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※2024/4/22本誌ネタ

 殺し屋として全国指名手配が出た。手配書に載っているのは、私が知っている通りの顔と名前だった。私が働く店に来るときの南雲さんは、本来の姿であったのだ。

「本名だったんですね」

 私はレジの前に立つ南雲さんに向けて言った。今日は平日の昼間で、他に客は誰もいなかった。こういう日を狙って南雲さんは来た。私達はただの友達だった。だから、闇の世界で生きる南雲さんが本名や素顔を私に見せることはないと思っていたのだ。

「下の名前を知ってるのはごく数人だよ」

 南雲さんはなんてことなさそうに言った。けれど、余裕がないのは明らかだった。その証拠に、いつもなら頼むコーヒーを頼まなかった。

「じゃあ好きだって言ったのも」

 思わず口走った私を遮るように、南雲さんは落ち着いた声で言う。

「全部本気だよ」

 私達の間にしばしの沈黙がおりた。私はできるならば過去に戻りたいと思った。南雲さんは裏表のある人で、いつだって私をからかっていると思っていた。けれど南雲さんが私に見せている姿は全部本当だったのだ。本当ならばそれらしくしてくれればよかったのに、どうしてあんなに冗談めかして言ったのだろう。

「でももう好きとか言ってられなくなっちゃったから、会いに来た」

 南雲さんらしくない、弱弱しい笑みだった。これから先南雲さんが殺連の目をくぐり抜けて生きていくことは簡単なのだろう。けれど、そこに一般人の私を介入させる余地はない。これは告白ではなくお別れなのだ。

「ごめんね、僕が嘘つきなせいで君と付き合うこともできなかった」

 南雲さんは優しい恋人がするように眉を下げてみせた。今は誠実なふりをしているが、これもまた嘘なのだろう。

「私が頷いてたところで本気で付き合う気なんかなかったくせに」

 私が言うと、南雲さんは小さく笑った。私に手を伸ばして頭を撫でたと思ったら、次の瞬間には消えていた。まるで白昼夢のような出来事だった。雲のように掴めない人。私は南雲さんがよく座っていたテーブルをぼうっと見ていた。