▼ ▲ ▼


 気付いた時には既に遅かった。最強を背負い続ける重さからか、上層部との軋轢に揉まれるストレスからか、五条は眠ることができなくなっていた。正確には眠れるのだが、入眠までに何時間もかかるのである。当然睡眠時間は短くなるし、その睡眠も到底質がいいとは言えない。昔馴染みである硝子に言えば改善できるかもしれないが、五条の感覚では解決策がぼんやりと浮かんでいた。

「なんか、人が隣にいてくれれば眠れそうな気がするんだよねえ」
「それで何で私に言うんですか」

 目の前にいるのは、術師仲間の苗字名前である。名前は五条より二つ年下だが、術師としては腕が立つ方だ。実力の評価はさておき、五条は名前という人間を気の置けない仲だと認識していた。一見とっつきにくい真面目に思えるが、からかってみれば意外と面白い。五条は一方的にからかうことで、名前と仲良くなったと認識していた。だが勿論名前は恋人などではない。名前が何故、と言うのは添い寝という行為が少なからず男女の可能性を孕むものだからだろう。

「んー、僕名前じゃ絶対に勃たないから」
「帰っていいですか」
「まあまあ、この間も助けてあげたじゃん? その恩返しだと思って! 絶対に手は出さないから!」

 そう言うと名前は考え込むような素振りを見せた。名前にはいくつかの貸しがある。別に返してもらおうと思っていたわけではないが、役に立つこともあるようだ。五条の「勃たない」という言葉を信用したのか、最終的に名前は承諾した。

「いいですよ。その代わり、朝同じ時間に出るのとかはやめてください。五条さんと噂になるの死んでも嫌なんで」
「ありがとー!」

 早速その日の夜から名前は五条の家に来た。五条の家は広く、殺風景だ。その中にこじんまりとあるベッドを見下ろして、「五条さんのことだから今日中にダブルベッドを手配するとかしてるかと思ってました」と言った。

「それだとくっつけないじゃない? 添い寝ってくっついてナンボだから!」
「目的忘れてませんよね」
「僕の安眠! ていうことでおやすみ!」

 まだ日付も変わっていないというのに、五条はベッドに潜り込む。多忙な五条が素早く寝る体勢に入ることに名前は少なからず驚いたが、睡眠のために仕事を断っているという可能性に思い当たった。名前は五条を刺激しないようにそっとベッドに入る。体を横たえると、肩と肩がぶつかってしまうくらいの狭さだった。お互いにまだ寝ていないことは察している。暗闇の中、最初に口を開いたのは五条だった。

「名前の彼氏ってこんな気持ちなのかな」
「そういうのやめてもらっていいですか」

 衣摺れの音がして、五条が体勢を変えるのがわかる。五条の息を真横に感じながら、名前は薄目を開けた。

「ね、こっち向いて」

 ベッドを震わせ、名前も五条の方を向く。暗闇の中で目が合うのを感じた。

「やっぱあっち向いて。後ろからぎゅってしたい」

 すぐに変わる命令に悪態をつきながら名前は言われた通りにした。すると後ろから五条の腕が伸びて、抱き枕のように腕の中に閉じ込められる。五条と名前の身長差では、実際に抱き枕のような見た目になっているかもしれない。

「ああ、これいい、寝れそ……」

 それ以降会話をすることはなかった。名前から話しかけはしないし、名前は背を向けているので五条が起きているかどうかの確認もできない。落ち着かない格好だったが、五条を最初から男として見ていないことを思い出したら緊張がほぐれた。気付けば、朝になっていた。

「あ、名前起きた? 朝ごはんはテーブルの上にあるから、それ食べたら先に出て。僕はちゃんと遅刻ギリギリに出るから」

 五条は先に起きて朝支度をしていたようだ。その顔色は、心なしか良いように思える。名前が添い寝をしたことで、よく眠れるようになったのだろうか。聞いてみたところで効果がないにしろ「よく眠れたよ」と五条ならば言う気がしたので、名前は素直に朝食を食べて五条の家を出た。家に寄って化粧などをしてもまだ間に合う時間帯だった。幸い五条の家に泊まったことを勘付く人はいなかった。

「今日もきて」

 五文字のメッセージに、「了解です」とだけ返す。名前の添い寝は効果があったのだろうか。なかったのだろうか。それは名前に関係ない。名前はただ、借りを返すために五条の言う通りにするだけだ。

 その晩も、次の晩も、五条は必ず名前を後ろから抱きしめた。五条がいつ寝落ちているのかもわからなかったが、人の温もりがあると不思議と名前も安眠できた。五条がスペースを空けてくれたので、クローゼットや洗面台には名前のものが並んだ。事態が長期化することをわかっているのだろう。もしかしたら名前は死ぬまで五条と寝続けるのかもしれない。もし名前が任務で死んだら、五条はどうするつもりなのだろう。そんなことを考えていた時、解雇通知は突然に言い渡された。

「もう僕、大丈夫かも。名前がいなくても眠れるみたい」

 名前が添い寝することで、確実に五条の睡眠は改善していたのだ。名前は荷物一式をまとめるのが面倒くさいなあと考えながら「そうですか」と言った。五条の「勃たない」という言葉を信じてここまで来たものの、本当に何も起こらなかった。

 早速私物を集めようとする名前を遮るように五条が口を開く。

「今度はさあ、僕のED改善に付き合ってくれない?」

 名前はしばらく五条を見つめたまま黙り込んだ。まず、五条がEDだという話を聞いたことがない。五条はそれなりに遊んできたはずだ。例外と言えば名前くらいで、名前には「勃たない」と言いきっていた。

 そこで名前は五条が何を意図しているかに気付いた。五条が治したいのは、名前に対するEDだ。名前に対して勃つようにしたところで何をするのかというのは目に見えている。名前は目を細めると、「嫌です」と言った。

「そう言わずにさぁ。名前だって困るでしょ、いざやる時にふにゃふにゃなんて」
「何で私が合意している前提なんですか」

 名前と五条がセックスをする必要など全くもってない。冷たい態度を貫く名前を五条が口説き落とそうとする様子は世間一般のナンパのようで、とても数ヶ月添い寝をしてきた関係性とは思えないのだった。