が想像つく。名前さんのおかげで梟谷バレー部の安寧は守られたのだ。だからというわけではないが、俺は名前さんを傘の中に誘った。

「じゃあ俺のに入ってください」

 名前さんは傘の中に無言で入ってきた。名前さんの方に傘を傾けながら、不思議な空間を共有する。とても近い。けれど、決して肩がぶつからないように気をすり減らしている自分がいる。肩がぶつかったところで、名前さんは何も思わないだろうに。

「木兎さんの傘には入らないで俺の傘に入った理由って何ですか?」

 会話がないことに耐えられなくなったのではない。聞かずにはいられなくなって、俺は尋ねた。俺の声には、少しのコンプレックスがにじんでいたと思う。

「木兎さんの方が、同い年で近しいのに」

 木兎さんの方が、名前さんと親しい。俺は単なる木兎さんの後輩にすぎない。こんなことを言えば俺の気持ちが知られてしまうのではないかという気持ちもあったけれど、今はこの劣等感を抑えきれそうになかった。

 名前さんはそれに気付いてか、傘の中で宥めるような声を出した。

「今は赤葦くんの方が近いよ?」

 それはきっと、人間関係の距離の話ではなく、物理的な距離の話なのだろう。今木兎さんは名前さんの傘で帰って遠くにいて、俺は名前さんのすぐ隣にいる。手を伸ばせば、簡単に触れられてしまう距離だ。

 誤魔化されているとわかっているのに、俺は嬉しくなって答えた。

「そうですね」

 なんとも単純な男だ。こうやって俺は名前さんの手の上で、ひらひらと回転し続けるのだろう。それもまた悪くないと思えるほど、俺は重症のようだった。